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2011.04.01

01-1|空間の履歴を読み解く-嘉瀬川・石井樋の復元設計 その1

吉村 伸一((株)吉村伸一流域計画室 |EA協会 副会長)

 

はじめに

嘉瀬川(佐賀県)の石井樋(いしいび)は、今から約400年前、慶長年間(1596-1615)に佐賀藩士成富兵庫茂安(1560~1634)によって造られた水利施設である(元和年間という説もある)。現存する水利施設では、我が国最古級のものである。

土木学会編「明治以前日本土木史」では、「成富茂安は(略)其功績の千古に伝うべきもの少なからず。(略)石井樋・象の鼻・天狗の鼻等の偉観は今尚水勢調節の妙用を現はし、用意の精到にして規模の雄大なる、天下稀観の土巧施設として驚異に値するものなり」と記述されている。

しかし、1960年、上流に川上頭首工ができ、350年間にわたる取水施設としての役割を終えた。放置された施設は土砂に埋もれ荒れ果てていたが、1993年皇太子ご成婚記念事業の一環として再生されることになり、翌年基本計画が策定された。土木遺構の発掘調査が行われ、2000年頃から一部工事が始まった。

しかし、既往設計には様々な問題があった。たとえば、大井手堰(元は石積の堰)はラバー堰(空気で膨らますゴム堰)で設計されていた。また、導水路(上記写真の左側水路)は緩やかな傾斜の土手(発掘調査では直立に近い石積)で設計されており、そのために河畔林はすべて伐採される。そういう問題点がいくつもあった。

工事が始まったころ、島谷さん(現九州大学教授)が国土交通省武雄河川事務所の所長に赴任し、計画設計を根本的に見直すことになった。大井手堰のデザインは日本工営の逢澤さん、歴史資料の収集や記念館の計画は地域開発研究所の兼子さん、前田さん、水理模型実験は建設技術研究所の伊藤さん、エントランス空間は農村・都市計画研究所の橋本さんが担当。そして、水システム全体の考察と復元設計を私が担当した。複数の組織・人が関わって、島谷所長がうまくまとめてこのプロジェクトは進行し、2005年12月、約半世紀ぶりに水の流れが復活した。

近世までの土木技術を「伝統工法」と呼ぶことがあるが、それは、そこにある資源と人力を基本にした等身大の技術である。科学技術が発展していない段階の遅れた技術ということではない。人間は自然と関わって生きている。自然の力はいつも人智を越えている。そういう自然と人間の関係を思想的基盤とする技術と言ってもよいだろう。

このプロジェクトを何回かに分けて紹介したい。成富兵庫の治水思想(自然に対する思想)と技術(作法)の世界にふれて、何かを感じとっていただければ幸いである。

 

*2001.12(筆者撮影):筆者が初めて訪れたときの天狗の鼻。作業路になっているところが、かつて用水が流れていたところ(導水路)。発掘調査をする前は、全体が埋まっていて天狗の鼻や象の鼻(画面右隅)の形状などはわからない状態だった(トップページ写真と対比してください)。当初設計では、写真左奥に見えている河畔林はすべて伐採する内容だった。

 

1.再生計画へのアプローチ:水システムの考察

復元の意味が、単に水の流れの再生であれば、川に新しい堰を造って、埋まっていたところを掘り返せばよい。誰にでもできる。見直し前の設計は、そういうレベルのものだった。しかし、これは、歴史的な水システムの再生である。

石井樋は、堰と用水路で構成される単純な取水システムではない。複数の施設が配置されて、水システムが成立している。成富兵庫が400年前に構想した水システムを考察し、その水システムによって形成された空間構造を読み解く作業が基本となる。と、私は考えた。しかし、築造当時の記録はなく、200年後に書かれた「疏導要書」(南部長恒著、天保5年)がもっとも古い文献である。94年から開始された発掘調査は部分的なトレンチ掘削で、調査のあとは埋められている。全体像がつかめない。佐賀土地改良区が所蔵している写真や補修記録等の資料は、昭和の時代の資料として貴重なものだ。こうした資料と現地調査等を基に水システムの仮説を立て、水理模型実験(建設技術研究所)で検証するという方法をとった。復元設計に当たっては、学識者等で構成される「石井樋地区施設計画検討委員会」で方向性を定める体制がとられた。

 

2.石井樋を構成する主な施設

最初に、石井樋に配置された主要施設を紹介しておこう。石井樋は、大井手堰、天狗の鼻、象の鼻、出鼻、石井樋(樋門)、野越(ノコシ)、二の井手堰、兵庫アラコ、遷宮アラコなどで構成されている。大井手堰でせき上げられた水は象の鼻先端部を逆流するような形で流れ、天狗の鼻を回り込んで導水路を南下し、本土居(堤防)に設置された石井樋(樋門)をくぐって多布施川を下る。洪水は中の島の南側放水路を経て嘉瀬川本川に戻すシステムになっている(図1)。
石井樋の意味は、石で造られた井樋(樋門、樋管)のことだが、嘉瀬川の場合は施設の総体を「石井樋」と呼んでいる。

 

図-1 石井樋戸立見取図:「疏導要書」(南部長恒)に加筆

 

 

*発掘された石井樋(樋門):3連であることから地元では三丁井樋と呼んでいる(2001.12 筆者撮影)。

 

*現況模型(平成7年測量図、1/500):狭いワンルームにこの模型を約1年間置いて眺めていた。400年前と同じではないが、周辺を含めた地形構造には様々な情報が隠されている。この地形構造から浮かび上がってくる石井樋のシステムを読み取ろうと…。

 

次回に続く。

エンジニア・アーキテクトのしごと

吉村 伸一Shinichi Yoshimura

(株)吉村伸一流域計画室 |EA協会 副会長

資格:
技術士(建設部門:河川、砂防および海岸海洋)

技術士(環境部門:自然環境保全)

特別上級土木技術者[流域・都市](土木学会)

 

略歴:
1948年 北海道生まれ、石狩川流域人

1971年 室蘭工業大学土木工学科卒業

1971年 横浜市役所 勤務

1998年 吉村伸一流域計画室設立、代表取締役

 

主な受賞歴:
2005年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(和泉川/東山の水辺・関ヶ原の水辺)

2008年 土木学会デザイン賞 優秀賞(嘉瀬川・石井樋地区歴史的水辺整備事業)

2011年 土木学会デザイン賞 優秀賞(いたち川の自然復元と景観デザイン)

2018年 土木学会デザイン賞 優秀賞(伊賀川 川の働きを活かした川づくり)

2021年 復興デザイン会議第3回復興設計賞(川原川・川原川公園)

2022年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(川原川・川原川公園)

 

主な著書:
日本文化の空間学(東信堂、2008、共著)

多自然型川づくりを超えて(学芸出版社、2007、共著)

多自然川づくりポイントブック(日本河川協会、2011、共著)

図説・日本の河川(朝倉書店、2010、共著)

川の百科事典(丸善、2009、共著)

川・人・街-川を活かしたまちづくり(山海堂、2001、共著)

自然環境復元の技術(朝倉書店、1992、共著)

 

組織:
(株)吉村伸一流域計画室

神奈川県横浜市

Email:yoshimura@ys-ryuiki.co.jp

 

業務内容:
・河川の自然復元および景観デザインに関わる研究、計画、設計

・川づくり、まちづくりに関わるコンサルタント業務

・市民参加、合意形成マネジメント

・その他上記に付帯する業務

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