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2011.08.01

03-2|「通潤用水下井手水路の改修」その2:課題と解決方針 ~文化景観と自然環境の改変を抑え、人工物の印象を小さくするために、技術的に裏付けながら設計方針を整理する~

西山 穏(NNラントシャフト研究室|EA協会)

前回は、改修対象の特徴として、入り組んだ地形に沿って配置された緩勾配の用水路であり、通常山間部には棲まない淡水魚アブラボテがその緩勾配の環境を利用して生息すること、そして住民負担で建設したという歴史を背景に管理組織が江戸時代末期の建設時から実質的に存続していること、等をお伝えした。今回は、設計上の課題と解決方針について述べる。

3.解決を求められた問題

[求められた3つの目的]
求められた改修の目的は、主に次の3つだった。
1)水路の補修
水路岸の侵食や護岸の破損、土堤の漏水が起こっており、水路の補修が必要とされていた。
2)維持管理性の向上
受益者によって定期的に泥あげ・草刈りが行われてきたが、水路際に車両が進入できなかったため、作業は人力でおこなわれていた。高齢化に伴いこれを継続することが大きな負担となっており、車輌を用いた維持管理を可能にすることが必要だった。
3)生物の生息環境の保全
水路の建設とともに生息してきたアブラボテ及び関連する生物群が存続するように、水路内の良好な環境が残る箇所を維持する必要があった。また、改修対象以外の区間で生息域が減少していたので、可能な箇所で生息環境を増やす工夫をすることが求められた。

 

図1 求められた3つの目的

 

[問題の要点]
上記の3つの目的を満たす際に問題となったのは、既存景観の保全(=変えない)と新たな機能の付加(=変える)という、形状改変に関する相反する要求にどう応えるか、だった。
地域の景観を変えないために、これを構成する要素(=ここでは下井手水路)の形状と価値を変えないようにする必要がある。しかし一方で、景観を成立させている地域の生活・生業(=ここでは稲作)を守らなければこの景観はいずれ消えてしまうため、水路管理の負担軽減という目的も譲りがたい。
これに対して設計で答えを出すことが必要だった。

 

図2 相反する要請

 

[解決の方針:大筋での重み付けと取捨選択]
重要な判断となったのは、万難を排して形状の改変を避けるべきものと、多少の形状改変が許されるものの区別だった。ここでは、文化財保護法上の重要な構成要素と位置づけられ、「生き証人」アブラボテの生息空間でもある水路を重視し、中でも環境のキモである水中・水際を変えないことを最優先とした。水路外(主に休耕田)については優先順位を落として管理用通路の設置と堤防の補強のために少々犠牲にする、その上で、改変する部分の犠牲を最小限にするべく設計で知恵を絞る方針とした。

図3 大筋での重みづけと取捨選択

4.課題の絞り込み

上記のような優先順位をもった上で、次のような作業で情報の収集と設計条件の整理を進め、解決すべき個別の課題を絞り込んでいった。
[水路補修の要件の精査]:現地条件・設計条件を精査し、要補修箇所を限定する
流下能力、浸食・漏水箇所の状況等を確認するために、現地調査と設計条件の精査を行った。その結果、必ずしも全面的な改修でなくても、局所的な補修によって水路補修の要件を満たせることが判明した。

図4 流下能力を確認する水理計算と要補修箇所を特定する現地調査

 

図5 水路補修が必要な箇所

 

[維持管理施設の要件の精査]
:土地改良区・地権者にヒアリングし、維持管理のポイントを明確にする
土地改良区・地権者へのヒアリングの結果、水路の維持管理は集落が所有する小型バックホウ及び各受益者が所有する軽トラックによることが想定され、有効幅員W=2.0mを確保すれば実質的に十分であることが確認された。
また、上井手からの排水路が合流する地点で土砂の過剰堆積が頻繁に発生し、水路管理の労力を増大させているとともに強雨時の氾濫の危険が大きいため対策が求められることが判明した。

 

図6 管理車両の必要寸法と土砂堆積対策が必要な箇所

 

図7 維持管理のため整備が必要な箇所

 

[生物の生息環境保全に必要な要件の精査]
:生物の専門家と協議し、整えるべき物理環境を把握する
アブラボテは、図に示す通りマツカサガイ、ドジョウと共生関係にあり、その生物群の生息環境保全が必要だった。これら生物群の生息に必要な環境要件として次の3点が挙げられる。要件を満たす水路形状として一般的なコンクリート水路は不適切で、改修前の水路形状を変えずに用いることが近道と考えられた。
○止水域・流水域の両方が必要
○砂レキ質及び泥質の水路床材料が必要
○水中・水際に植物の繁茂が必要
水路床材料と植生の分布はこれまで草刈りや泥あげ等の管理の結果形成されており、その環境を維持するためにも、これまで通りに管理を続けることが重要だった。
一方、下井手全体に目を向けると、隣接する広い区間で近年コンクリート3方張構造による水路改修が進み、アブラボテ等の生息域が大幅に減少していると考えられた。従って、生物群の存続の可能性を少しでも増すように当該水路内において生息域を増加させる必要があった。現地踏査から、アブラボテ・ドジョウの生息に寄与する環境を新たに創出できる可能性をもつと考えられた地点を抽出した。

 

図8 保全対象生物に必要な環境

 

図9 生息環境創出が可能な箇所

 

5.解決策としての3つの基本方針

ここまでの課題絞り込みの結果から、改修の基本的な方針を3つ定めた。以下(1)~(3)に各方針のねらいについて説明する。
なお、この方針では、軽トラック程度の車輌の進入が可能になり作業負担が減るものの泥あげ・草刈り等の作業がなくなるわけではなく、受益者の負担軽減は限定的である。にも関わらずこの方針を採用できたのは、受益者・土地改良区が景観保全に対し強い理解をもっていたことの寄与が大きい。

 

図10 水路改修の基本方針

 

1)「つぎはぎの水路補修」により、水路内の基本形状を守る
水路内は、同一断面による一様な改変を行わず、補修が必要な箇所のみ個別に検討して補修することとした。その際、近自然河川工法の手法により、流れが水路岸に強く当たり侵食が起こりやすい地点を見極めることで補修箇所を必要最小限とし、主として(コンクリートで固めない)空石積構造を用いた。なお、この補修は流水による水路岸の侵食に備えることはできるが、これだけでは漏水を十分に防ぐことはできない。

2)「堤防補強を兼ねた管理用通路」で泥上げの負担を減じ、生業の継続を助ける
水路内の地形を極力変えない上記(1)の方針を補完するために、管理用通路は既存の堤防の外側(農地側)に盛土を盛り足す構造とした。これにより既存の土堤防の厚みを増し漏水を防ぐことができ、万一の越水時には破堤の危険を最小化することに寄与できる。この構造は表面に畦地の草本植生を回復させれば棚田の風景によく馴染み、人工的な印象が消えていくことが期待できる。

3)「集中的な環境創出」を局所的に行い、水路内の生息環境の多様性をさらに増す
アブラボテ・マツカサガイ・ドジョウの生息域を増加させるためには、緩流域・止水域を増やすことが有効と考えられた。ただしこのとき、水路全体で平均的に流速を落とすのではなく、早い流速の場所は維持し、流速のメリハリがある状態とするよう注意が必要だった。実現の方法として、護岸改修する必要がある箇所や引き堤が容易な箇所(堤防が低い箇所)等で水路を拡幅し、緩流域・止水域・浅水域を設けて水深・流速分布・冠水頻度の多様性を大きくすることとした。また、休耕田との高低差が小さい箇所で休耕田に湛水するとともに、この湛水域と水路を接続できる箇所を設けることとした。

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以上に紹介した方針で設計を進め、さらに現場でのデザイン監理活動の末に工事は完了した。「一律」といえる形状がほとんどなく、すべて個別に現地地形に追従する形状としたため、設計でも施工業者への説明でも大きな手間がかかったが、現地への馴染みという点では大きく効いたと考えている。
次回は、実際にどのような構造物と地形が現地にできたのか、写真とともに紹介する。

エンジニア・アーキテクトのしごと

西山 穏Nishiyama Yasushi

NNラントシャフト研究室|EA協会

資格:

技術士(建設部門:河川、砂防及び海岸・海洋)

登録ランドスケープアーキテクト(RLA)

測量士

1級土木施工管理技士

1級造園施工管理技士

 

略歴:

1972年 名古屋市生まれ

1996年 東京大学工学部土木工学科卒業

1998年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻 修士課程修了

1998年 (株)西日本科学技術研究所 勤務

2002年 高野ランドスケーププランニング株式会社 出向

2006年 (株)西日本科学技術研究所 復帰

2017年 同社 退職

2018年 NNラントシャフト研究室 開業

 

組織:

NNラントシャフト研究室

〒780−8061 高知県高知市朝倉甲505−6

fk4y-nsym@asahi-net.or.jp

 

業務内容:

・河川整備に関する調査・設計

・土木工事一般に係る自然共生及び景観デザイン検討

・地域振興・自然再生・景観形成等の計画策定及び各種調査

・文化的景観及び近代化遺産の保全活用に関する調査・計画・設計

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