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2017.09.12

22|菅谷たたら山内保存修理事業

木本泰二郎(株式会社 文化財保存計画協会)

【菅谷たたら概要】

島根県雲南市にある、かつて全国一の鉄の生産量を誇った、たたら製鉄の製造施設とその従事者の生活地区(「山内」さんないと呼ぶ)の保存修理事業である。菅谷たたら山内では江戸中期から大正10年まで約170年間操業を続け、全国で唯一現存するたたら製鉄の製造施設として、昭和42年国の重要有形民俗文化財に指定される。雪害により山内の中心施設で炉を備える高殿(たかどの)の破損が深刻化、平成24年度から順次保存修理工事を進め、平成32年度に終了を予定している。最終的には山内とその周辺に点在する砂鉄選鉱場などの調査を進め、近世の産業遺産であるたたら操業の「フィールドミュージアム」としての活用を目指している。

 

 

 

山内全景。中央右寄りに高殿(たかどの)が写る(修理後)。その他、出来た鋼を粉砕する「どう場」がある元小屋、従事者の住まいである三軒長屋、米倉や山内祠などで構成される。そのどれもが根本的な修理が必要な状況であった。ちなみに写真中央に写るのは桂の大木。この木は製鉄の神である金屋子神が降臨する依代と伝えられる。いかにも神話の国、出雲らしい。

 

 

修理前の高殿(たかどの)の様子。小屋組が破損し、いたるところで雨漏りがみられた。応急処置として単管などで屋根の垂下を抑えていたが、経年劣化と雪の重みで外壁が外側に傾いている状況であった。

 

 

修理後の高殿(たかどの)。一辺10間(約18.0m)の正方形の平面をもち、中央に炉が座る。栗の大径木で構成された4本の押立柱(おしたてはしら)で屋根荷重の大部分を受け、押立柱と組まれた梁から延びるサスで屋根頂部を構成する。高さ約9.5m、屋根は入母屋のこけら葺きである。操業時は炎の熱を逃がすため屋根頂部に「火宇打(ほうち)」という開口部があったが、修理前は塞がれていた。今回、古写真や聞き取り調査等を基に復原図を作成し検討委員会に図り復原を行った。

 

 

解体工事の様子。伝統木造に長けた大工が仕口を痛めないように丁寧に解体する。「解体」というより「解(と)く」という表現が近い。解体された部材すべてに番付札を取付け、元の場所に復旧できるようにする。しかし出来る限り解体範囲を少なくし、建物を健全化するに越したことはない。破損状況等から、修理の方向性と具体的な方法を決めることが我々文化財修理技術者に求められる。

 

古材を残しながら腐朽している部分だけ新材で繕う。繕う範囲や継手の形状などは現場で大工と協議しながら進める。新材の部分には修理した年の焼印を押す。次の大規模な修理は100年後かもしれないが、将来の技術者へのメッセージとなる。

 

 

 

文化財保護法で規定される重要文化財建造物は、建築基準法が適用されない(3条 適応の除外)。しかし不特定多数が出入りする場合等は、当然耐震性能が求められる。高殿をモデル化し耐震診断を行った結果、隅木と母屋を支える登梁に応力が集中していることが判明し(上図の赤い部分)。補強を施した。考えたのは、「可逆性」をもった補強であることと、内部空間の雰囲気を壊さない質感である。写真左は補強前の状況、右は補強後。具体的には、母屋を受ける登梁を新設、それを受ける添桁を壁に沿って鉢巻きのように回し、既存の梁と緊結した。

 

 

土壁の下地は竹をつかった竹木舞が一般的であるが、菅谷は粗朶(そだ)(雑木)の木舞である。粗朶木舞は竹が入手しにくい寒冷地の一部でみられる仕様だが、中国地方では珍しい。たたら操業では、大量の木炭を必要とするため、伐採した樹木のうち炭として使えないカシやクリなどの雑木を利用したのではないか、と想像できる。身近で入手しやすい材料を資材として使ったと考える方が自然であろう。

 

こけら葺きに使用する栗板を拵える様子(写真左)。栗材はかつて中国山地で豊富に採取できたが、現在その量は少ない。また屋根材として加工できる職人も数えるほど。栗材は耐久性があるが反りやすい性質を持つ。その欠点を補うように葺き方も独特で、左右に隣り合う板どうしを少しずつ重ねながら葺き上げる(写真右)。結果、柔らかな表情をもった屋根になる。栗材のこけら葺の建物が群として残る景観は全国的にも極めて珍しい。

 

 

 

進めているのは建物の修理だけではない。古老への聞き取りや発掘調査、文書調査によって操業時の山内の姿は現在とは異なり、地形や水利を巧みに利用し生産活動を行っていたことがわかってきた(図上)。右の文書は2人の大工が申し合わせをして水車の部材を決めている過程が面白い。文書の部材リストを基に図化した水車が左図である。その大きさは、かつて「どう場」があった元小屋に残る遺構や転用部材にほぼ一致する。稼働できる形で復元することも視野にいれ検討を進めている。

 

 

たたらの生産には豊かで持続可能な「森林資源」を必要とする。たたらを1回操業するには3昼夜火を燃やし続け、約17トンもの膨大な木炭を費やす。今回たたら炭の焼き方、窯の作り方を知る地元の古老の協力を得て山内に炭窯を制作した。ここで作られた炭は、毎年菅谷近くで操業される近代たたら操業に利用される。たたら操業と森林との関わりを、体験を通して伝えるきっかけづくりを始めている。

 

 

写真は周辺の山々に残された砂鉄を採取するための選鉱場やため池の遺構である。数年前から国士舘大学の二井研究室の協力を得て継続して調査を進めている。菅谷たたら山内周辺での砂鉄採取の仕組みは、未だによく分からないことが多い。当時の技術者はどのように山を認識し、森林や水を利用してたたら操業に活かしてきたのであろうか。近世のたたら技術者の「自然観」を、文字や資料ではなく空間で伝えられる場所はそう多くはない。

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