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2012.10.30

09 |共同体の意思が生み出す風景

二井 昭佳(国士舘大学|EA協会)

 

「なぜ、こうなっているんだ?」 川に関心のある人なら、冒頭の写真を見てきっと思うはずだ。なぜ、川の手前側(左岸)の堤防が途中で切れているのかと。そしてすぐに、これは暫定整備なのだと納得されることだろう。しかし、この左岸の堤防が途中で切れている状態、これで完成形なのだ。左岸側にも住宅が存在しているにもかかわらず、である。いったいなぜ、このような整備が可能なのだろう。

2012年4月から半年間、僕は勤務先の大学の計らいでスイス連邦工科大学チューリッヒ校にて在外研究をおこなう機会を得た。その目的はスイスの橋梁調査という夢のような時間であった。ロベール・マイヤール氏、クリスチャン・メン先生、スイスが生んだ橋梁界のスーパースターの作品に触れるたびに感激し、多くの刺激を受けた。それと同時に、現地で実際に暮らすことで見えてくること、考えさせられることもたくさんあった。スイスの橋梁については別の機会に譲ることにして、ここでは強烈な印象として残っている風景について紹介したいと思う。

 

冒頭の写真は、スイス南東部のグラウビュンデン州(Kanton Graubuenden)にある村、ヴァルス(Vals)の風景である。ここは、3000m近い山々に挟まれたヴァルス谷の最奥部に位置し、人口わずか900人程度の小さな集落だ。スイス国内では、少し青みのかかったVals珪岩と呼ばれる美しい石と、Valserという名で売られる天然水を産出する村として知られている。日本ではむしろ、ぺーター・ツムトア氏(ピーター・ズントー氏、Peter Zumthor)が設計した温泉施設テルメ・ヴァリス(Thermalbad Vals)のある村といったほうがピンとくる方が多いかもしれない。

ここを初めて訪れたのは、山の頂にまだ雪の残る6月の中旬、広島の太田川放水路橋の設計仲間たちがスイスに来てくれた時である。目指す橋は、クリスチャン・メン先生の後、スイス橋梁界を牽引するヨーグ・コンツェット氏(Juerg Conzett)が設計したValserrheinbruecke Vals-Platz(冒頭写真中央)とMilchbruecke Valsである。しかも、大変ありがたいことに、設計チームのご意見番である原光夫さんの娘さん、チューリッヒで建築設計事務所を主宰している奈穂子さんがコンツェット氏と懇意にしており、彼女のおかげで彼が直々に案内してくれることになったのだ。

 

写真2:Vals全景。山に囲まれた非常に美しい集落。右端に小さく映っているのが、ヨーグ・コンツェット氏の設計によるValserrheinbruecke Vals-Platz。

 

さて、彼の説明をなんとか聞き取ったところによれば、ヴァルスは昔から洪水の多い土地であり、特に1868年の洪水では集落が壊滅的な被害を受け、一時はみんなでアメリカに移住しようとも考えたらしい。その後、1958年に上流に発電用ダムが建設されたことで洪水は減少したものの、ダムの貯水量を越える量の雨が降る年もあり、1999年の大洪水をきっかけに新たな堤防を整備することになった。これらの橋はそれに伴って架け替え、あるいは新設されたものだということであった。

話が逸脱するのでこれらの橋のデザインや構造の面白さについて書くのは控えるけれど、彼の考え方や設計のスタンスは非常に魅力的で、今まさに目の前にいる彼こそが、これからの時代の橋梁エンジニア像だと感銘を受けた。だが、その説明を聞きながら、僕は冒頭の写真で記したことが気になっていた。

 

ひとしきり皆のやり取りが終わった後、私はつたない英語で彼に尋ねた。

「左岸側の堤防が途中で切れているのは、整備途中・・・」

「いや、これで完成。ゲマインデがそう判断したんだ。」

「でも、もし洪水が起こったら・・・」

「うん、だからね。そこの道の上にポツポツついているのがあるでしょう。大きな洪水が起こりそうなときは、あそこに仕舞ってある柱を引き出して、板を設置するんだよ。」

「それでいいってことになったのですか?」

「そうだよ。幸い、まだ使ったことないみたいだけどね。」

 

写真3・4:仮設的な構造による堤防。洪水が起こりそうな時には、茶色い部分に仕舞われている柱を引き出して板をはめる。写真4の赤い部分が仮設的な堤防が立ち上がったイメージ。(写真4は安田尚央君の提供)

 

絶句した。この方法では、洪水の際に流れてくる石や木はともかく、氾濫する水を抑えることは難しい。たしかに、かつての日本にも水防林という同じような考え方を持つ方法はある。しかし、土木技術が発達した今、しかも新設する堤防で氾濫を許容する整備をおこなうことはほぼ不可能に近い。なぜ、このような整備が住民に受け入れられるのか?そもそも、ゲマインデとは一体何者なのか?頭が混乱して、それ以上のことは聞けなかった。

この疑問は、後日研究室の仲間に尋ねることで氷解した。ゲマインデはスイスにおける最も小さい行政単位であり、この点では日本の市町村に似ている。ただ、九州とほぼ同じ面積でわずか800万人の人口にもかかわらず、スイスには約2600のゲマインデが存在しており、そのうち1万人を超えるゲマインデ(これは日本の市に相当し、Stadtと呼ばれる)はわずか120程度と全体の5%にも満たない。そして、圧倒的多数を占める小さなゲマインデでは、今もなお、大切なことはランツゲマインデと呼ばれる住民総会によって決定されているらしい。つまり、コンツェット氏の言うゲマインデの判断とは、行政による判断ではなく、ヴァルスに暮らす人たちの意思ということなのだ。

 

話を分かりやすくするために、ことの経緯を推測してみたい。まず1999年の洪水をきっかけに堤防を整備することになった。整備の状況から判断して、整備前の右岸側には左岸側の道路と同じ高さの堤防(約1m)があり、洪水に対応するには堤防をさらに1m近く高くする必要があると説明されたはずだ。堤防の構造として考えられるのは、盛土か壁を立ち上げる方法だろう。ただ右岸側では川に沿って多くの住宅が並んでいるし、左岸側も川沿いに車の通る道があるから、最初から壁を立ちあげる方法を軸に案が練られたのだと思う。

問題は、なぜ左岸側の堤防が途中で切れる案が出てきたのかである。この理由を推測するのは正直難しい。ただ、まちの状況をいえば、集落の中心部は右岸側にあり、左岸側にはそれほど住宅が多くない。しかも、いくつかの住宅は高い石垣の上に建てられている。さらに整備結果を見ると、堤防の延長は右岸側約600m、左岸側約200mの合計800m程度である。したがって、もし両岸に同じ堤防を造ることにすれば、実際の整備の約1.5倍の長さ、1200m程度の堤防が必要だったことになる。

最初から両岸に同じ長さの堤防を造る予算がなかったとは考えにくいから、ひとつの案はそれだったのだと思う。ただ、整備された堤防はヴァルスの石を積み上げて造られている。この石はコンクリートよりも高価であるらしい。そう考えると、限られた予算のなかでヴァルスの石を使うためには、その延長をできるだけ短くする必要があったのではないか。つまり、ヴァルスの石を使い、かつ洪水による被害を最小限に抑える方法として、この堤防が途中で切れている案が出てきた。ちょっと信じがたいけれども、僕にはこの理由くらいしか思いつかない。

 

図1:Vals航空写真。青い線が壁による堤防を整備した場所。そして赤い線が仮設的な堤防の区間。本文では触れなかったが、左岸の下流側でも氾濫を許容する整備になっている。

 

その視点に立って現地を眺めてみると、堤防が途中で切れていることで右岸側のいくつかの住宅は浸水被害を受けそうだが、洪水に伴う石や木の直撃に限定すれば、写真4の左側のふたつの住宅だけが大きな問題になりそうである。それに、橋より上流側はほぼ直線の区間だから、道路を横切るように仮設的な堤防を配置するのは確かに合理的である。

いずれにしても、最終的にヴァルスの人たちは、洪水により大きな被害を受ける可能性のある住宅は仮設的な堤防で守ることとし、左岸側では多少の浸水を許容するという案が最も優れていると判断したことになる。

なんというバランス感覚に優れた判断なのだろう。連邦政府や州(カントン)ではもちろんのこと、ヴァルスの行政組織でもこの判断は絶対にできない。これは、そこに暮らす人たちでなければ絶対に決められない案なのだ。自分たちの集落にとって最も良い案はなにか。おそらく、この判断には仮設的な堤防に対する危険性も織り込み済みなのだ。判断には常に責任がついてくる。それでもなお、自分たちの集落のことは、自分たちが決めるべきだという伝統がこの風景を生み出している。ここまで強烈ではないにしても、スイスには共同体の意思が感じられる風景が多く存在している。そうした風景に出会うたびに、これこそがスイスの美しさを支えているのだと思わずにはいられなかった。

 

そして最後に、整備にかかわった専門家に心から敬意を表したいと思う。この案を提示するには普通に堤防を整備するよりもずっと難しい技術検討が必要だし、なによりもとても勇気のいることだったはずだ。それでもなお、彼らはこの案をまとめ上げた。ヴァルスの人たちは河川の専門家ではない。だから最終的には、専門家から出された案のなかから選ぶしかないのだ。日本でも住民参加が浸透してきた今、本当に問われているのは専門家の創造力と技術力なのである。僕も彼らのような専門家のようでありたい、そう強く感じた。

風景エッセイ

二井 昭佳Akiyoshi Nii

国士舘大学|EA協会

資格:

博士(工学)

 

略歴:

1975年 山梨県生まれ

1998年 東京工業大学工学部社会工学科 卒業

2000年 東京工業大学大学院社会理工学研究科社会工学専攻修士課程 修了

2000年 アジア航測㈱ 入社(道路・橋梁部所属)

2004年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻博士課程 入学

2007年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻博士課程 修了

博士(工学)

2007年 国士舘大学理工学部都市ランドスケープ学系専任講師

2012年 スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zurich)guest professor

2013年 国士舘大学理工学部都市ランドスケープ学系准教授

2014年 国士舘大学理工学部まちづくり学系准教授

 

主な受賞歴:

2006年 第8回「まちの活性化・都市デザイン競技」奨励賞

2007年 景観開花。「道の駅」佳作

2009年 広島南道路太田川放水路橋りょうデザイン提案競技(国際コンペティ

ション)最優秀賞

篠原修・内藤廣・二井昭佳編「GS軍団連帯編 まちづくりへのブレイクスルー 水辺を市民の手に」、彰国社、2010

 

組織:

国士舘大学 理工学部

〒154-8515 東京都世田谷区世田谷4-28-1

TEL:03-5481-3252(理工学部事務室)

HP:http://www.kokushikan.ac.jp/faculty/SE/laboratory/detail.html?id=107007

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