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2011.09.01

05|「一人親方の石工」第2回:山本 宝彦氏の話

前田 格((株)東京建設コンサルタント|EA協会)

前回、一人親方の石工職人として良質な御影石の産地である瀬戸内は倉橋島の石工、丸谷 清氏のお話を紹介させていただきました。今回は同じく瀬戸内でも本土の安芸郡坂町の石工、山本宝彦(やまもと とみひこ)氏のお話をご紹介いたします。

1.山本宝彦氏ついて

現在70歳(2007年のヒアリング時点)です。4~5年前まで石工として約50年間、石垣一筋に積んできました。今は一応引退していますが、たまに気が向けば頼まれて積むこともあります。産まれも育ちも坂町坂西です。
父がこの場所で石屋をやっていたことから、中学卒業後、5~6年間父に付いて修行をし、石工となりました。父の事務所は元々墓石屋であり、父は掘りも積みもやっていました。自分は掘りはやりません。石垣専門です。石垣以外だと、木造住宅の基礎石を造る程度です。間知ブロックはやったことがあります。弟は父がここで始めた石屋を継いで、山本組という建設会社になっています。石屋の方は、親戚が金子石材店という店にして近くで営業しています。
自分はフーテンの寅さんのように、いろいろな現場を廻りました。広島県内が主ですが、山口、島根、岡山にも行きました。自分の息子も一時期自分に付いて石積みをやりましたが、賃金が良くないことと体がきついこととで、彼女ができた時に辞めて、レッカーの運転手になりました。
川の護岸の嵩上げが流行った時期があり、護岸工事を多くやってきました。倉橋の波止も随分やってきました。平成元年には広島城の石垣の修復をやりました。

 

山本宝彦氏。(ご自宅にて)

 

2.石積みの技術について

(1)道具

道具を大切にしています。自分は毎日、ノミを焼いたり研いだりといった道具づくりをしており、鍛冶屋に頼むことはほとんどありませんでしたが、今は鍛冶屋もいなくなりました。石積みの道具は消耗が激しいです。きちんとした道具の手入れをしていないと、きちんと積めなくなります。
石鎚の片方が尖った小型の玄翁(げんのう)は、主に墓石屋の玄翁です。石積み職人が扱う玄翁はもっと大きいものです。特に大きな玄翁は、巨石をはつる時に用いることから、この地方では「はつり」と呼ばれています。柄も大事です。石を叩いた際に響かない物が良いものです。自分はアキグミを使っています。昔はノミで穴を空け、そこに豆矢を入れて割っていました。これは石工にしかできない仕事です。今はドリルで穴を空けて、セリ矢で割れてしまいます。これは素人でもできる仕事です。

 

道具の説明。写真で枝が立っている特に大きな玄翁が「はつり」と呼ばれるもの。

 

アキグミの柄を付けた「はつり」。

 

ノミと豆矢。

 

セリ矢。

 

(2)技術・材料

広島城の修復の新補石については、ベニヤで型を取った上で新補石を切りました。
自分の知っている中で腕の良かった石工は、広島の庚午(こうご)の松山氏です。朝鮮の人で、既に亡くなられています。
松山氏とは、千代田の個人宅の仕事で一緒にやったことがあります。目で見て技を盗んだものでした。
焼山の水源地(焼山北の本庄貯水池)に昭和の初め頃に軍がやったダムの石垣があります。この辺りでは一番綺麗な石積みで、石工の教本のような存在です。
自分の修行時代は、山や川の転石を割って、自分で間知(けんち:石積用に加工した石、けんちいし)を造るようなこともしていました。自分で造る場合も、イン2(控えの長さが1尺2寸=36.4cm)かイン5(1尺5寸=45.5cm)が多かったです。波止(はと)と国鉄の擁壁はイン5で積むことが多かったです。
波止の雑石(「ざっせき」と言う。「ざついし」のこと。)は0.5~1.0t程度の大きさであり、これを積むのは今でも石工仕事です。
修行時代から、空積みは少なく、練積みが主でしたが、波止については空積みがありました。波止の天端の肩部を丸める箇所については、「丸いけん、やってくれ。」と言われるだけで、特に専門用語や符丁はありませんでした。
昔、川の護岸をやっていた頃は、とんこ石(玉石のこと)の練積みも多かったです。雑割は谷積みが多かったです。石は昔からイン2でした。
波止の石積みの際、雑石を船から投入し、それから積み始めました。潜りはいませんでした。波止は潮が最も下がる冬場について(積んで)いました。潮が下がっているのは4時間程度です。波止の一番下の部分はその時間帯に多めの人数で一斉に積みます。
この辺りで積む石は昔は倉橋の石が多かったです。最近は倉橋の石が減り、広の石や、中国材などを使用することもあります。

3.石積み工事の受け方について

広島城の石垣の時は、請負師(=親方)である倉橋の末松さんから呼ばれて、西条の林さんと3人で積みました。元請けは砂原組でした。石を割るのは主に自分が担当していましたが、3人ともだいたい同じような作業をしていました。ノミで石を割れる人が居ないことから、ノミを使える自分に声が掛かりました。常用6に対し請負4の割合で、常用での雇用が多かったです。常用だとやる気が出ないと言う石工もいますが、そんなことはありません。石工の気性次第です。常用だからと変な仕事をしたらその後雇ってもらえなくなってしまいます。常用の場合、石工によって貰える金額が異なっていました。親方から見込んでもらえれば、親方がうまくやってくれます。親方次第です。
今から20年くらい前までは、石工が強い立場でした。20年くらい前に、石工が特に強い立場に立てる時代がありました。しかし、相手の足下を見ていたらこの世界で長生きできなくなってしまいます。無茶な主張はしない方が良かったのです。40年くらい前は、石工の数が多く、派閥もあり、仕事を取り合っていた時代もありました。最近は、石工同士、請負師(元請け)と石工、と、お互いうまくやろうといった感じです。通常、請負師(元請け)から仕事の依頼が来ます。たまに、石工同士で声がかかり、手伝いに行くこともあります。現場が大きい場合や、工期が短い場合、引き受けた石工がやったことのない積み方であった場合などです。
仕事の依頼は電話がかかってくるだけです。「最近暇か?」と聞かれて、「暇だね。」と言うと、「じゃあ、ついて(積んで)くれ。」といった具合に決まります。波止に関しては、よく江田島の山根建設や山勝建設から呼ばれて積みに行っていました。石工はフーテンの寅さんのように、呼ばれればどこへでも行くものです。一つの現場に石工は自分一人といった形が多いですが、施工量が多く、工期が短い場合などは、複数の石工が入ることもあります。施工期間にもよりますが、数百平米程度までなら一人で積むことができます。高さ3~5m程度の石積み擁壁の場合、概ね延長200m程度までなら一人で積むことが多いです。
石山の大将(丁場の親方)から声がかかることもあります。「あそこの現場に石を売ったから、行ってくれよ。」といった感じです。能美の山(丁場)の石工で、福本さんという70歳くらいの山の大将から良く誘われました。石山の大将からの紹介の場合でも、お金は請負師(元請け)からもらいます。
自分は一匹狼(一人親方)ですが、今は一匹狼の石工は少なく、土建会社に専属の石工の方が多いと思います。そのような専属の石工は、土木工事も手伝っているし、重機やトラックの運転手もやっている場合があります。今は石工仕事が無いことから、そのような兼業となっているのであろうと思います。
中国産の石の場合、石工無しでも積めます。墓所の仕事は昔から多いです。他に、個人宅の石垣の仕事もやっていました。石垣と墓所の仕事の割合は、8:2程度で石垣の方が多かったです。

4.賃金について

広島城をやった時は、まあまあ割のよい賃金をもらえました。文化財は割がいいと思いました。
仕事の進み具合は、雑割の谷積み、練積みで概ね7~8m2/日程度です。15年くらい前、もっとも良かった時は、めったにありませんでしたが、5万円/日程度貰えたこともありました。今は、2.5~3.5万円/日程度であろうと思います。中国産材をブロックみたいに積む場合で、2万円/日程度だと思います。

5.自信作について

どれも自信作です。職人の意地とは手を抜かないことです。城の石垣であっても、家の石垣や墓所であっても、賃金が異なっていても、積んだ作品に差はありません。黒川紀章の比治山美術館(広島市現代美術館)の石垣や、広島の日銀の花壇の石垣なども自分が積んだ物です。

6.自分が積んだ石積みについて

①広島城
東京から文化庁の先生か何かが来て、いろいろと指示が出されました。先生の名前は忘れました。広島城の時は一日に積む部分が決められており、仕事が速いからと勝手に積むことはできませんでした。大きな石が多く、4tの物までありました。

②長門の造船歴史館前の導流堤(倉橋島)
倉橋の坪井さんが受けた仕事でしたが、坪井さんは天端の角を丸めた堤体をやったことがなく、「一回、一緒についてくれないか。」と連絡が来て、手伝うこととなりました。(「つく」とは、「付く」や「突く」ではなく、石を「積む」ことを「つく」と言うそうである。この辺りの石工の符丁のようである。)自分がやって見せると、それを見ていた坪井さんもすぐにできるようになりました。右岸側の堤体の基部の砂浜側に張り出した箇所は、元々岩礁があった場所で、それを巻くように施工した箇所です。

 

 

長門の造船歴史館前の導流堤。

 

(事業についての補足説明)
長門の造船歴史館が1992年のオープンであることから、その直前あたりの施工であると思われる。

 

③倉橋島の道路擁壁
倉橋島内の海岸部の道路擁壁は、雑割石の練積みで、随分沢山やってきました。

 

 

倉橋島内の道路擁壁の石積み。

 

④堀切の波止の修復
だいぶ昔ですが、壊れたところを直しに行きました。抜けた石を積み直す作業でした。安浦の岡原さんという人から自分に声が掛かりました。ここの補修は空積みでした。36~37年くらい前までは、このような補修の仕事もありました。今はコンクリートで直すため、土建屋だけで直せます。石積みの波止の一部分をコンクリートで補修した物を、「サロンパス」と呼んでいます。「悪い所一部分だけを貼って直す」といった共通の意味から来ています。波止で肩を丸めているのは、船があたった時に、お互いに壊れにくいといった意味もあってのことだと思われます。波止の先端部分の平面形状を丸めるのは、石を切らなければならないことから、それなりに手間が掛かります。

 

 

堀切の石積みの波止。東西に2本出ており、現在はどちらも先端部がコンクリートで補修されている。

 

⑤下蒲刈島の道路擁壁
波返しのついた護岸を石で積みました。半分より下のほうを三分で上げて、少しカーブをつけて波返しを付けました。まっすぐ上げるよりも難しい仕事です。多少波あたりのあるところということと、見た目がいいので波返しをつけたのだと思います。

 

下蒲刈島の松濤園横の波返しつきの道路擁壁

 

⑥蒲刈港三之瀬の防波堤
元請けは岡田建設で、自分の他に、倉橋の坪井さんと、焼山の増本さんと、新田さんという九州の人が入り、2~3人で積みました。丸さん(前回掲載の倉橋島の丸谷氏)が積んだのは、今は先端部を撤去してしまっている中央の古い防波堤ではないかと思います。船で大石を投入し、潜りがそれを均しました。その上に石積みが施工されました。干潮よりも下の石積みは、陸上でコンクリート擁壁に石積みを施工し、それをクレーンで吊って据え付ける工法でした。こんなやり方は初めてでした。陸上で積む部分については、上に石を積み足すことを考えて上部は凸凹のままで据え付けました。先端部の灯籠は倉橋島の石屋が造った物です。

 

 

 

蒲刈港三之瀬の防波堤。

 

(事業についての補足説明)
平成6~9年度に、港湾改修事業として実施された。既存施設の高質化として、既存堤体への石積み化粧と、防波堤の延伸(石積み化粧含む)が行われている。

 

三之瀬の船だまり中央に残る防波堤。今回の事業を行う前は、この波止が前面に長く出ていた。

 

⑦坂西集落内の石積み
坂西の集落内の個人宅の石垣を沢山積みました。倉橋の石や広の石が多いです。雑割間知が多く、谷積みも練積みもあります。積み方については、新しく積む場合は施主の要望を十分に聞き、補修の場合は元の積み方に合わせて積みます。斜面部の水平をあわせるのに技術が必要です。孫石と呼ばれる小さな石を使って調整します。
たまに、造園的な乱積みもやりました。このような個人宅の石積みの場合は、裏込めも含めて、材工すべて一式で請け負います。

 

 

 

坂西集落内の山本氏が積んだ石積み。

 

7.石積み職人としての生き方について

職人になった当初は、辛い仕事で、親父さんを恨んだこともありました。ずっと、良いことなどなかったように思います。しかし、歳を取った今は、自分の仕事が形として残っているのを見て職人になって良かったと思っています。親父さんにも感謝しなければなりません。

 

次回からは、会社組織として高度な石積みの技術を保持し続ける男鹿の石材会社のお話をご紹介する予定です。

職人礼讃

前田 格Itaru Maeda

(株)東京建設コンサルタント|EA協会

資格:

一級建築士

 

略歴:

1967年 千葉県生まれ

1993年 多摩美術大学美術学部建築科卒業

1993年 (株)地域開発研究所 入社

2011年 (株)東京建設コンサルタント 入社

 

主な受賞歴:

2001年 土木学会デザイン賞 優秀賞(鹿児島港本港の歴史的防波堤)

2008年 土木学会デザイン賞 優秀賞(嘉瀬川・石井樋地区歴史的水辺整備事業)

 

組織:

(株)東京建設コンサルタント

〒170-0004 東京都豊島区北大塚1-15-6

TEL:03-5980-2648

FAX:03-5980-2613

HP:http://www.tokencon.co.jp/

 

業務内容:

・土木、造園、建築の計画及び設計業務

・都市計画、まちづくりに関わるコンサルタント業務

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