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2011.05.01
プロポーザルの評価を考える
篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
プロポーザルに関しては(コンペも含めて)、1つは評価者(審査員)として、2つは応募者として係ったことがある。ここでは評価と応募という正反対の2つの立場から係った経験を通じて、今考えていることを述べてみよう。
1.評価(審査)の透明性
第一に重要な点は、誰が審査するのかという点である。考えられる「誰」は事業主体の担当者、技術やデザイン等の専門家、完成後のエンドユーザーとなる地元民(市民や県民)となろう。そして第二に重要となるのは、審査の公平性と透明性(公開性)であろう。
現在国交省が行なっているプロポの審査は、上記の第一、第二の点から問題が多いと考える。国交省のプロポの大半は、事業担当者のみで評価者が構成され、その審査の過程や中身が公開されていないと聞く。まず後者の点に言及すると、例えその評価が公平であるとしても(公平になされていると信ずるが)、その過程や中身が市民や県民に開かれていない為、大方の人には役所内の密室作業であると映る。何か恣意的な要因が働いているのではないかと疑われている。何故なら土木界は談合問題とそれに続く公共事業無駄遣い論でマスコミに叩かれ続けて来たので、市民、県民はその疑いの色メガネでプロポも見ているのである。評価者が事業主体のインハウス・エンジニアのみで構成されていることが、この疑惑に輪をかける。何か、自分達の都合だけでやっているのではないかという不信感。事実、大分昔のことになるが、東北地建のプロポに外部評価者として参加した折に、「このコンサルは取りすぎだよな」という事業担当者のつぶやきを聞いたことがあった(公平に審査した結果、どこかの設計者に仕事が集中しても、それは不公平とはならないのは当然である)。これは恐らく筆者が外部評価者であるから控え目につぶやいたのであって、事業担当者のみの場であれば、もっとあけすけにその手の話が交わされたのではないかと想像する。世間に向かって閉じれば閉じる程、むしろ世間の不信感は増大する。それが人の気持ちというものであろう。
別にやましいことをしているわけではないので、評価に外部の人間を加えて透明性を高め、更には審査の過程、中身を公開して、いらざる不信感を払拭すべきである。審査の公開は特に重要である。従来型の公共事業では、企画、計画、設計の各段階において、環境アセスメントや景観アセスメントの制度はあるものの、どういう人間が、どのような考えに基づいて案を決定しているのかが市民、県民には見えなかった。計画、設計に携わるコンサルタントや設計事務所のエンジニア、デザイナーは下請けとして扱われている為に表には出られず、事業担当者も人事異動で2、3年で変わる為、誰が一体全体、この事業の意思決定者であり、誰が責任を取るのかが極めて不明瞭である。市民、県民が疑惑の念を抱くのも無理からぬことであったと言えよう。
市民、県民の支持がなければ公共事業を実施することは不可能である。これは様々な仕事を通じての、この10年来の筆者の結論である。プロポは市民、県民に公共事業に関心を持ってもらい、その中身についての支持を取りつける、またとないチャンスである。プレゼンテーションを通じて審査の過程、中身を公開し、市民、県民を味方につけるべきである。K市の橋のプロポでは市長を説得して、第二次審査を公開とし多数の市民が参加するという、非常に良い結果を生むことになった。それは誰が実際に設計するのかの「顔」を見せることであり、又責任を取る事業担当者の「顔」を市民に見せることでもある。
外部の評価者を加え、市民、県民に公開しながら審査を行うという方式は、事業担当者のみで密室的に実施する現在のプロポに比べ、確かに面倒臭い、手間のかかるやり方ではある。出来れば避けたいという気持ちは分らないでもない。しかしこの方式は公共事業に対する市民、県民の信頼を取戻す突破口である。従来のやり方に胡座をかいていては、脅かすわけではないが、やがて公共事業そのものが出来なくなるであろうと考える。
2.評価者の構成
外部の専門家をメンバーに加えることの必要性は透明性に止まるものではない。案の的確な評価においてもそれは不可欠である。何故ならデザイン案の専門的な立場からの良し悪しは、デザイン経験者にしか分らないからである。インハウス・エンジニアが自ら設計、施工管理していた戦前なら、評価者は事業担当者のみで問題はなかった。しかし戦後も65年を経た現在では、自らが設計の実務を行ったインハウス・エンジニアは皆無に近いと思われる。昭和30年代の高度成長時代以降、設計、計画の業務は一貫してコンサルタントに外注され、当初こそその詳細を理解していたインハウス・エンジニアが居たものの、今では実務は完全に空洞化している筈だからである。負け犬の遠吠えの様で余り言いたくはないのだが、昨年の負けたO市のプロポで、この問題を痛感した。最優秀となった案に比べて遜色のなかった筆者らのチームの案(まあこれはバイアスのかかった自己評価ではあるが)は落とされた。そこで改めて審査員のメンバー構成を点検してみると、アーバンデザインの実務を経験したと考えられる人間は皆無に近いのであった。学識者としての大学教授や、インハウスのエンジニアは、所詮研究者、事業担当者であり、それらの人間のみではデザインの中身について的確に評価が下せるとは言い難い(建築のコンペ、プロポでは学識者という中立性よりも実績を重視して民間の実績のある建築家を審査の中心としている)。
一方、いわゆる学識者を含む専門家の評価にも偏りはある。専門家は分野が細分化されている故に専門家として評価されているので、木を見て森を見ずの弊に落ち入り易い。時に完成後のユーザーである市民、県民の使い勝手や愛着の持てる施設になっているか否かより、新しい技術やユニークな形などに評価の力点が置かれてしまう傾向がある(これは筆者の自戒も含めて)。公共事業の原点が何処にあるのかを考えてみれば、それは市民、県民の為にあるのである。従って、エンドユーザーとなる市民、県民の代表を評価者のメンバーに加えることが望ましい。いや不可欠であろう。H市主催の太田川放水路の橋のコンペでは、市民代表者の加わった良い面が出た。彼ら彼女らの評価の視点は橋本体の形のよさや瀬戸内海景観との調和、技術的な点にもまして、ユーザーとしての橋の使い勝手に置かれていた。最優秀となった案は橋本体以上に、魅力的で利用者に負荷の小さい歩道の提案で大きく得点を稼いだのであった。地元で長らく生活し、橋を使うことの多いH市民ならではの評価であった。これは外部の専門家では実感し難い評価のポイントである。以上を要約すると、ごく当たり前のことではあるが、当事者意識を持つ事業担当者、デザイン実績のある外部の専門家、市民代表者のバランスの良いメンバー構成が望ましいということになる。
プロポの方式については、まだ述べたいことがある。応募者の資格や設計JVの是非、プロポで選んだ設計者の継続性、評価委員会(審査委員会)の役割などである。これらについては、その2で言及することとしたい。
参考文献
1)土木学会田中賞選考委員会、同景観・デザイン委員会:国際化時代の橋梁デザイン、Jan.14,2000、「国際化時代の橋梁デザイン」シンポジウム報告書、2004.4
2)特集デザインコンペティション、橋梁と基礎、2007.8、建設図書
公共事業のプロポーザル方式を問う
- プロポーザルの評価を考える
- 篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
- プロポーザルで選ぶ設計者とアフターケア
- 篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
- 共同設計の望ましいありかたについて
- 椛木 洋子((株)エイト日本技術開発|EA協会)
篠原 修Osamu Shinohara
GSデザイン会議|EA協会 会長
資格:
工学博士
略歴:
1968年 東京大学工学部土木工学科卒業
1971年 東京大学工学系研究科修士課程修了
1971年 (株)アーバン・インダストリー勤務
1975年 東京大学農学部林学科助手
1980年 建設省土木研究所研究員
1986年 東京大学農学部林学科助教授
1989年 東京大学工学部土木工学科助教授
1991年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻教授
2006年 政策研究大学院大学教授、東京大学名誉教授
主な受賞歴:
1986年 国立公園協会 田村賞
1990年 土木学会田中賞(森の橋・広場の橋)
1996年 土木学会田中賞(東京湾横断道路橋梁)
2000年 土木学会デザイン賞優秀賞、土木学会田中賞(阿嘉橋)
2000年 土木学会出版文化賞「土木造形家 百年の仕事-近代土木遺産を訪ねて」
2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞、土木学会田中賞(新港サークルウォーク)
2002年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(阿嘉橋、JR中央線東京駅付近高
2004年 土木学会田中賞(朧大橋)
2004年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(陣ヶ下高架橋)
2004年 グッドデザイン賞 金賞(長崎・水辺の森公園)
2005年 土木学会田中賞(謙信公大橋)
2006年 土木学会出版文化賞「土木デザイン論-新たな風景の創出をめざして-」
2007年 土木学会田中賞(新西海橋)
2008年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(苫田ダム空間のトータルデザイン)
2008年 土木学会田中賞(新豊橋)
2008年 ブルネル賞(JR九州 日向市駅)
2008年 日本鉄道賞ランドマークデザイン賞(JR四国 高知駅)
2009年 鉄道建築協会賞停車場建築賞(JR四国 高知駅)
2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(新豊橋)
主な著書:
1982年「土木景観計画」、技報堂出版
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1987年「水環境の保全と再生」(共著)、山海堂
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1991年「港の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1994年「橋の景観デザインを考える」(編)、技報堂出版
1994年「日本土木史」(共著)、技報堂出版
1999年「土木造形家百年の仕事」、新潮社
2003年「都市の未来」(編、共著)、日本経済新聞社
2003年「土木デザイン論」、東京大学出版会
2005年「都市の水辺をデザインする」(編、共著)
2006年「篠原修が語る日本の都市 その近代と伝統」
2007年「ものをつくり、まちをつくる」(編、共著)
2008年「ピカソを超える者はー景観工学の誕生と鈴木忠義」、技報堂出版
組織:
GSデザイン会議
東京都文京区本郷6-16-3 幸伸ビル2F
TEL:03-5805-5578
FAX:03-5805-5579
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