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2012.08.29
都市交通の再びの多様化、分離と混合の政策
篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
1.都市の交通手段の多様化と純化
都市内の移動に関して、我々はどの様な交通手段を用いてきたのであろうか。明治の近代化以降の歴史を概観する事によって、現代の状況を再確認する事から始めよう。その動きは、多様化と純化の二極間の往復運動であったと言える。
江戸時代の都市内交通手段は単純だった。徒歩が主要な手段であり、これに駕籠が加わっていた。 稀には武士の馬があったのみである。明治になると多様化が始まる。人力車が登場し、それに遅れて路面電車が発達し始める。明治から大正の時代 は路面電車と荷車の黄金時代であった。この状況に対応して、大正8(1919)年に公布された道路法の「街路構造令」では、側道を備えた複断面の街路が標準設計となっていた。中央が車道(含む路面電車)、分離帯の外側が荷車などの緩速車線であり、更にその外側が歩道である。並木は4列となっていた。分離を実現した街路の設計だった。 昭和の時代になると、これに地下鉄が加わる。本格化するのは戦後ではあるが。そして東京が本格的にモータリゼーションとなるのは、昭和30年代である。都市交通は渋滞で麻痺状態となった。その解決策として首都高が計画され、昭和37(1962)年にその一部が実現するのである。徒歩、荷車、路面 電車、バス、自家用車に地下鉄、更に首都高。都市内交通手段が最も多様化していた時代であったと言えよう。この時代から都市内交通政策は純化の方針をとるようになる。自家用車の増加を仕方のない傾向と受け止め、その障害となる路面電車を撤去し始めるのである。昭和43(1968)年、今も残る荒川線を除いて、東京から路面電車は姿を消した。荷車も何時の間にか見られなくなる。多くの都市が東京に追従した。都市内の交通手段は純化され、徒歩、地下鉄、自家用車が主流となり、タクシーがこれを補完する。バスは細々と生き延びている。これが我が国の大都市の現状であろう。
この状況に一石を投じたのが、近年の自転車の再評価の動きである。それも、ただの自転車だけではないシェアリング自転車が登場したのである。 シェアリング自転車は、周知のようにヨーロッパ の諸都市では都市内交通の重要な手段として位置づけられつつある。この再びの多様化をどう考えるかが、課題となっているのである。
2.都市内交通政策の展開
前項に述べたような状況の変化に対応して、どの様な交通政策が取られて来たのかを、ざっと概観しておこう。政策の視点は、分離と混合をどう扱うか、これが第一点、第二が公共交通とマイカーの扱いである。
(1)交通手段の分離と混合
1960年代の主流はブキャナンレポートに示される、異種交通の分離であった。車と歩行者系は厳密に分離されるのが理想となった。とき恰も、交通事故多発の時代であり、交通安全が課題であった時代である。この分離政策を受けて、ニュータウンでは歩行者専用道路や緑道が常識になり、 都市内では数多くの歩道橋が建設された。しかし既存の都市では全ての街路で分離を実現する事は出来ない。ここにコミュニティ道路という発想が生まれる。車のスピードを制限し、歩行者を優先する街路であった。この政策もヨーロッパ発の政策だった。更にこの発想が発展すると、トランジットモールとなる。歩行者専用の街路に、路面電車やタクシー、バスなどの公共交通のみが通行を許されるというものである。
我が国においても、分離が追求された。ニュータウンがその典型である。しかし既存の都市では、横断歩道橋の設置が精一杯の所だった。交通手段が歩行者、バス、車に限られている時代はこれでよかったのだが、自転車が再登場し始めると曖昧なままにされていた交通政策が問われる事となる。従来は自転車は歩行者と同様に扱われ、歩道を通行させる事になっていた。自転車の交通量が増大し、スピードも速くなれば歩行者と共存出来るわけはないのである。現在取ろうとしているのは自転車の分離であるが、我が国の街路断面には、その余裕はない。しかし歩行者との混合に戻ることは最早不可能であろう。そして車との混合は余りにも愚策である。
(2)公共交通の重視
我が国の都市交通政策は一貫して、軌道系の公共交通重視策をとってきた。戦前は路面電車をせっせと整備し、モータリゼーションでそれを駆逐すると地下鉄の整備に邁進してきた。政策に一貫性を求めるなら、その一方で私的な交通にコントロールをかけるべきであったろう。例えば車に対する入市税を。このような私に対する政策については無策だった。であるから、地方では車社会となってバスは衰退し、鉄道も通学のみの交通となってしまった。今回の話題である自転車も同様の問題である。 大都市近郊や地方都市では、私的な交通手段である自転車の為に駐輪場を懸命に整備している。自転車は車と同様、私的な交通手段なのだから、甘やかしてはならない。違法駐輪には罰金を取るべきである。今の自転車政策は公共交通重視の政策とは矛盾しているのである。バスを重視するなら駐輪の料金をもっと高く設定すべきであるし、公共交通と私的な交通という観点からすれば、一般の自転車とシェアリング自転車は全く異なった交通手段であると位置づけなければならない。公共交通を重視するなら、シェアリング自転車を優遇し、私的な自転車をもっと冷淡に扱うべきなのである。
3.我が国における交通政策の行方
公共交通重視の政策は、大都市では成功を収めたと言ってよいだろう。交通の面では機能しているからである。ただしそれはハードの整備に限られていた為、地方の都市では悲惨な結果となって現れた。
ソフトの私的な交通コントロールを欠いた為にバスなどの公共交通が衰退したのであった。この欠陥はトランジットモールが実現出来なかった事に端的に現れている。今後はソフト面の強化が不可欠となろう。
第二の問題は分離と混合をどう扱うかである。特に曖昧なままにしておいた自転車の扱いである。省エネと健康の観点からヨーロッパに倣って奨励するなら、歩行者との混合はもはや許されまい。車線を削って自転車専用車線を設けるしかあるまいと思う。ただし、先にも述べたように一般の自転車は私的な交通手段であり、基本的にはコントロールの対象とすべきである。地方ではよいとしても大都市では抑制し、シェアリング自転車を奨励すべきだろう。公共交通重視が大都市交通政策の基本なのだから。
最後に都市交通政策の今後について、私見を述べておきたい。モータリゼーション以降の交通政策は交通事故対策がその根幹をなしていた。今、交通事故死は最盛期の半分以下になっている筈である。都市交通政策の基本を交通事故対策から、都市生活を楽しむ為の交通政策に切り替える時期に来ていると考える。ヨーロッパではそれが既に実践され、都心ゾーンの恒常的な歩行者天国やトランジットモールとなっているのである。前者が交通手段の分離によって、後者が交通手段の混合によっている事は容易にわかろう。この二つの典型のいずれも、我が国では実現出来ていない。ただ皮肉な事に、ゾーン型の歩行者天国は郊外のショッピングモールで実現されているのである。筆者の好む空間ではないが、子供をもった家族に人気があるのは、ショッピングと飲食、ブラブラ歩きを楽しめる交通政策となっているからであろう。なに、ヨーロッパの都心で実現されている交通政策と空間のミニコピーを持って来ているだけなのである。これが日本の既存の都市では出来ない、残念ながら。
日本の都市は城壁が起源のヨーロッパの都市とは違って、ゾーン型ではなく格子状のリニア型だから、完全な歩行者天国にはし難い。しかし、トランジットモールには適している筈である。だが我が国では、かっての側道を備えた複断面のメインストリート以後、混合交通を上手く運用した経験がないので、そこまで踏み切れるかどうか、甚だ心許ないと言わざるを得ない。都市交通が単なる移動の手段から都市生活を楽しむ為の交通となっていくという事は、交通手段が必然的に多様化するという事を意味する。分離と混合の使い分け、私的交通のコントロールが今後の鍵を握っているのだろうと思う。
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篠原 修Osamu Shinohara
GSデザイン会議|EA協会 会長
資格:
工学博士
略歴:
1968年 東京大学工学部土木工学科卒業
1971年 東京大学工学系研究科修士課程修了
1971年 (株)アーバン・インダストリー勤務
1975年 東京大学農学部林学科助手
1980年 建設省土木研究所研究員
1986年 東京大学農学部林学科助教授
1989年 東京大学工学部土木工学科助教授
1991年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻教授
2006年 政策研究大学院大学教授、東京大学名誉教授
主な受賞歴:
1986年 国立公園協会 田村賞
1990年 土木学会田中賞(森の橋・広場の橋)
1996年 土木学会田中賞(東京湾横断道路橋梁)
2000年 土木学会デザイン賞優秀賞、土木学会田中賞(阿嘉橋)
2000年 土木学会出版文化賞「土木造形家 百年の仕事-近代土木遺産を訪ねて」
2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞、土木学会田中賞(新港サークルウォーク)
2002年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(阿嘉橋、JR中央線東京駅付近高
2004年 土木学会田中賞(朧大橋)
2004年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(陣ヶ下高架橋)
2004年 グッドデザイン賞 金賞(長崎・水辺の森公園)
2005年 土木学会田中賞(謙信公大橋)
2006年 土木学会出版文化賞「土木デザイン論-新たな風景の創出をめざして-」
2007年 土木学会田中賞(新西海橋)
2008年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(苫田ダム空間のトータルデザイン)
2008年 土木学会田中賞(新豊橋)
2008年 ブルネル賞(JR九州 日向市駅)
2008年 日本鉄道賞ランドマークデザイン賞(JR四国 高知駅)
2009年 鉄道建築協会賞停車場建築賞(JR四国 高知駅)
2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(新豊橋)
主な著書:
1982年「土木景観計画」、技報堂出版
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1987年「水環境の保全と再生」(共著)、山海堂
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1991年「港の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1994年「橋の景観デザインを考える」(編)、技報堂出版
1994年「日本土木史」(共著)、技報堂出版
1999年「土木造形家百年の仕事」、新潮社
2003年「都市の未来」(編、共著)、日本経済新聞社
2003年「土木デザイン論」、東京大学出版会
2005年「都市の水辺をデザインする」(編、共著)
2006年「篠原修が語る日本の都市 その近代と伝統」
2007年「ものをつくり、まちをつくる」(編、共著)
2008年「ピカソを超える者はー景観工学の誕生と鈴木忠義」、技報堂出版
組織:
GSデザイン会議
東京都文京区本郷6-16-3 幸伸ビル2F
TEL:03-5805-5578
FAX:03-5805-5579
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