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2011.11.03

人間生活圏再生に関する生態学的考察

篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)

はじめに

ここに記した文章は、人間の人情を離れて、つまり悲しみ、嘆き、よろこび、怒ると言った感情を一旦脇に置いて、今回の地震、津波と言う自然現象を人間の居住との関係でどう考えたらよいかを記述したものである。関係者にとっては冷徹にすぎると、批判の声があろうかとも思うが、このような視点から考える必要もあると思い、あえて公表することとした。

⒈ 津波による人間生活圏の喪失も自然の法則に従う不可避の生態学的遷移の一過程である

3 .11の東日本大震災による地震、津波は死者、行方不明2万人以上の大災害となった。ここでは、その被害の実態や防災対策、避難システムなどの現実的な問題から視点を引いて、冷酷とおもわれる点まで視点を引いて、生態学的な観点から自然による大災害とそこからの復興、再生について試論を述べてみよう。
今回の地震は貞観以来の、1000年サイクル規模の大災害といわれる。1000年とは言わないまでも、日本列島では10年、20年、50年、100年サイクルの災害は別に珍しい事ではない。自然は常に変化し、人間の生活圏も変化する、それが我が国の歴史であり、また世界の歴史でもあった。地球が生きているかぎり、そして人間が生きている限り変化、生態学的には変遷は、避けようのない物質宇宙界の真理である。この観点からすれば、今回の津波による人間生活圏の喪失も生態学的遷移の一つにほかならない。この大災害による遷移をどう捉え、生態学的観点に立脚して復興、再生をどう考えるべきか、それがここでの課題である。
従来の復興計画では、人為を強化して、つまり、従前以上の防災対策を施して都市や町を再生させる方法が取られてきた。関東大震災からの帝都復興事業、阪神淡路大震災の復興、新潟地震の山古志村の復興など、少なくとも明治以来の復興は全てこのパターンであり、例外はない。しかし、この度の東日本大震災はこの従来型の復興に深刻な疑問を突きつけている。人為の強化によって自然の災害を防ぐことは出来るのだろうか、と。ここに生態学な観点が要求されているのだと考える。

⒉ 遷移と安定について

遷移は必然であるとのべた。しかし安定も必要である。安定がなければ人間生活圏の健全な持続はないのだから。

(1)自然環境の遷移と安定

人為の加わらない自然では、遷移と安定はどの様な関係にあるのだろうか。まずこの点を再確認しておこう。自然の営為には植物を育てる「育成の自然」と環境を破壊する「脅威(破壊)の自然」がある。落雷による山火事や津波による倒壊により、従来の環境は失われる。しかし、やがて育成の自然により、先駆植生が侵入し、それを追って陽性の植生が育ちはじめ、遷移が進行しはじめる。その行き着く先はクライマックスと呼ばれる極相安定である(図1-2)。この極相安定はその土地の気候により定められている。その後の(全体の)安定は老木の枯死などによる、個の更新により担保されているのである(図1-1)。この極相安定は脅威の自然がないかぎり、持続する最も安定度の高い安定である。
脅威の自然の規模が小さい場合にも、一般には撹乱と呼ばれるが、自然環境は乱される。小規模な山火事や5年、10年サイクルの洪水がそれにあたる。この小撹乱により環境は一時的に不安定となるが、この撹乱により環境の状態はむしろ改善されることも多い。例えば小洪水は鮎の生息に好影響を与えることが知られている(図1-3)。

 

図1-1 自然・極相安定(クライマックス)における持続と更新

 

図1-2 自然の大撹乱(破壊)と遷移・安定

 

図1-3 自然・極相安定(クライマックス)における小撹乱と持続

 

(2)人為・自然環境の遷移と安定

次に自然に人為が介入する場合を考えてみよう。人為には日々の生活を営むための生活の人為と,より本格的に環境を改変する工作物の人為に分けられる。百姓は樹木を伐採し、畑を作り、天水を溜め、あるいは川から水を引き田をひらく。その結果が里山、里地、草原である。定期的な耕作、薪炭的な山の利用によりこの環境は維持される。日常的な生活の人為と育成の自然の力がバランスし局所安定がもたらされる(図2-1)。
工作物の人為がより強まり、介入の度合が高くなるに従い、その環境は村、町、都市となって現れる(図2-2)。いずれの状態も局所安定が可能であるが、人為の度合が高くなればなるほどその局所安定は脆弱なものとなる。膨大なエネルギーを投入することによって、都市の局所安定はかろうじて保たれているのである。例えば、東京のことを考えてみればよい。電力、食糧、水など、膨大な生活人為の投入によって東京の局所安定が支えられているのである。
今問題になっている過疎、廃村は生活の人為の度合いが低下し、より安定度の高い自然への遷移であると捉えられる(図3-1)。逆に生活の人為が強まり、育成の自然を圧倒するようになると局所安定は崩れ町や都市は廃墟化する。我が国にその例は少ないが、過剰な森林の伐採による砂漠化や地下水の汲み上げによる塩害が田、畑の荒廃をまねく。局所安定はここでもくずれ、生活圏は崩壊する(図3-2)。育成の自然と生活の人為のバランスが鍵を握っているのである。

 

図2-1 自然・人為Ⅰの持続 局所安定Rural (里山・草原・田畑)

 

図2-2 自然・人為Ⅱの持続 局所安定Town (村・まち・都市)

 

図3-1 過疎・廃村への遷移

 

図3-2 人為の過剰による廃墟化

 

⒊ 持続について

有限な資源の制約下においていかに人類を生き延びさせるか、このサステイナビリティの問題が21世紀の課題であると言われて久しい。今回の復興にあたってもこの課題が突きつけられている。つまり、復興事業はよいが問題はそれの結果を安定的に持続出来るかどうかである。工作物の人為の投入により立派に復興出来たとしても、その局所安定を本当に維持出来るのかが問われなければならない。村、町、都市の安定は所詮、局所安定でしかないのだから。

(1)生物型持続と鉱物型持続

さて持続、長くつづくことについて、我々はそれをどうイメージしているだろうか。最も分かりやすいのは、ものの持続であろう。紀元前後からあるローマの水道橋、最古の木造建築である法隆寺など。これを実体が持続する鉱物型持続と呼んでおこう。これに対し、個は消滅するのだが、それの連鎖が持続を保障するタイプの持続を生物型持続と呼ぼう。人類を始めとする生物の持続がこれに当たる。どちらの持続がより持続的かといえば、勿論生物型に軍配があがる。以上に付け加えておくと、我が国には伊勢神宮型の持続があって、これは生物ではなくものではあるが、生物型の持続の範疇に属する。生物型の持続は個の循環と遺伝子による全体の持続であるといえよう。

(2)直線思考とサイクル思考

次に持続に深い関係をもつ歴史、つまり時間の流れの捉え方について。西欧的思考を支えているキリスト教と進歩史観はあきらかに、直線思考であろう。これに対し明治以前の思考パターンは仏教がその根底にあるサイクル思考であろう。実体は持続せず、ものは輪廻する。以上の相違は生活圏の持続と社会の持続の考え方に反映する。都市にせよ村にせよ、人間の生活圏はその単位が人間である以上生物型の持続となるが、西欧ではその思考パターンにより人間生活圏は直線的に進歩しつづけると考える。この信念が人口の爆発的増大と有限の資源という壁に当って揺らいでいることは周知の所であろう。明治以前の日本では社会全体が自給自足体制であったこともあって、生活圏は循環型であった。人口はほぼ一定に保たれ、物質は人間の生活圏を通って循環していた。この事実もサイクル思考を強めたと言えるであろう。
一方、その生活圏を入れる器である町や都市はどう考えられていたのだろうか。西欧では一度築かれたまちや都市は、余程のことがない限り不滅であり、持続するものと考えられてきた。有名な第二次世界大戦後のワルシャワ復興に代表されるように、破壊された都市でさえも完璧に復元され、持続させるべきものであった。鉱物型持続思考の典型がここにある。これに対し我が国の町、都市は鉱物型持続の対象とは考えられてこなかった。東京ほかの戦災復興では旧の姿に復旧されたものは皆無であり、むしろこれがチャンスであるばかりに区画整理をおこない、都市の姿は一変したのである。
では日本の都市はどの様に持続してきたのであろうか。江戸を例に考えてみよう。江戸は約260年の間に10回の大火に見舞われている。大火のみを取り上げても20年から30年に一度は焼け野原になっていた勘定になる。火事の度毎に町は、多少の変化を伴いつつも、旧に復していたのである。火事は、河川に例えれば小撹乱の洪水であり、むしろ火事によって都市の健全さが保たれていたと言うこともできよう。以上の社会と都市の持続の型の相違を示せば、図4-1、図4-2となろう。

図4-1 ヨーロッパ都市の持続(進歩史観)

図4-2 江戸の持続(循環史観)

4. 人間生活圏の持続と再生

(1)人間生活圏は所詮、局所安定でしかないこと

ここでおさらいをしておこう。要は自然と人為のバランスに帰着する、安定も持続も。
a.育成の自然と生活の人為のバランス
人為が引けば、極相安定に向かっての遷移。過疎、廃村。
人為が過剰になれば、不安定に向かって遷移し、最終的には崩壊。廃墟化。
b.脅威の自然と工作物の人為のバランス
脅威の自然が工作物の人為を超えれば極相安定に向かっての遷移。地震、津波。今回の東日本大震災。

(2)持続的再生の為に

単なる再生ではなく、持続出来る再生を考えねばならない。その為には喪失前の生活圏の自然、人為のバランスを冷静に診断し、その診断にもとづいて再生生活圏を想定しなければならない。以下に過去の復興事業の考え方とその結果を、些か乱暴である事を承知の上で、まとめておこう。
[都市]
帝都復興;局所安定であったと診断。—-広幅員街路、区画整理などの工作物人為の強化、一方で自然性を高める空地を導入。—-成果。帝都復興は一般に成功した事業であると評価されている。後に昭和天皇が「あの時に後藤新平に存分にやらせておけば(第二次世界大戦での)空襲の被害は小さくてすんだろう」と述懐したのは有名な話である。それはより多くの広幅員街路であり、少数に終わった公園を意味していよう。つまり、空地と緑と言う自然の導入の不十分さを嘆いたのであった。

東京戦災復興;人為過剰であったと診断(人口650万)。-人為削減(目標人口350万)、空地、樹林帯の導入(育成の自然の導入)-失敗。人為を減らして自然を増やし、より安定的な局所安定を考えたのが戦災復興計画であった。しかし、戦後の経済成長力を過小評価したためにこの計画は失敗に終わった。

 [山村]
山古志;地すべり地帯、局所不安定であったと診断。-工作物人為の強化(砂防ダム、斜面アンカーなど)、生活人為の減少-?。概成を見た限りでは徹底的な人為強化の復興であった。自然はコンクリートで固められ、我々日本人が郷愁を抱くような山村の景観は失われてしまった。ここを観光やエコツーリズムで訪れようと思う人は少数であろう。

 [漁村・町]
田老の明治、昭和の復興;局所安定と診断。-工作物人為の強化(巨大防潮堤)-失敗。
吉浜の復興;局所安定と診断。-高台移転(生活人為の撤退)-成果。この2例には説明は不要であろう。

⒌ 東日本大震災・津波からの持続的再生

事業の前提;中長期トレンドとしての人口減少(生活人為の減少)。
復興事業の目標は図5に示す4つの途が考えられる。復興Aは明治以来の従来型の復興である。工作物人為を強化し、脅威の自然に対抗しようとする。ただしこの方法には限界がある事を示したのが今回の大震災であると考えるべきである。いかに大防潮堤を作ろうとも完璧という事はありえず、またその大防潮堤を100年、200年と維持管理することが出来るであろうか。巨大堤防の維持管理をはじめとする生活人為の膨大な部分をそこに割かねばならないのだから。そこにかかる財源をどう確保出来るだろうか。

復旧については説明は不要であろう。次の復興Bは生活人為と育成の自然のバランスを考えて工作物人為のレベルをむしろ下げ、人口減少下においても維持管理可能とする。脅威の自然に対しては避難で対応する。膨大になることが予想される投資を回避する事ができる。山古志の概成を見ての素朴の疑問は、守るべき生活圏に対してその投資が余りに過大ではないか、と感じた事であった。
最後の撤退は生活圏の移転である。今説明してきた順に生活圏の安定度は上がっていく。つまり、復興Aが最も安定度の低い局所安定である。工作物人為が強化されればされる程不安定になると考えなければならない。各市町村の、また各地区の地形、歴史と将来の人口に応じて、どの復興パターンを選ぶかが吟味されるべきであろう。
ここは一つ冷静になって、望んでいるライフスタイル、人口規模、産業活動などを考慮して、他人の援助を当てにしないでもやっていける財政力にふさわしい生活人為力で、自然の営為、脅威とのバランスを考えたいとおもう。

また、今回は津波が脅威の自然として前面にでているが、脅威の自然には洪水もあれば台風もあり、崖崩れなども考えておかねばならない。さらに最も重要な点は、持続の単位を何処に置くかであろう。20年持続すればよいのか、いや100年なのか、1000年を視野に入れるのか。ここは真の意味での思案のしどころであろう。

図5 大災害からの復旧・復興の途

終わりに.

以上の考察が現実の復興の直接の役にたつとはおもわれないが、生態学的にみれば我々の生活圏は微妙なバランスの上になりたつ局所安定でしかなく、それは常に遷移へと滑りだす危険を孕んでいる事が理解いただければ幸いである。

追。この原稿は「早稲田まちづくりシンポジウム2011」2011.7.3の講演で話した内容を文章化したものです。

復興に向けて大切なこと

篠原 修Osamu Shinohara

GSデザイン会議|EA協会 会長

資格:
工学博士

 

略歴:
1968年 東京大学工学部土木工学科卒業

1971年 東京大学工学系研究科修士課程修了

1971年 (株)アーバン・インダストリー勤務

1975年 東京大学農学部林学科助手

1980年 建設省土木研究所研究員

1986年 東京大学農学部林学科助教授

1989年 東京大学工学部土木工学科助教授

1991年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻教授

2006年 政策研究大学院大学教授、東京大学名誉教授

 

主な受賞歴:
1986年 国立公園協会 田村賞

1990年 土木学会田中賞(森の橋・広場の橋)

1996年 土木学会田中賞(東京湾横断道路橋梁)

2000年 土木学会デザイン賞優秀賞、土木学会田中賞(阿嘉橋)

2000年 土木学会出版文化賞「土木造形家 百年の仕事-近代土木遺産を訪ねて

2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞、土木学会田中賞(新港サークルウォーク)

2002年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(阿嘉橋、JR中央線東京駅付近高

2004年 土木学会田中賞(朧大橋)

2004年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(陣ヶ下高架橋)

2004年 グッドデザイン賞 金賞(長崎・水辺の森公園)

2005年 土木学会田中賞(謙信公大橋)

2006年 土木学会出版文化賞「土木デザイン論-新たな風景の創出をめざして-

2007年 土木学会田中賞(新西海橋)

2008年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(苫田ダム空間のトータルデザイン)

2008年 土木学会田中賞(新豊橋)

2008年 ブルネル賞(JR九州 日向市駅)

2008年 日本鉄道賞ランドマークデザイン賞(JR四国 高知駅)

2009年 鉄道建築協会賞停車場建築賞(JR四国 高知駅)

2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(新豊橋)

 

主な著書:
1982年「土木景観計画」、技報堂出版

1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版

1987年「水環境の保全と再生」(共著)、山海堂

1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版

1991年「港の景観設計」(編、共著)、技報堂出版

1994年「橋の景観デザインを考える」(編)、技報堂出版

1994年「日本土木史」(共著)、技報堂出版

1999年「土木造形家百年の仕事」、新潮社

2003年「都市の未来」(編、共著)、日本経済新聞社

2003年「土木デザイン論」、東京大学出版会

2005年「都市の水辺をデザインする」(編、共著)

2006年「篠原修が語る日本の都市 その近代と伝統」

2007年「ものをつくり、まちをつくる」(編、共著)

2008年「ピカソを超える者はー景観工学の誕生と鈴木忠義」、技報堂出版

 

組織:
GSデザイン会議

東京都文京区本郷6-16-3 幸伸ビル2F

TEL:03-5805-5578

FAX:03-5805-5579

HP:http://www.groundscape.jp/

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