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2022.01.17
景観の履歴と今後、歴史感覚を持って
篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
1.国の景観政策
これでやっと欧米並みの文化国家となったか、と思われたのは景観法が公布された平成16年(2004)だった。ほぼ20年前。都市景観をテーマにした法は、大正8年(1919)の都市計画法と市街地建築物法で、風致地区と美観地区の制度ができた。一方の自然景観を対象にした制度は国立公園法で、これは昭和6年(1931)。両法を括ると、ほぼ100年前となる。今回の景観法では自然と都市の間の田園地帯も対象としたので、これで理屈上は国土の全てが景観政策の対象となりうる事になって、欧米並と言ったのである(実態はともかく法の上ではね)。
忘れてはいけない。戦前の法はともかくとして景観法が成立するに至ったのは、国の冷淡さをよそに、神戸市、横浜市を筆頭とする自治体の景観行政の開始とその全国への波及があったからで、法的な裏付けが取れない中で自主条例で奮闘して来た彼らの努力を讃えなければならない。この運動は1960年代からだから、およそ60年前。つまり、我が国の景観政策は100年前、60年前、20年前という歴史の区切りを持つ事となる。
2.我々、景観グループの歩み
戦前は別にして、戦後の景観研究、景観デザインを中心的に担って来たのは、造園でも建築、都市計画でもなく、土木出身のエンジニア・アーキテキトだったと自負する。その足どりを振り返ってみる。
土木の景観の創始者は鈴木忠義先生だったが、その最初の弟子は中村良夫さんで、景観での卒論を提出したのが昭和38年(1963)。ほぼ60年前、ここから土木における景観がスタートしたのだ。2年後の昭和40年に東大に戻って来て助手(現在の助教)、この時点で景観で飯が食えていたのは彼一人である。東工大に移って太田川を対象に河川の景観デザインを始めたのが、昭和52年(1977)。いまを去る事45年前となる。篠原が筑波から林学科で最初のデザインとなる松戸の広場の橋に取り掛かったのが、昭和62年。35年前であった。この時点で、景観で飯を食っていたのは、先輩の樋口忠彦さん、後輩を含めても5、6人だったろう。皆、大学であった。中村さんは多作ではなかったので、景観デザインの仕事が本格化するのは篠原の松戸の橋以降で、橋梁、街路・道路、広場、河川、ダム、駅とほぼ全ての公共事業が対象となっている。篠原が林学から土木に戻って、景観研究室が出来たのが平成4年(1992)で、30年前となる。
以上で何が言いたかったかというと、大学、官公庁、民間のコンサルタント、設計事務所を含めて、今のように多くのエンジニア・アーキテキトが景観で飯が食えるようになったのは、高々この30年の事に過ぎないという事で、景観の研究もデザインも新興の分野なのである。これを発展させるのも、没落に追いやるのも、中堅、若者、つまり、諸君次第であるという、事実なのだ(過去の履歴が中村、篠原ら次第だった事を振り返って)。
歳をとってくるとこういう歴史感覚になるが、若者にも不可欠な感覚だと思う。中国の故事が言うように、歴史感覚が無いものは滅びると。
2022年 新年のご挨拶
- 景観の履歴と今後、歴史感覚を持って
- 篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
篠原 修Osamu Shinohara
GSデザイン会議|EA協会 会長
資格:
工学博士
略歴:
1968年 東京大学工学部土木工学科卒業
1971年 東京大学工学系研究科修士課程修了
1971年 (株)アーバン・インダストリー勤務
1975年 東京大学農学部林学科助手
1980年 建設省土木研究所研究員
1986年 東京大学農学部林学科助教授
1989年 東京大学工学部土木工学科助教授
1991年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻教授
2006年 政策研究大学院大学教授、東京大学名誉教授
主な受賞歴:
1986年 国立公園協会 田村賞
1990年 土木学会田中賞(森の橋・広場の橋)
1996年 土木学会田中賞(東京湾横断道路橋梁)
2000年 土木学会デザイン賞優秀賞、土木学会田中賞(阿嘉橋)
2000年 土木学会出版文化賞「土木造形家 百年の仕事-近代土木遺産を訪ねて」
2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞、土木学会田中賞(新港サークルウォーク)
2002年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(阿嘉橋、JR中央線東京駅付近高
2004年 土木学会田中賞(朧大橋)
2004年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(陣ヶ下高架橋)
2004年 グッドデザイン賞 金賞(長崎・水辺の森公園)
2005年 土木学会田中賞(謙信公大橋)
2006年 土木学会出版文化賞「土木デザイン論-新たな風景の創出をめざして-」
2007年 土木学会田中賞(新西海橋)
2008年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(苫田ダム空間のトータルデザイン)
2008年 土木学会田中賞(新豊橋)
2008年 ブルネル賞(JR九州 日向市駅)
2008年 日本鉄道賞ランドマークデザイン賞(JR四国 高知駅)
2009年 鉄道建築協会賞停車場建築賞(JR四国 高知駅)
2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(新豊橋)
主な著書:
1982年「土木景観計画」、技報堂出版
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1987年「水環境の保全と再生」(共著)、山海堂
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1991年「港の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1994年「橋の景観デザインを考える」(編)、技報堂出版
1994年「日本土木史」(共著)、技報堂出版
1999年「土木造形家百年の仕事」、新潮社
2003年「都市の未来」(編、共著)、日本経済新聞社
2003年「土木デザイン論」、東京大学出版会
2005年「都市の水辺をデザインする」(編、共著)
2006年「篠原修が語る日本の都市 その近代と伝統」
2007年「ものをつくり、まちをつくる」(編、共著)
2008年「ピカソを超える者はー景観工学の誕生と鈴木忠義」、技報堂出版
組織:
GSデザイン会議
東京都文京区本郷6-16-3 幸伸ビル2F
TEL:03-5805-5578
FAX:03-5805-5579
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