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2015.01.13
エンジニア・アーキテクトで土木を立て直そう
篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
明治になって西欧から近代技術が導入され、国づくり、都市づくりに関わる職能は土木と建築ということになった。ただしその役割分担は西欧と違い、建物が建築にそれ以外の橋や道路、河川、港湾などのインフラが土木という分担になった。本家の西欧では日本のように対象のもので分けるのではなく、構造が土木で意匠が建築という分け方になっていた。従って西欧では建築家は橋もやるしダムもデザインする。一方の土木エンジニアは勿論橋もやるが、同時に建築の構造も仕事のうちである。
なぜ我が国でこういう分け方になったのかはわからないが、江戸時代以来の「普請と作事」という職能の分け方を引き継いだのではないかと考える。普請は道路普請、河川普請という言葉から容易に想像できるようにインフラに関わる仕事であり、堀の開削や築城、城下町の縄張りは武士が指揮する仕事だった。実際はその下に職人が居た筈であるが、熊本城の築造は加藤清正がやった仕事ということになっている。また多くの築城の指揮をとったのも藤堂高虎であるとされる。これに対し作事は当初こそ武士の仕事であったのが民間に委託されるようになり、甲良や中井などの棟梁が輩出することになって明治を迎えるのである。
我が国においても当初は土木のエンジニアが建築家を助けて、建築の構造を担当していた。橋梁で有名な樺島正義や阿部美樹士などである。しかし建築界に佐野利器が出るに及んで建築では構造家を育て始める。それが功を奏して日本の建築は構造家と、その後の設備家も加えて自己完結した職能集団となったのであった(これは世界的にみると特殊である)。このような情勢に置いていかれたのが土木だった。土木では建築が開拓したような自分に不足する分野、つまりデザイナーを養成しようとはしなかった。その結果、デザイン部門が欠けた片肺飛行となってしまったのである。このデザイン不在に拍車をかけたのが戦後のコンサルタントへの外注と標準設計だった。誰にでもとは言わないが、設計はプロの仕事ではなくなり土木のエンジニアは自らの社会的地位を下げてしまったのである。時代も平成となって、土木にもようやくデザインを専門とするエンジニアが育ち、活躍するようになった。その代表集団がエンジニア・アーキテクト(EA)協会に他ならない。以上に述べた歴史的経緯に照らして見るなら、EA協会こそが片肺飛行を続けてきた土木を救う集団であると自負してよいと思う。
2015年 新年のご挨拶
- エンジニア・アーキテクトで土木を立て直そう
- 篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
篠原 修Osamu Shinohara
GSデザイン会議|EA協会 会長
資格:
工学博士
略歴:
1968年 東京大学工学部土木工学科卒業
1971年 東京大学工学系研究科修士課程修了
1971年 (株)アーバン・インダストリー勤務
1975年 東京大学農学部林学科助手
1980年 建設省土木研究所研究員
1986年 東京大学農学部林学科助教授
1989年 東京大学工学部土木工学科助教授
1991年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻教授
2006年 政策研究大学院大学教授、東京大学名誉教授
主な受賞歴:
1986年 国立公園協会 田村賞
1990年 土木学会田中賞(森の橋・広場の橋)
1996年 土木学会田中賞(東京湾横断道路橋梁)
2000年 土木学会デザイン賞優秀賞、土木学会田中賞(阿嘉橋)
2000年 土木学会出版文化賞「土木造形家 百年の仕事-近代土木遺産を訪ねて」
2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞、土木学会田中賞(新港サークルウォーク)
2002年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(阿嘉橋、JR中央線東京駅付近高
2004年 土木学会田中賞(朧大橋)
2004年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(陣ヶ下高架橋)
2004年 グッドデザイン賞 金賞(長崎・水辺の森公園)
2005年 土木学会田中賞(謙信公大橋)
2006年 土木学会出版文化賞「土木デザイン論-新たな風景の創出をめざして-」
2007年 土木学会田中賞(新西海橋)
2008年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(苫田ダム空間のトータルデザイン)
2008年 土木学会田中賞(新豊橋)
2008年 ブルネル賞(JR九州 日向市駅)
2008年 日本鉄道賞ランドマークデザイン賞(JR四国 高知駅)
2009年 鉄道建築協会賞停車場建築賞(JR四国 高知駅)
2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(新豊橋)
主な著書:
1982年「土木景観計画」、技報堂出版
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1987年「水環境の保全と再生」(共著)、山海堂
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1991年「港の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1994年「橋の景観デザインを考える」(編)、技報堂出版
1994年「日本土木史」(共著)、技報堂出版
1999年「土木造形家百年の仕事」、新潮社
2003年「都市の未来」(編、共著)、日本経済新聞社
2003年「土木デザイン論」、東京大学出版会
2005年「都市の水辺をデザインする」(編、共著)
2006年「篠原修が語る日本の都市 その近代と伝統」
2007年「ものをつくり、まちをつくる」(編、共著)
2008年「ピカソを超える者はー景観工学の誕生と鈴木忠義」、技報堂出版
組織:
GSデザイン会議
東京都文京区本郷6-16-3 幸伸ビル2F
TEL:03-5805-5578
FAX:03-5805-5579
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