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2012.04.10
これから本格化する復興デザインに向けて
その1:復興に使用する材料
篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
1.被災地を見て実感した事
2011年の4月16日から18日にかけて岩手県の南部の都市を見て廻った。南の陸前高田から、大船渡、釜石、大槌、宮古の田老まで。そして8月19、20日に宮城県の石巻を見た。釜石、田老は40年程前に訪れた経験があり、石巻は湊の日和山と日本三景の松島を研究していた事があって度々訪れた所である。見る限りでは防潮堤の模範と言われた高さ10メートルの田老のそれを含め、全ての防潮堤は寄せ波あるいは引き波の何れかにより転倒、破壊されていた。防潮堤によっては細い鉄筋で基礎にアンカーされていたが、鉄筋は見事に破断され何の効果もなかったようにみえる。この鉄筋の破断は壁、柱を基礎にアンカーしてあった住宅でも同様であった。一方基礎杭が深く入っている水門は転倒、破壊を免れていた。基礎が深いか否かが明暗を分けたキーポイントの一つであると考えられる。基礎の深さは樹木の残存にも共通する。海岸の松林の殆どは転倒し、流されていた。世に防潮林と称されているこれらの樹林は実は大半が松の飛砂防備林であって、流速のない高潮には効くかもしれぬが津波には耐えられない。転倒した松の根を見ると、高い地下水位の為もあってか根は横に拡がるばかりで深い基礎にはなっていなかったのである。その一方で残っている樹木も多数あり、これらの木は(丁寧に毎木調査する必要があるが)深根性の樹木であると考えられる。印象に強く残ったのは、陸前高田の川にあった竹林で、これは川の氾濫に備えて植えらた水防林(正式には水害防備林)であろう。このような自然材を利用した伝統的な災害減災装置については後述する。以上が基礎の問題で、これが第一点である。
第二にコンクリートと土について。法面勾配の急な、直立型の防潮堤が軒並みに転倒していたことは既に述べたが、これに対し勾配の緩い鉄道や道路の盛土法面は存外に破壊を免れていた。これらの盛土は、いわば二線堤の位置にあるので津波の流速は落ちていた筈で、この点を割り引くと何とも言えぬが、コンクリートのように転倒することはないのではないかと考えられる。土坡で越流にどの程度耐えられるかが鍵を握るのだと思う。第三に木とコンクリートについて。初期の報道では木造の弱さ、コンクリートの強さが強調された。いわく、木造の建物は全て破壊されて流 されてしまったが、それに対してコンクリートの建物は頑健で残ったと。現地でチェックしてみると確かにコンクリートの建物は残っているが、木造であっても船や重量物の当たっていない建物は残っているのである。確かに潮位以上に高かったコンクリートの建物は人命を助ける効果があったといえるだろう。しかし、余り報道されなかった被災後のコンクリートの建物には大きな問題が残った。建物は残ったものの、潮を被り、ゆがんでしまった鉄骨や鉄筋コンクリートの建物は使い物にならず、既に4月の時点でペンキでバッテンマークが印されていたのである。これらは持ち主による速く取り壊してくださいと言う意思表示であった。つまり、高いコンクリートの建物は人命を救うことには有効であるが、町の復興には役に立たず、後述するように瓦礫の処理にあたっては厄介な存在となるのである。従って鉄筋コンクリートの建物は一時避難用の建物に限って許されるべきで、一般の低い建物には不適と考える。
2.復興の第一ステップである瓦礫の処理について
8月の石巻で驚いたのは瓦礫の量であった。その高さは10メートルに及ぶと見え、それが北上川河口から海岸線にかけて万里の長城の如くに連なっているのだった。それらは被災したコンクリート片、折れ曲がった鉄筋、鉄骨、木材、室内にあった家財道具などの寄せ集めである。大規模災害からの復旧に当たって行政担当者がまず頭を悩ますのが、常にこれらの瓦礫の処理である。1923年の関東大震災後の帝都復興では河川と海岸の埋め立てで処理した。この埋め立てで生まれたのが、隅田公園と山下公園であったのはよく知られていよう。川幅を狭める隅田川の埋め立てが可能だったのは、明治末に完成していた荒川放水路と隅田川が岩淵水門により分離され、隅田川には氾濫の恐れがなくなったからである。第二次世界大戦後の戦災復興では、もはや不用と考えられた掘割運河が埋め立ての対象になった。しかし戦災復興の埋め立てでは隅田公園や山下公園のような後世のストックになる社会資本は出来なかった。今回の大震災の瓦礫の処理が良好な将来のストックを生み出す事が出来るかどうか、担当者、プランナーは心すべきである。被災後もう9ヶ月なろうとする今も、瓦礫の処理には目処がついていない。この原因の一つには都市を構成する材料の問題があると思う。材料別の瓦礫の量が定かではないので確とした事は言えないのだが、関東大震災時に比べ、いや戦災復興時に比べても処理に苦労するコンクリートや鉄筋、鉄骨、プラスチックなどの人工材料が増大している為ではないか。木材なら燃やせばよいし、瓦や土塀なら元々が土だから砕いてしまえばよく、処理に手間は掛からない。
3.復興に使用する材料についての提言
土木においても河川の分野では1990年代以降、石や岩、土、木材、樹木を使った近自然工法(多自然型川づくり)が実践され、多大な効果をあげてきた。コンクリートによって単なる排水路と化していた河川に昆虫や魚を呼び戻し、川を生き返らせたのであった。その実例は各地の市民のよく知るところであろう。以下では被災地での実感も踏まえ、復興に当たっては、代替のきかない部分、施設を例外として、「石、岩、土、砂、木材、樹、竹などの自然材を用いる事を原則とする」と言う提案をしたい(ちなみにレンガと瓦は元々土であるから自然材料に含める)。
次にその利点を列挙し、簡単な解説を加える。
(1)劣化しない(極めて劣化し難い)
(2)処理が容易である
(3)迅速に復旧できる
(4)生物多様性を担保できる
(5)良好な景観を生みだす
(6)情操を育む
(7)地域振興に資する
(8)地元で維持管理ができる
(1)自然の材料は劣化しない。2000年も前のローマ時代のコロセオ(競技場)もポンデュガール(橋)も今なを残っている。これらの材料は石とレンガである。木材も条件とメンテナンス次第で長寿命でありうる。1000年以上前の法隆寺は別格としても、丸ビルや東京駅の基礎に使われた松丸太がまったく痛んでなかった事がそれを証明している。80年、100年も前の工事である。これに対し、コンクリートや鉄筋コンクリートの寿命は存外に短い。よくて100年、常識的に言って50年と言う所だろうか。とくに寒冷地であり海に面した三陸地方では凍害でコンクリートにクラックが入る事は避けられず、潮風により鉄筋は錆びやすい。500年から1000年に一度と言われる今回のような震災、津波に効果を発揮する為には何回作り変えねばならぬのか。鉄骨とて同様で機能させるためには10年から20年毎のペンキの塗り替えが必要なのである。劣化しない材料を用いること、これが100年単位の長期間を見据えた復興ではないかと思う。
(2)これは前項でも触れたが、自然材料は被災後の処理が容易である。木材は燃やせばよいし、石や岩は再利用できる。レンガも瓦も元々は土なので砕いてしまえば、土に戻るし、加工してまた製品にしてもよいのである。コンクリートや鉄も再利用できるが、それには大規模な設備がなければならない。その処理場まで運搬し、処理の順番を待たねばならない。コストと時間がかかることは自然材料の比ではない。自然材料は被災地の地元で処理出来るのである。
(3)土砂崩れや河川の氾濫によって、あるいは地震により道路が被災する事は我が国では良く目にする光景である。この場合、盛土や切土で道路が築造されていると、その復旧は極めて速い。土を取り除く、土を運んできて盛ると言う作業で仮の復旧が出来るからである。土はどこにでもあり、土捨て場は容易に確保する事ができる。これに対し、道路が高架になっていると被災した橋を点検し、一部のみを取り壊して補強するわけにもいかず、結局は全面的に壊し、橋を作り替える事にならざるをえない。被災者の救助、水や食糧の輸送など生命線となる道路では復旧のスピードこそが鍵を握っているのである。この事情は道路に限られない。人工物は製作、施工に時間がかかり、現場で施工するにしても材料を搬入しなければならない。我が国では樹、石、土などは何処にでもあり、材料に不自由することはない。人命に関わる初期の復旧では自然材料使用の優位は歴然としている
(4)河川の近自然工法の所で述べたように、自然材料を使った構築物は多孔質となり、生物にとって好ましい環境となる。私が関わった熊本県山都町の通潤用水においても、コンクリートのU字溝の区間には魚が棲めず、石と木材、土で整備した区間には貴重種であるアブラボテ(魚)ほかの水生生物の回復が顕著であった。この事情は防潮堤においても土留めの擁壁においても同様であろう。人工物のコンクリートや鉄は生物の棲家にはならない。東北の魅力であった山村、漁村の豊かな自然を復活させる為には生物の多様性を保障する自然材料の使用が望まれるのである。
(5)自然材料で出来た環境は景観としても人間に優しく、馴染みがよい。河川堤防にタンポポやスミレを見つけて心和んだ記憶をもつ日本人少なくないはずである。「故郷」の歌をもちだすまでもなく、適切に手入れされた里地、里山が生んだ景観こそが日本人の原風景であり、東北の風景はその典型の一つであった。確かに鉄やガラスで出来た近代的な都会の景観も魅力ではあろう。しかしそれを追い求めたところで、所詮大都会に敵う筈もなく、被災地の街にはそれを求めるべきではない。
(6)自然材料で出来た環境は景観形成に留まるものではない。それは子供の情操教育にも資すると考える。四季折々の花やトンボ、バッタなどの昆虫、小魚と日常的に触れ合う生活は生命の不思議さ、貴さに子供の心を目覚めさせる筈である。学習の場である小学校、中学校においてもそれがコンクリートであるか木造であるかにより子供の精神の安定度に影響を与えていると言う報告もあると聞く。
(7)上に述べた景観、情操は心の問題であるが、ここに述べる地域振興は経済と社会に対する効果である。地方都市の衰退と中山間地の過疎化の一因には、地場材を活用していた産業の不振がある。家のプレハブ化はハウスメーカーが市場を支配する所となり、地元の大工、林業、木材会社を滅亡に追いやった。その結果、山は荒れ、若者は流出した。石がコンクリートにとって変わったために、石材業も石工も衰退してしまった。唯一確保されていたのが、他所では代替の出来ない漁業とその加工業で、これらにより三陸の街は活気を維持していたのである。地域に就労の場を作り、地域を活性化させる為にも地場の自然材料を積極的に使用すべきである。木や石ばかりでなく瓦、レンガの使用も含めて。
(8)最後に建設される施設の維持管理に関して。防潮堤はじめとする人工物の維持管理には専門性が要求され、素人である住民には難しい。コンクリートの劣化の診断や鉄筋の腐食などは素人にはわからない。と言って、膨大な専門家を地方の自治体が抱えるわけにもいかない。自然材料では材料がむき出しになっているから、素人でも判断がつき易い。例えば防潮堤が土坡で出来ていれば、崩れそうになっている部分や亀裂は容易に判断でき、復旧の所で述べたように、迅速に補強することも可能である。これに対し、防潮堤の表面がコンクリート板で覆われているとクラックから水が浸透し、あるいはうち継ぎ目から水が入って(どんなに丁寧に施工してもこれは避けられない)、中の土が抜けて空洞が出来ていてもその危険性を判断する事ができない。専門家でも難しかろう(今は超音波で診断出来ると言うのだが、毎年その検査を実施するのだろうか)。地元の、自分達の施設は自分達が管理する、と言うのが健全な考え方ではないかと思う。
以上、8項目にわたって自然材料を使用する利点を述べてきた。勿論、実際の事業実施に当たっては事がそう単純明快に進むとは考えてはいない。曲折は色々とあるだろう。特にコンクリートと鉄の利用が常識となっている現代では自然材料の設計、施工には多大な工夫と「見試し」(試した結果を見て、を繰り返し、徐々に完成形に仕上げていく伝統的なやりかた)が必要となろう。しかし、河川の近自然工法では既に相当の実績があるわけで、河川以外の分野でも、やってやれない事はないと考える。要は担当者やトップの姿勢と、その基本方針なのだとおもう。
以上の提案を具体的な施設に落とすと例えば以下のようになろう。建設される建物は避難所としての街中のビル、木造が許されぬ4階以上の建物を例外として、全ての建物は、基礎のコンクリートを除き(集成材を含めて)木造とする。また道路では橋梁とガードレール、信号柱、舗装などを除いて土と石、樹木で構築する。防潮堤も土地の余裕のない市街地を例外として土坡と石で構築する。各所に出るであろう擁壁は石積みで対処する。逆に言えば石積みで対処出来ないような、高盛土や高い切土法面を出現させるようなプラン、デザインは間違っていると考えるのである。そしてこれは材料の問題ではないが、減災の為の知恵として伝統的な河川工法を応用すべきである。水防林については冒頭に触れたが、仙台平野にあって屋敷を守るイグネ、水を冠ってもよい遊水池、いざという時の避難所になる高盛土した水屋など、土地利用計画、土地造成に活用できる伝統的な知恵も大胆に使うべきであろう。その本格的な議論は他日別の場を設けて行いたいと思う。
今回の震災を機に21世紀の我が国にふさわしい新たな土木の世界が切り拓かれる事を望みたい。
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その1:復興に使用する材料 - 篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)
- これから本格化する復興デザインに向けて
篠原 修Osamu Shinohara
GSデザイン会議|EA協会 会長
資格:
工学博士
略歴:
1968年 東京大学工学部土木工学科卒業
1971年 東京大学工学系研究科修士課程修了
1971年 (株)アーバン・インダストリー勤務
1975年 東京大学農学部林学科助手
1980年 建設省土木研究所研究員
1986年 東京大学農学部林学科助教授
1989年 東京大学工学部土木工学科助教授
1991年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻教授
2006年 政策研究大学院大学教授、東京大学名誉教授
主な受賞歴:
1986年 国立公園協会 田村賞
1990年 土木学会田中賞(森の橋・広場の橋)
1996年 土木学会田中賞(東京湾横断道路橋梁)
2000年 土木学会デザイン賞優秀賞、土木学会田中賞(阿嘉橋)
2000年 土木学会出版文化賞「土木造形家 百年の仕事-近代土木遺産を訪ねて」
2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞、土木学会田中賞(新港サークルウォーク)
2002年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(阿嘉橋、JR中央線東京駅付近高
2004年 土木学会田中賞(朧大橋)
2004年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(陣ヶ下高架橋)
2004年 グッドデザイン賞 金賞(長崎・水辺の森公園)
2005年 土木学会田中賞(謙信公大橋)
2006年 土木学会出版文化賞「土木デザイン論-新たな風景の創出をめざして-」
2007年 土木学会田中賞(新西海橋)
2008年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(苫田ダム空間のトータルデザイン)
2008年 土木学会田中賞(新豊橋)
2008年 ブルネル賞(JR九州 日向市駅)
2008年 日本鉄道賞ランドマークデザイン賞(JR四国 高知駅)
2009年 鉄道建築協会賞停車場建築賞(JR四国 高知駅)
2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(新豊橋)
主な著書:
1982年「土木景観計画」、技報堂出版
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1987年「水環境の保全と再生」(共著)、山海堂
1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1991年「港の景観設計」(編、共著)、技報堂出版
1994年「橋の景観デザインを考える」(編)、技報堂出版
1994年「日本土木史」(共著)、技報堂出版
1999年「土木造形家百年の仕事」、新潮社
2003年「都市の未来」(編、共著)、日本経済新聞社
2003年「土木デザイン論」、東京大学出版会
2005年「都市の水辺をデザインする」(編、共著)
2006年「篠原修が語る日本の都市 その近代と伝統」
2007年「ものをつくり、まちをつくる」(編、共著)
2008年「ピカソを超える者はー景観工学の誕生と鈴木忠義」、技報堂出版
組織:
GSデザイン会議
東京都文京区本郷6-16-3 幸伸ビル2F
TEL:03-5805-5578
FAX:03-5805-5579
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