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2013.11.05

02-2|アクリア 田村柚香里氏(後編)

安仁屋 宗太((株)イー・エー・ユー|EA協会)

風景を作る「ものづくり」に携わる作り手(メーカー)の生の声を聞く「ものづくりの声」。

第二回は、マテリアルコーディネーターのアクリア・田村柚香里さんをお迎えしています。

後編では、焼きもの素材を使ったまちづくりの取り組みや、ものづくりに携わるようになった経緯などについてお話を伺います。

ものづくりから まちづくりへ

EA (前編ではタイルづくりの住民ワークショップのお話が出ましたが)田村さんは他にも、市民参加型のプロジェクトに関わられていますよね。北海道の岩見沢駅舎では、市民の名前を入れた刻印レンガを外壁に用いています。レンガに文字を刻印するという技術自体は昔からあったのでしょうか?

 

田村 はい、ありました。ただ、岩見沢の刻印手法とは少し違っていて、もともとは、レンガやタイルのサンプルナンバーを識別するために、スタンプでアルファベットと数字をを押していたのがヒントです。

 

EA では、岩見沢で刻印レンガを使おうと決まったのは、どのぐらいの段階でしょう?駅舎の設計コンペの提案にはすでに入っていたのですか?

 

田村 そうです。コンペ案の議論をする中で、市民の名前なんかが刻印されていたらいいよね、という話が出たのですが、そこで思い出したのが、アメリカのある公園で舗装に使われていた刻印レンガでした。アメリカの地名と名前が多く並ぶ中で、「SAPPORO」(札幌)と刻まれていたレンガがすごく印象的だったんです。もうずいぶん昔のことだったのですが、その時に撮った写真を引っ張りだして、設計者の西村さん(ワークヴィジョンズ)に見てもらいました。おそらく、刻印レンガを建築のメイン素材として大壁面に用いるというのは、初めての試みだったんじゃないでしょうか。ですから本当に実現可能かどうかを先に検証しました。まず、どうやって刻印するのか、そして北海道で実際に加工を頼めるところがあるのか、など。

 

JR岩見沢駅舎(撮影|小川重雄)

 

岩見沢駅舎の刻印レンガ|「らぶりっく!(Love-Brick)いわみざわ」を合言葉に世界中から集まった参加者のID NO.と名前・出身地が刻印されている。(撮影|小川重雄)

 

レンガプロジェクト「らぶりっく!いわみざわ」のHP

 

 

EA 刻印されているのは、アルファベットと数字ですよね。やっぱり型を押し当てて凹凸を作っているのですか?

 

田村 いえ、違うんです。まず文字情報のデータをもとに、レーザーカッターを使ってゴムシート状のマットに文字の型取りをします。次にそのマットを一枚一枚レンガの表面にペタッと貼って、マットの文字部分をひとつひとつ手作業で全部取り外した後、そこにショットブラストを当てて掘っています。すごくシンプルな作業ですがとても手間がかかる作業です。

 

EA たしか刻印レンガは全部で5000個近くでしたよね?

 

田村 はい。総数4,777個。

 

EA それは大変な作業ですね。それから、実際にレンガの製作だけじゃなくて、参加者募集の告知など企画の運営面にも関わられていたとお聞きしましたが。

 

田村 この刻印レンガプロジェクトを市民参加型でやろうというのは、ワークヴィジョンズの西村さんから話がありました。駅というまちの顔となる建築に市民の方々が参加することで、より身近に、そしてより愛着を持ってもらえる建物になるのではないか、という意図で。とても意義があることですよね。それで、まず地元の有志の方々に集まってもらったのですが、あれこれ説明して「じゃあ、お願いします!」とポンと投げかけても一般の市民の方々はどうしていいか分からないですよね。そこで私がそのサポートをしました。全体のスケジュールや、各種イベントの企画、ホームページの内容など、全ての工程を地元の人たちと一緒になってやりました。いま思えば、とても密度のある時間を地元の方々とともに過ごしました。

参加申込みの受付はもちろん、申込用紙の内容をデータ化したり、刻印する文字情報に間違いがないかをチェックしたり、実際に刻印加工をお願いした石屋さんの刻印作業も応援に行きました。岩見沢には石屋さんがいくつかありまして、石材組合を通して4つの会社に作業を振り分けて頂いたのですが、それぞれの工場で使っているブラストの機械が違うんですよ。だから機械によって彫りの深さや仕上がりが違う、ということがないように、応援しつつチェックするみたいな(笑)。比較的規模が小さな石屋さんだと、ゴムマットから文字の部分をピンセットで取り除く作業を、小さな子どもが手伝っていたりしていて、その様子に心があったかくなりました。

 

EA いいですねえ(笑)

 

田村 そんな地元の方々との交流が楽しくて、どっぷり入っていました。

 

EA お話いただいたような住民参加の事例に携わってこられて、例えば、やきもの素材はまちづくりに応用しやすい、というような手応えはあるのでしょうか?

 

田村 そうですね、まちづくりには想像以上にフィットしやすい素材だなあとは感じています。やきもの素材も機械化はされていますが、まだ人の手に頼る工程があります。完全に機械加工される素材だと、人が関わる余地がないですよね。そういう余地や隙間は大事だなと思います。

また、岩見沢はかつて東北以北最大の操車場があった「鉄道のまち」で、明治期から鉄道関連の施設にレンガが用いられていましたし、実際に産業遺産にも登録されている明治期のレンガ造の建物(岩見沢レールセンター)も現存しています。また隣の江別という町は北海道を代表するレンガの産地なので、岩見沢の人たちにとってレンガという素材は昔から親しまれてきたものでした。地元の人が親しみやすい素材であることも大切な要素ではないでしょうか。

まちづくりも同じですが、こうして地域の人たちと一緒に何かをつくり上げる方法や手法は、様々だなぁとつくづく感じています。ありがたいことにそれが実現できているのは、そういう場をつくろうという意識のある設計者や行政の方がいるからだと思います。

 

EA 土木では少し前からですが、最近は建築とか他の分野でも、まちづくりの視点が大事にされるように変わってきていますよね。岩見沢駅舎がグッドデザイン大賞や建築学会賞を受賞したということも、大きな後押しになっているように思います。

 

田村 嬉しいですね。

 

★刻印レンガのお披露目イベント|らぶりっくイルミネーション

 

空を飛んで建築をめぐる

EA 話は変わりますが、そもそも、田村さんはどうして今のように焼きもの素材を扱う仕事を選んだのですか?独立される前も、別のタイルメーカーで働いていたそうですが、そのきっかけは何だったのでしょう?

 

田村 そうですね。きっかけではないですけど、私はもともとJAL(日本航空)のCAをやっていたので、1年のほとんどの時間を機上や海外で過ごしたんです。

それで、空の上から街を見るとすごくよく分かるのですが、真っ赤に見える街があったり、真っ白な街があったり、グレーな街があったり。それは昔から地元で採れる材料を使って、地元でできる技術で、その土地ならではの建物がつくられてきた、そういう歴史や文化、風土みたいなものがそのまま映し出されていると思うんです。地中海に行くと本当に真っ白だなあと思うし、ヨーロッパではこんな石の文化があるんだとか。(開拓地である)アメリカでさえ、東海岸と西海岸の町の色は少し違います。それぞれのまちにそれぞれの建築の造り方があるんだなぁと思って。

 

EA そんなこと考えながらCAをされてたと?(笑)

 

田村 そうです(笑)もともと歴史好きというのもありますが。それで「何かカタチに残る仕事がしたい」と思って、思い切ってJALを退職しました。建築や土木といったモノづくりに関わりたいけれど、今さら設計者にはなれない。では素材を扱う仕事で関われないか?と考えた時に、一番魅力的だと感じたのがやきもの素材でした。

やきものって国によって全然違うんですよね。レンガひとつをとってもイギリスやオーストラリア、ドイツではそれぞれ違いますし、ベネチアでは小さなガラスモザイクがとても綺麗だったり、中東では釉薬の色がすごく鮮やかだったりする。やきものほど多くの種類があって、その土地の歴史や文化とともに脈々と作り継がれてきた素材はないなぁと、その魅力に惹かれてやきもの素材を選びました。

 

EA それも空の上で感じていたことだったんですね。

 

田村 はい。それに、私、もともと建築オタクみたいなところがあって、仕事で海外に行っても買い物や観光にはほとんど行かずに、ずっと建築を見て回ってたんですよ。例えばパリで1日オフがあると、もうパリからロンシャンに何時間で行けるだろうとか考えてる。後で思えば、スイスから入ったほうが近かったなって分かるんですけど、その時はとにかく何としても見に行こう!という思いが先で(笑)コルビジェを見に行こうとか、テラーニを見に行こうとか。本当にそんな感じでした。

 

EA 学生時代に建築を学ばれてたんですか?

 

田村 いえ、学んでないです。ただのオタクなんですよ(笑)。

強いて言えば、私の祖父が生前、お宮大工の棟梁だったのですが、子どもの頃は一緒に住んでいて、地方(佐賀)なので土地も広くて庭を挟んで建っていた離れみたいなところに若いお弟子さん達が住み込みしてたんです。そういう職人さんたちと一緒に暮らす環境にいたことと、小さな頃からおじいちゃん子で、暇さえあればおじいちゃんにくっついて現場によく行きました。カンナの削りくずを拾っては、薄さを自分で比べてみたり、木の匂いも大好きでした。

 

EA それで、建築に興味があったんですね。

 

田村 普通の人でも例えばベルサイユ宮殿なんかには興味があると思うのですが、それと同じで私はスカルパやアアルトだったんです。スカルパとアアルトは特に好きで、実際に建築を見に行くと、タイルやレンガのディテールや釉薬の色の美しさに見とれていました。たとえ建築的なことが分からなくても、その空間と素材がとにかくかっこいい。そういう記憶がずっと残っていたし、私の出身地の佐賀は、鍋島や有田、伊万里、唐津と、まさにやきものの歴史と文化がある土地で、その上、母は益子の生まれで、子どもの頃からやきものはとても身近な存在でした。それでやきもの素材をやってみようと思いました。

たまたま見た求人広告に惹かれて、特注タイルのメーカーに入りました。ただ、実際に仕事をしてみると、素材を扱うとはいえ建築の専門用語は多いし、タイルも焼き方やテクスチャーのことなど、わからないことばかりではじめは苦労しました。

 

EA いわゆる、修行の期間だったんですね。

 

田村 とにかくその頃は工場に足しげく通いましたね。頭の中の知識は本を読めば得られますが、実際に工場を見に行ったことで自分の身に付けたという感じでしょうか。

土木での挑戦

EA その後、アクリアとして独立されたんですよね。

 

田村 はい、そうです。

 

EA もとは建築の仕事がメインだったわけですよね。どのようにして土木の分野に触れるようになったのでしょうか?

 

田村 最初は、仙台市あすと長町大通り線のプロジェクトでした。土木でワークヴィジョンズと一緒にやった最初のプロジェクトでもあります。あるとき「舗装材でレンガを使いたい」と相談を受けました。そこで提案したのは、普通のレンガサイズではなく細長い形状のものでした。今ではある舗装材のメーカーさんにも受注生産品としてデザインを提供していますが、当時は土木では使われたことがない寸法のレンガでした。以前に建築の外構で使ったことがあったので、土木でもこういう素材はどうかと提案しました。

 

仙台・あすと長町大通り線

 

田村 初めて土木の仕事に触れてみて、土木は何て大変なんだろうっていうことを、身に染みて分かりました(笑)。建築が楽だということではなくて、検討段階で素材を選ぶ過程が全然違うんですね。

 

EA 具体的にはどういうことでしょう?

 

田村 建築では、例えばここにはタイルを使うといった仕上げ選びに関しては、ある程度設計者の考えが尊重されますが、土木ではそうはいかない。コンクリート二次製品、自然石、レンガ・・・といろいろある素材の中で、選定する根拠が求められる。それが単に意匠性だけではなく、物性、機能、コスト、メンテナンス、耐久性とか、そういう項目がいくつもあって・・・。

 

EA いわゆる比較表ですね。

 

田村 そう。これまで比較表を作ったことがなかったので苦労しました。また、長町のプロジェクトではさらにハードルが高くて、歩道上に出てくる仕上げ材は全てやきもの素材で統一させたいということで、舗装の脇にでてくるグレーチング(側溝蓋)や植栽桝もレンガと同じ素材でつくることに挑戦したんです。

 

あすと長町大通り線の側溝蓋

 

あすと長町大通り線の植栽桝。こちらもやきもの素材

 

田村 新しい試みなので、当然まず構造や強度的な検討が必要ですし、穴は詰まらないのか、逆にヒールが引っかからないかとか、細かいところまで検討しました。また、製作上の寸法誤差を考慮して設置する方法も検討しなければならない。とにかく大変でした。

 

EA 特に役所は前例の無いことには消極的なことが多いですもんね。

 

田村 そうです。でも、それはそれで「作り込む」という点で面白かったですね。他のプロジェクトでも、ボラードのキャップや高欄のトップレールなども、やきもの素材で作ったりしていますが、そのように異なる分野に入っていく際には、信頼関係や、コミュニケーションが大事になってきます。工場とのやり取りはとても密になりますし、試行錯誤を繰り返しながら、本当にものをつくっているということを実感できる。苦労もしますが、そこにやりがいもあります。

 

長崎市・浦上川沿いに用いられたセラミックトップレール

 

一緒にものを作っていきたい

EA では最後に、今後どんな風に仕事をやっていきたいとか、我々設計者にメッセージなどあればお聞かせください。

 

田村 そうですね。まずはこれまで通り、設計者やデザイナーと一緒にものをつくっていきたいと思っています。それから、若い方たちに向けて、素材はカタログから選ぶだけのものではなく「こういうものづくりもできる」という可能性を伝えていけたらとも思っています。

 

設計者やデザイナーの方々に伝えたいのは、「どのようにして素材がつくられているのか」、その過程を知って欲しいということ。最近は設計者も実際に工場を見に行ったりする時間や機会がないからかもしれないですが、ひとつのサンプルをつくるのに、どれだけの手間と時間がかかっているかということをご存知ない方もたくさんいらっしゃって、例えば、今日言えば明日にはサンプルができると思われていたり(笑)。

 

EA 耳が痛いですね(笑)。

 

田村 いえいえ(笑)。たとえサンプルでも、最初にものを生み出すのはデザインや設計をするのと同じように苦労があります。また、最終的にひとつの素材を決定するまでに、何度も試行錯誤を繰り返しながら作り込んでいくわけですよね。その作り込む過程を大事に思って欲しいと思います。

 

 

田村 柚香里(たむら ゆかり)/ マテリアルディレクター

佐賀県生まれ。1989年福岡女学院卒後、日本航空国際客室乗員部、特注タイルメーカー(株)スカラを経て2003年(有)アクリア設立。主な参加プロジェクトに鉄道博物館(2008年鉄道建築協会賞作品部門特別賞)、プラウド横濱山手(2008年度グッドデザイン賞)、旧佐渡鉱山工作工場群跡地広場及び大間港跡地広場(2010年度グッドデザイン賞)など。2005年から(株)ワークヴィジョンズに参画、岩見沢複合駅舎(2010年日本建築学会賞)でレンガプロジェクトを担当。現在、(有)アクリア代表、(株)ワークヴィジョンズ / プロジェクトマネージャーとしてまちづくりに関わる。

ものづくりの声

安仁屋 宗太Sota Aniya

(株)イー・エー・ユー|EA協会

略歴:

1980年 沖縄生まれ

2003年 東京大学工学部土木工学科卒業

2005年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻 修士課程修了

2005年 有限会社イー・エー・ユー 勤務 (2015年より株式会社イー・エー・ユー)

 

主な受賞歴:

2010年 グッドデザイン賞 (長崎中央橋)

2013年 土木学会デザイン賞 奨励賞(旧佐渡鉱山 北沢地区工作工場群跡地広場および大間地区大間港広場)

2013年 土木学会田中賞(各務原大橋)

2014年 土木学会田中賞(太田川大橋)

2015年 土木学会デザイン賞 優秀賞(各務原大橋)

2016年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(太田川大橋)

2019年 都市景観大賞特別賞(山中湖村平野 ゆいの広場ひらり)

 

組織:

(株)イー・エー・ユー

代表取締役 崎谷 浩一郎

〒113-0033 東京都文京区本郷2-35-10本郷瀬川ビル1F

TEL:03-5684-3544

FAX:03-5684-3607

HP:http://www.eau-a.co.jp/

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