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2013.07.20
場の履歴と都市デザイン…Sense of place
小出 和郎((株)都市環境研究所|EA協会)
まえがき
場所の履歴というテーマだが結構難しい。そういえば、Sense of place、場の感覚という言葉がある。場の履歴も同じような意味であると思う。と思って検索したら、ファッションのプランド名がまずヒットした。でも、そういう本を見たことがあるのだけれど…、と思って、探すといろいろな文献に出会う。Sense of placeという言葉は都市デザインの重要なキイワードなのだ。例えば、
…Sense of place in the neighborhood, in locations of urban revitalization
この文献は、どの地区にも特別の個性があり、それは物的な構造や社会的な組成や性質によると書かれている。
…Elevating the Sense of Place: The First Impression of Urban Spaces by Corrie Meyer, ASLA,2011
この文献では、William H. Whyte, Jane Jacobs, Kevin LynchやDavid Sucher 達が、都市の構成要素が良好なコミュニティを作っているとしてきたが、それはSense of Place に強くよっているものだと主張している。
①公共空間が危ない
最近ある都市に行って驚いた。
この都市には、戦前の軍都都市整備(区画整理事業)による素晴らしい景観を持った広幅員の通りがある。ケヤキとサクラの並木の、この都市を代表する景観重要公共施設でもある通りである。
この通りの歩道と駐車場に新しく自転車レーンが設けられた。なんでも、自転車路を整備する際のガイドラインが決められたそうで、色はブルーが標準色。また、ルートは蛇行していて、道路の断面構成を無視して、青いペンキで標示されている。自転車路のガイドラインをつくるのはいい。青い色もうまく使えば生きるかもしれない(本来的には疑問だけど…歴史的な町並みの中の青いペンキを考えるとぞっとする)。
でもこの場所にはとても合わない。というより、空間の質を著しく下げている。道路の断面構成を無視したことも、ちょっと信じられないものである。青ペンキのことだけではなく、実際には、いろいろと問題点があるのだけれど、ここでは省略するとして、ちょっと写真を見てほしい。
青いペンキの自転車ルートとけやき並木
この通りは、間違いなく戦前の都市デザインの重要な成果、作品の1つである。この通りにはこれまで沢山の公共投資が行われている。でもひょっとすると、何かが起きる度にsense of placeが壊されているように感じる。
行政の話を聞くと、それぞれの仕事に関する説明はそれなりに筋が通っている。でも問題はトータルな視点の欠落。景観、デザインに積極的に取り組んでいるという都市でも、こういうことが発生するのだ。
(何が大事か)
私がこの場所の計画、というより公共空間の改善というテーマを引き受けたらどうするか、と考えてみた。
・ 多分、面倒とはいわれるだろうけれど、昔の計画図、あるいはデザインのディテイルを知りたい。古い写真も見てみたいと思うだろう。真剣に考えるなら、過去の計画書などを集めて評価してみたい。
・色々とスタディする前に、担当職員と話しをしてみたい。結構意外な制約もあるだろうし、不本意でもできなかったという点もあるかも知れないから…。住民や商店街の人達の意見を聞くのも、プロセスとしては当然大事。
・最初にも書いたように、ここは大変価値のある空間だと思うので、場所・通りの履歴を確認することは不可欠である。
通常このような“場の履歴”を持っているケースは少ないと思う。そういう場所でも“専門家”が無関係に場のデザインを行って、平然としている。これをチェックする人もいない。面倒な調査をしても、誰も評価してくれない。こういう状況が標準化しているのではないだろうか。
都市デザインに可能性があるとすれば、都市のスケールではimage of the cityではあるが、場のデザインでは sense of placeという概念、感覚を我々は大事にする必要がある。
なお、余談になるのは寂しいけど、“自転車路の青色”ということも大きな問題。誰が標準色を決めたのかということも問題。日本の多くの町に、青は合わない。それでも、結局は標準色でいいかどうか判断できることが重要で、標準色だからいいでは、日本の町の景観に未来はない。
② 普通の町の景観、都市デザイン
まちづくり・景観づくりに関する事例紹介やガイドラインに関して、よく話題になるのが「歴史のない町では手がかりがない」という悩み。普通の町で景観づくりが進まないと、景観法、景観デザインの実行性は今一つという意見も強い。
わが国では歴史的な地区のまちづくりに焦点が当たりすぎて、歴史的な要素のない町はコンプレックスを感じ、自分達には関係のないことだと思っているといわれる。景観づくりの手引き書の多くは、確かに歴史的なまちなみを紹介しているケースが多く、参考書が増えれば増えるほど、“普通”のまちの関係者は疎外感を味わっているのかもしれない。
そういう町の人達は、
…昔は田園地帯だったけど、結構なまちになった。でも城下町とか歴史的まちなみとは違うのだよね。
…地方でだから、有名な文化財もないし…。景観なんて無縁ですよ、などという。
…とはいえ、普通の町って本当にあるのだろうかとも思う。
町にはそれぞれの歴史はあり、場の履歴あるいはSense of placeもある。それぞれに固有の特性characterはある。山や川、そして地形の変化の大きいまちもあり、全く平坦な地形のまちもある。地形に特徴のないまちでも、周りに富士山のような山がある場合もある。
(認識から計画へ)
景観計画の作業は、まず、まち・地区の特性をつかむことから始まる。私は、これを認識のための作業といっており、重要な作業であると思っている。しかし、計画をつくる、組み立てるplanningの段階はこれとは少し違って、認識を下敷きにした方針principleを具体化する方法、施策implementationが必要である。計画、デザインは、認識をもとに、場合によってはジャンプして方策を組み立てる行為である。“普通のまち”という感覚、分析結果は、認識のレベルでたどり着くところであって、もちろんそのままでは計画にはならない。日本の都市計画は、ここ最近とみに現状を追認するような体系になりつつあるのではないかと思う。景観計画も同様ではないだろうか。planningや設計のプロセスがプランナーやデザイナーでなければできない仕事でないと、参加のファシリテーターの方が重視されることになる。
しかし、普通のまちにも、当然、場の履歴はある。昔、里山だったところが開発されて住宅地になったとか、あるいは海沿いの埋め立て地が町になったとか…。
歴史的な町並みの場合は、いつも20年とか40年前の姿を見たかったと思う。しかし、これはいつ行っても同じことなのだと最近気づいた。想像力を持って、経験の助けを得て、昔のまちを頭に描けばいいのだ。このような町並みには、強い場の感覚があり、その場の往時の姿が目に浮かぶ。さすがに史跡となると、200年とか1000年になるのでそういうわけにはいかないけれど…。
歴史的な手がかりがない場合は、20年先を考えて、見るのだろうと思う。海外の計画ではよくenhanceという言葉が使われる。強化するとか、高揚するという意味である。普通のまちの景観は、歴史的な町並みに通じる規制的な手法ではうまくいかない。醜いものを除くという方法は有力だが、こういうところでも場の感覚sense of placeであれば考えやすいかなと思う。そういう意味で、enhancing sense of placeという考え方、強化し、高めていく、場の感覚を創造していくということに落ち着くのではないだろうか。
例えば、歴史的な様式の建物がわずかに残されているまちとか、近代建築が単体として存在しているケースとかも、周りの環境(built environment)を含めて、場の感覚をつくることは可能である。樹木は10~20年である程度の完成した姿になると考えた方がいい。住宅地なら緑をテーマにするのがいいだろう。色彩などをコントロールすることも一つであるが、これは場の感覚を作る決定的な力はないと思うから…。
また、計画・設計という立場からは、やや扱いにくい文物的なこと、まさに都市・まちの記憶もある。ただ歩道に絵を描けばいいのではないのだけど、その場の感覚を作る要素として重要である。
③ 復興のデザインとsense of place
震災復興の計画には、多少関わっているが、それぞれ場所の履歴、あるいはsense of placeはどう考えられているのだろうと思う。どうも単なる都市開発の技術、土木デザインが先行しているように見える。
場の履歴としては、今回の被災地の多くが過去の津波被害の経験を持つ場所である。そういう経験を頭におけば、どこも居住地としては適切な場所ではなかった。宮古市に重茂(オモエ)という地区がある。この地区は、太平洋側の漁港そして施設は被災したが、居住地のほとんどが災害から逃れた。過去の経験から低地にはみな住んでいなかった。有名な石碑に、ここより下に家を作るなという警告を守ったからである。
重茂の石碑
しかし、沿岸全域においては、埋め立て地や低湿地が市街地となり、防潮堤が守ってくれると皆が信じた。責任の大きさは都市計画に当然ある。想定外というのはいいわけであって、結果がすべてである。津波が頭にあれば市街地づくりの候補地としては、最後の、条件付きの場所であるはずだが、積極的に宅地に変えたという責任がある。社会的要請はあった。でも、都市計画が無力だったのだ。
この間、都市計画の専門家だけではなく、高台移転議論も盛んである。重茂は高台移転により今回被災しなかった。でも、昭和初期の復興は、土木技術に頼ったのではなく、コミュニティが小規模な高台移転をまとめたと、私は思っている。そういう意味で、”十羽一絡げ”にこの議論をすべきではない。それこそ、場の感覚がポイントである。大都市の宅地造成の技術をそのまま導入する発想が問題なのだと思う。
現在進められている高台移転の計画、土地区画整理事業の計画には、決定的にsense of placeはないと思う(殆どかな?)。あるのは、道路構造令と区画整理標準などの計画基準である。そして、全国一律の…。
今からでも遅くないといっていいのだろうか、よくわからないけど、こういう視点でデザインを見直すべきだと思う。都市の、都市空間のデザインとして適切かどうか。その場所の場の履歴は継承されているか、場の感覚は考えられているか。20年後に地域にふさわしいまちができているか、そして生き生きしているか。
皆、結構イライラしているのが現状である。
生きている高台移転
場所の履歴と向き合う空間デザイン
- 町の同一性と場所の履歴
- 中井 祐(東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻|EA協会)
- 現代社会における歴史的環境との向き合い方
- 北河 大次郎(文化庁文化財調査官)
- 場の履歴と都市デザイン…Sense of place
- 小出 和郎((株)都市環境研究所|EA協会)
- 「場所性」と「日常」
- 崎谷 浩一郎((株)イー・エー・ユー|EA協会)
小出 和郎Kazuo Koide
(株)都市環境研究所|EA協会
資格:
技術士(建設部門)
略歴:
1946年 東京生まれ
1971年 東京大学工学部都市工学科卒業
1975年 東京大学大学院工学系研究科都市計画専攻 修士課程修了
1972年 (株)都市環境研究所 勤務
1983年 (株)都市環境研究所 代表取締役就任 現在に至る
主な著書:
『日本の風景計画』 共著 学芸出版社
『建築とまちなみ景観』 共著 ぎょうせい
『今井の町並み』 共著 鹿島出版会
『アーバンデザインの現代的展望』 共著 鹿島出版会 その他
組織:
(株)都市環境研究所
代表取締役 小出 和郎
代表取締役 高山 恵
〒113-0033 東京都文京区本郷2-35-10
TEL:03-3814-1001
FAX:03-3818-2993
業務内容:
・都市計画、都市景観関わるコンサルタント業務
・歴史的環境、景観に関するデザイン、設計、コンサルタント業務
・再開発事業をはじめ、都市開発、まちづくりに関わるコンサルタント業務
・その他上記に付帯する業務
SPECIAL ISSUE
- 変化するデザインのものさし
2012.07.02
日本のデザイン評価に関して考えること
- 復興に向けて大切なこと
2011.11.03
地域から被災地復興を考えること
