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2012.12.18

建設コンサルタントにこそ不可欠なエンジニア・アーキテクト

はじめに

昨今、景観・デザインの議論と言えば、まちづくりや地域連携・振興、景観資源の保存・活用と云った話題が多く、平成初期に活発だった「施設単体のデザイン」は議論し尽くしたの…?解決したの…?とすっきりしない感覚が残っている。今回、「橋梁デザインのゆくえ」を議論する企画と伺い、建設コンサルタントで橋梁デザインに携わってきた一技術者の経歴と、橋梁デザインの現状や未来に関する私見を、議論のネタ出しとして提示する。

橋梁デザインに魅せられた半生

1961年、東京中野で生まれ赤羽の公団団地で育った私は、長崎佐世保出身の両親に連れられ田舎暮らしの記憶も持つ。建築家の祖父の影響と、美しい自然や西海橋(写真-1)の雄姿に触れ育った私が、橋屋/土木屋になるのは必然だったのかもしれない。バブル景気を予感する1984年、西海橋のような“美しく、造り手のメッセージが感じられる橋をつくりたい”との志を胸に、橋梁専業会社:川田工業に入社した。橋に関する作業なら、図面書きや青焼き作業さえも面白かったあの頃、寝食を忘れ、4年で桁橋から吊橋まで一通りの設計および補強・補修、更には工場や施工現場を体験させてもらった。まさにこれから専門を深め、一人前の設計技術者を目指そうとしていた矢先、景観デザインをやらないかと誘いを受けた。

 

写真-1 西海橋【長崎県】

 

入社時の志が再燃した私は、大日本コンサルタントに転職し、1年先行始動していた同僚:松井幹雄氏とデザイン活動を開始した。当初はCGと模型技術を武器に、常に営業資料や企画書・見積書を携えて発注者を廻り、デザインの効果や必要性を説き、“それならやってみろ”と「任され仕事」で実績を重ねた(※1)。また当時は、契約項目に景観検討などの作業は存在せず、実費:パース代で少しばかりのフィーを頂くことから始め、設計変更のお願いなどデザインフィーの獲得にも継続的に尽力した。バブル景気も後押ししてか、1989年(平成元年)には羽田地区湾岸道路(写真-2)や東京湾アクアラインなどの大規模プロジェクトで景観委員会が開催され、運営補助や資料づくりと併せて、妥当な検討費を頂けた時は、土木業界にも景観・デザイン分野が確立する予感があり、うれしかった事を思い出す。

 

写真-2 羽田地区湾岸道路【東京都】

 

30歳の時(1991年)、室員は5名となり景観デザイン室を設置した。この頃には、業務実績を通じて、デザイン対象は橋梁のみならず、道路そのものや前後に出現する道路構造物・付属物、隣接する公園や河川にも広がり、これらを一体的に取りまとめる(関係する人や組織をも取りまとめる)役割も担うことが、結果的に景観を良くする最善の方法である(=EAの役割!)ことを学んだ。世相はバブル崩壊を感じ萎縮ムードが漂い始めていたが、我々は技術とやる気の貯えを元に、仕事面でも、社外活動(30歳で参加した鋼橋技術研究会で初めて篠原先生(東京大学教授:当時)にお会いした)も、教育活動も積極的に実施した。30歳代前半に手がけた作品:五色桜大橋、志賀ルート、南本牧大橋、苫田ダム橋梁が、後に土木学会田中賞やデザイン賞、グッドデザイン賞を受賞する。

39歳の時(2000年)、田村幸久氏(元・日本道路公団北海道支社長)が入社し、私も技術本部に異動となる。初めて景観・デザインの上司を得て、改めて道路デザインの本質や、構造デザインに対する拘りを3冠受賞の新豊橋(写真-3)などの業務を通じて教えて頂いた。その後46歳(2007年)で景観デザイン室に戻り、松崎喬氏(元・松崎喬造園設計事務所代表)を迎え、デザインに対する真摯な取り組み姿勢や、主にアースデザインと緑化技術を学ぶ。

 

写真-3 新豊橋【東京都】

 

48歳の時に景観デザイン推進部を創設し、社内の地位を確立した。この頃は室員14名を数え、黒島や池田を始め部下も育つなど、技術の継承も試みている。当時の成果は、デザイン賞などの継続的な受賞と、複数の設計コンペでの入賞。また各務原大橋や平和大橋歩道橋などの橋梁コンペでは、社外デザイナーとチームを組みデザインを深化・洗練させ、最優秀賞を獲得した。なおここでの課題は、その後、まとめ役を担い設計を完了したまでは良かったが、各々諸事情で次段階への業務関与が叶わなかったことが挙げられる。

橋梁デザインの現状

1996年、土木学会に景観・デザイン委員会が設置され、私も設立当初より運営を手伝った。そこでは、土木業界に景観・デザインを根付かせ広めるための教育・発表・授賞制度や発注・システム問題の議論などの活動が行われた。一方国は、2003年に「美しい国づくり政策大綱」を公表し、翌年には「景観法」、2009年に「景観検討の基本方針」などの施策を次々と打ち出した。これで橋のデザイン実態も改善されると期待したが…、10年が経過した現状を見ると、少数の「重点検討事業」では検討体制の充実から、概ね良好な結果を得たと言える。が、9割方の普通の橋「一般検討事業」では、目に見える形で対応を求めていない為か、相変わらず形に関して受・発注者とも「無関心」な状況が見受けられる。

私は、この9割の橋を美しくすることが、コンサルタントで景観・デザインを生業とする者の使命の1つと考えている。そこで、社内技術者向けに「橋梁設計デザイン指針(案)」を作成・講習したり、専門雑誌に寄稿し考えを述べる(※2)など、地道な活動を継続している。が、デザインが受注機会や業務評価等に直結する、或いは検討手順にシステムとして組み込むなどをしない限り、「請け負い仕事」をする受注者サイドから、劇的な変革を期待することは難しいと感じつつある。

橋梁デザインが行われない理由と【改善の手掛かり】

ここでデザインを「形に対して責任を持つ行為」と捉えた時、設計の現場では“殆どの業務においてデザインは行われていない”とショッキングな回答を出さざるを得ない。その原因は大きく3つ。1つ目は、上述した“9割方の案件では、最終形状を気にしていない”ことが挙げられる。すなわち、安全に渡る機能や歩道設置、騒音対策等の要請は満足させるが、それらの姿が最終的にどの様に見えるかなどは気にもしない、と云う「無関心」が1つ目。厳しい市民の目と声のみが、方向転換の力を持つ様に思う。【⇒NPO等がまず実践。どこに向かって発言するか?それすら決まっていないのが問題。】

2つ目は“すべての判断を発注者が行うシステム”が挙げられる。戦前の社会資本は、行政による直轄事業であった。戦後、仕事量の増大や設計・施工の分離原則により設計作業は建設コンサルタントに発注されるようになった。しかし決して仕事を「任せてはおらず」、作業(=手)を発注しているに過ぎない。すなわち、まず設計条件・設計課題・比較案を整理し資料を整えるのがコンサルタントの仕事。これら全ての判断・了承(=頭)は発注者が行い、その判断に従って後は設計図書の作成を手が行う(社内の専門部署や協力会社が行うことが多い)。手は意志を持たず専門作業に専念する、頭は地元要請や地質の把握から高度な解析結果まで全て1人で判断すべく日々設計協議を繰り返し、疲弊して2~3年で異動する。全体を見る人はおらず、デザインなど判断基準の曖昧な追加作業はやりたくない。いいものが出来るはずはない。仕事を「任せる」システムが望まれる。【⇒海外の仕組みが参考になる。海外業者参入の劇薬が、システムを変えるチャンスかもしれない。】

3つ目は“社会資本整備の目的の履き違い”が挙げられる。例えば、プロダクトなど他分野の事業成果は「売れる」ことであり、そのために企画・計画・設計・製作・維持はチームで総力を挙げ、デザインを拠り所に製品をつくり上げる。一方、土木の事業成果は本来「市民が生き生きと暮らせる社会づくり」にあるが、その手段である「社会資本をつくり、維持する」ことが目的となっている。すなわち、発言力は経済性を握る調査・計画の発注サイドと、管理のし易さを求める維持が強く、ここに市民の声はない。丈夫で安全な設計は当然としても、使いやすい・居心地がよい・美しいと云った本来の目的「生き生きと暮らす」ためのデザイン配慮が二の次となっている。また、一般に事業規模が大きく作業に時間が掛かるため、計画・予備設計・詳細設計と云った“建設ステップがリレー方式”で、かつ担当者が全て変わるためフィードバックは効かない(直轄時代は、計画・構造・意匠等の担当が“同時スタート方式”で、皆で議論し最後まで面倒を見たので良いものが出来た)。今後は、リレーを一貫して見守る「まとめ役」が課長などの組織ではなく個人として必要である。【⇒苫田ダムの仕事のやり方(※3)が参考になる。公正な立場の有識者、若しくはコンサルタントが“まとめ役”を担うことが考えられる。】

おわりに

土木業界で景観・デザインを導入する過渡期に働いた者の直感として、1橋のデザインに費やすパワー(時間)は、“段取り・調整5割、デザイン1割、資料づくり3割、協議1割”と云ったところであった。そして、地ならしが出来た現代の望ましい姿は、“4:3:2:1”程度の割合いと思う。一方、デザインを「任される」立場から仕事を始めるデザイン事務所などは“2:5:2:1”程度になろうか?すなわち、今後も建設コンサルタントでデザインを行うためには、「調整(=まとめ役)」からは逃れられず、まさに優秀なエンジニア・アーキテクトがその役を担うことが相応しい。

 

参考図書)

※1.「五十年史」大日本コンサルタント株式会社

※2.「橋梁と基礎2012-2  vol.46:風景と生活に馴染む橋」高楊裕幸

※3.「ダム空間をトータルにデザインする」篠原修/山海堂

 

橋梁デザインのゆくえ