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2012.10.15

EAAトークライブvol.1
「re-edit 遅い交通がまちを変える」

2012年9月7日(金)、東京・本郷の(有)EAU地下スペースにて、特集「re-edit 遅い交通がまちを変える」の関連企画として記事執筆者によるトークライブが開催されました。記事執筆に引き続き、気鋭の交通工学研究者である羽藤英二氏(東京大学)をゲストに迎え、EA協会の3名(篠原修会長、西村浩副会長、吉谷崇氏)と共に「遅い交通」による交通空間の再編、これからの都市像について密度の高い議論が展開されました。
当日の模様の一部をお伝えいたします。
(コーディネーター:高松誠治|Space Syntax Japan・EA協会)

「遅い交通」の時代感

 

羽藤英二(以下、羽藤): まず、遅い交通が今の時代感の中でどのように位置づけられるのかという話をさせて頂きます。

原稿にも少し書いたのですが、遅い交通を意識したとき、「地の移動風景」とでもいうべき地域に固有の風景や、もともとその地域にあった人と人のつながりだったり風習だったり、あるいはお祭りのようなもの、無名の質のようなものが見えてくるような気がしています。これは陸前高田の風景(写真1)ですけれども、被災後10日目くらいだったと思いますが、初めて現地入りしたとき、どんな風景を見ても、もとの街の姿を想像することは僕には難しかったわけです。現在この状況から545日経ってほとんど変わっていないわけですが、先日初めてこの平地のもともと町があった場所の路上で、七夕祭りが行われました(写真2)。その様子を見て、地元の方々や普段淡々と仕事をしておられる市役所の方々が、涙していました。無に近い表情が思いがけず屈託のない穏やかな表情になった瞬間であったように思います。まちに賑わいが戻ってきたと、戻ってきたといってもそれは本当に一時的なもので、頼りないものではあるのですが、道の上で地元の方々がそれぞれの地区ごとに集い語りあい、お祭りの風景を見て感動をしていたわけです。やはり此処こそが、自分達が戻るべき場所なのだと、みんなの気持ちが奮い立ったということではないかと思います。地域計画とか都市計画とかまちづくり、アーバンデザインとか専門家はいろいろ言うのだけど、コミュニティって一体なんなんだということは、こういうお祭りなんかのときに見えてくるのかなという気がしています。

写真1(左):被災後の陸前高田  写真2(右):陸前高田の七夕祭り

 

とはいえ、平時はどうかといえば、日本では道路は概ね車のためのものとして使われています。では、ヨーロッパの旧市街がどうなのかというと、これはシエナのカンポ広場(写真3)ですけれども、旧市街地の中というのは基本的には車が入らないような形にして、パッセンジャータというイタリアの夕方の散歩の習慣があるのですが、人々がまちに出て歩いていると、古くからの幼馴染に会ったり、観光客の人を見たりということで、肌触りのあるコミュニケーションが毎日路上に展開されています。一方こちらはボローニャ(写真4)ですが、ボローニャでは、世界遺産になっているアッシネリ塔の前の目抜き通りを車が通れますが、ロードプライシングをかけて、車が通りにくいようにしている。通ったとしても歩行者が来れば車は基本的に止まらなければいけないというようなルールを導入して、町の左岸と右岸の間を歩行者が自由に渡れるような空間にしています。これはインテリジェントトランスポーテーションシステム(ITS)と呼ばれるもので、街路の構造そのものは変えないで、歩行者の流動を高める工夫に成功している例です。

 

写真3(左):カンポ広場  写真4(右):ボローニャの街並み

 

比較してみると、日本では祭りの濃厚なコミュニティが支えになっている風景を目の当たりにしてなお、平時の日本の風景というのは、基本的には車で道路が埋め尽くされている。ただ今はそうだとして、今後どういうことができるのかということが重要になってきます。2050年にむけて世界の人口が30億人増えて、日本の人口は3000万人減ります。2050年に向けて3000万人減るということは、公共空間のメンテナンスの費用なんかも税収が減るわけですから今のままでは持たなくなるということです。社会資本整備交付金とか、いろんな制度を使って賄われてきたパブリックな空間の維持管理が間もなく難しくなってくる。一方、国の制度では高齢社会対策大綱というのが発表されて、そこでは90歳まで生きるという人生を想定しましょうとなっています。つまり60歳で定年してもまだ30年あるという人達のために、都市に何ができるか考えましょうということですが、現実に今まだ日本の都市というのは車中心のまちの構造になっている。少子高齢化が急速に進む中、都市の中で通勤形態が質量ともに大きく変化し、あわせて生活圏が縮小していく。その中でどのようにして都市の形態をコンバージョンすべきなのか、かなり深刻なかたちでそれぞれの都市にのしかかって来ていると思っています。

もう1つ別の視点でお話しします。都市は何によって成ってきたかということです。これについて私自身は、「移動」によって都市が第1次革命、第2次革命、第3次革命を経て大きくなってきていると考えています。第1次の都市革命は陸上交通の改善によって封建社会が崩壊して小都市が勃興した十字軍遠征の頃。第二次の都市革命は大航海時代、アントワープやリスボンなどの港湾大都市が発展しました。第三次は産業革命です。これによってメトロポリスが出来ていったということです。それに対して、皆さんご存知のように今は情報社会になってきている。コミュニケーションネットワークの電子化が進み、有機的な交流によって知識をどのように生み出すかが価値を生むという都市社会革命が起こっている状況です。もちろん過去の都市計画の文脈に沿って、鉄道をどうする、車をどうする、ということを量とスピードだけをアウトカムとしてそのデザインや計画を議論することは可能ですが、我々が生きている21世紀というのは、知識とか情報が価値を生む時代に突入しているのです。都市が、多様な交流を有機的な知識を生み出すためにどうしたらいいのかということを要求されている時代だと言って良い。そういう中で、公共空間、あるいは遅い交通といったことをどう考えていくのかということが大事だということです。

そういうことを考えている都市として、パリがあります。落選してしまいましたがサルコジ氏は「パリを救うことはフランスを救うことである」ということで、遅い交通を都市に外挿してコンバージョンしていくというプランを、立体的に交通計画、都市計画、アーバンデザインを関連付けながら示しています。こういうアーバンデザインがいいかどうかはともかくとして、いろんなデザイナー、公共空間の設計者であるとか、都市計画家であるとか、建築家に頼んで考えていったということです。セーヌ川沿いに広域の遅い交通のネットワークを張り巡らせて、それぞれの集落、5万とか10万くらいの都市のカーネルが結びつきあった広域の都市圏域、かつ、カーネルの中は遅い交通で人々との肌の触れ合う交流が豊かに展開されているというのが、このグランパリのプロジェクトの都市ビジョンです(図1)。その中では基本的にその遅い交通と速い交通をいかに再編集するかということが問われていたということです。

 

図1:グランパリのコンセプトイメージ

 

遅い交通と速い交通という話をしましたが、速い交通だと、ヨーロッパでは「アルプトランジット」のような高速の鉄道を考えています。フランスとイタリアですとか、スイスの中でどういうふうに様々な都市をネットワーキングするかというようなことを議論しています。古い駅をどのようにリノベーションしていくかということが重要になってきて、新しい高速鉄道とまちとを結ぶ結節空間がアーバンデザインによって生まれつつあります。そうして繋いだ高速な都市間の交通を都市の中ではできる限り遅い交通を優先するような形で、歩行者向けの動線あるいはLRTといったものを入れ込んでつないでいるというのがヨーロッパの状況です。

「まちを動的に捉えるしかない」これは従前の我々の分野ですと、都市空間を設計するとか公共空間を設計する場合、こんな駅舎にしたらどうです、こんな空間にしたらどうです、と空間の設計図を出せばよかったわけですが、これからは、そういうことをやることでどのように人の流動が変化するのか、あるいは都市そのものが新陳代謝するのかということが問われないといけないと思っています。時間軸上で変化する都市に対してその空間設計がどう働きかけるのかと言ってもいい。

これは私がボストンにいた頃にやっていたマイクロシミュレーションの開発プロジェクトです(図2)。高速道路のネットワークによって緑地が分断されていたところに、それを地下に埋めるとどういう効果があるのかというようなことを数理的なシミュレーションを使って検証しています。その上の空間をこういうふうにデザインすれば人がどういうふうに使って、結果として経済効果がどういうふうになる、人との交流がどういうふうになるというようなことを、デザインと数理の間で対話を行いながら進めていました。これは最終的にエメラルドネックレスという有名な都市公園整備に帰着します。Big Dig(ビッグディッグ)といわれる高速道路を地下に埋めるこのプロジェクトは1兆円くらいかかる非常に大きなものですが、海外ではそのような数理、デザイン、PIなんかもそうですが、そういう手法開発がプロジェクトの中で一体的に行われることで、その他の事業に普及していったという側面があります。

 

図2:マイクロシミュレーションによるBig Digの評価分析

 

これで最後です。「遅い交通でまちを育てる」と書いていますが、結局のところ遅い交通を導入することで一体何が良くなるのかということについて、従前の費用便益のようなことで表していくのはすこし難しい側面があると感じています。我々交通計画を立てている側というのは通常「home-work-home」と呼ばれる、自宅から会社に行って会社から自宅に帰る2トリップの移動にプラス0.5~1トリップの、1日2.5~3トリップあることを想定した計画を経てます。全体の需要を予測してそこに道路がどれくらい必要ですという文脈で、交通計画・道路計画をしてきたわけです。だけど、3人に1人あるいは2人に1人が高齢者になるということは、この「home-work-home」のトリップは半減してしまうということです。そういう中で人々は何を求めて動くのか。情報化で全然動かないということなら道路空間は全く要らないとなるわけですが、まあそんなことは無いだろうと。人がやっぱり人とつながりを求めながら、どういうふうに都市を暮らしていくのか、あるいはそういう都市空間を変えていく際に、どういう人達が動きながらそういう都市空間への改変を進めていくのか。一筋縄ではなかなかいかないところがあります。融通無下に、いろんな同好の士とか技術者とか宣伝者とかユーザーとかネットワーカーに資金提供者、いろんなプレイヤーが動きながら都市空間を変えていく。それによってコミュニティの調子を整えていく、ということだろうと思います。しかしその動きだけで人生90歳という時代、あるいは2050年に向けて日本で3000万人減って世界で30億人増えていくというところの問題を解決できるのかということが、EA協会の皆さんには是非一緒に考えて頂きたいことです。遅い交通のための空間を生み出す、そのための設計をしていく、その動きを広めていくために、単純に良い物をつくればいいということではない何かが、ここにおられる方々には求められているのではないかということを私自身は思っています。

 

日本における遅い交通

 

———この遅い交通というテーマは今特に注目を集めていますが、日本においても昔からいろんな議論がされてきました。それがなかなか変化を生んでこなかった、上手くいかなかったということで、日本における歴史的経緯も含めて、篠原先生に原稿を書いて頂きました。そのお話についてご紹介頂きたいと思います。

 

篠原修(以下、篠原): 僕は学生のときから景観やっていましたから、もともと交通は専門じゃないんですけど、一応交通研究室というところにいましたので、多少は知っているし、まあ年寄りなので、どんなふうになってきたかっていうのをちょっと書きました。

僕の学生時代は、昭和40年代、1960年代半ばくらい、東京オリンピック前後ですね。その頃はどんなことをやっていたかというと、交通では4段階推定法という割と「科学的な」手法が発達して…羽藤さんは笑っているけど(笑)。つまり、どういう土地利用をしていると、単位面積あたりどういう交通量が発生するか。車にしろ車でないにしろね。当然高いオフィスビルが建てば発生交通量が多くなるわけだし、というようなことが発生の話で、そのあと分布、分担、配分を予測する。分担というのは、どういう交通機関が、どういう数量を分担するか、車なのか、地下鉄なのか、徒歩なのか、ということです。そういうことをやって、どういう街路、どういう鉄道にはどれくらいの需要が出て、キャパシティが足りるか足りないかっていうのをずっとやっていたわけですね。

その後には、非集計モデルというのが流行って、交通系の人は皆モデル論に行ってしまった。モデルのパラメータいろいろいじって、現実と合うとか合わないとかやって、それで論文いっぱい書いているわけ。それで合っているよね、大雑把なところは。いやいや、羽藤さんを批判しているわけじゃなくて(笑)。そういうことで、交通をやっている学者とかコンサルタントは、ほとんど現実の都市の問題とかデザインに興味がないんですよ。僕は景観やってデザインやっていますが、河川とかコンクリートの人は実際にモノを扱っているから、デザインに興味があって、少しは議論できたんですけど、デザインの前の段階の計画の重要な一部を担っている交通の人が、全然話ができない。やっと羽藤さんが出てきて、議論ができる交通の人間が初めて出たんですよ。初めてっていったら言い過ぎだけど、こういう人が増えてくれないと、日本の都市を論じるにあたって非常に困る。デザインだけやってもうまくいかないしね。そういうことで羽藤さんには大いに期待しています。

それで、1960年代だったと思いますけど、イギリスでブキャナンレポートが出て、その頃の一番の問題は、日本でもそうだったんだけど交通事故だったんですよ。車と歩行者をいかに分離するかっていうのが重要なテーマで、海外ではなるべく立体交差にして分離するっていうのを一生懸命計画論としてやっていた。日本はそんなに大々的にできないものだから、一生懸命歩道橋をかけていたわけ。そういう時代でしたね。それから日本がそんなことをやっているうちに、向こうはブキャナンレポートの範囲を超えて、ゾーンシステムを採用して、基本的にはある地区を決めて、そこには車を入れないで、周りに駐車場を作って、旧都心は歩行者天国にする。なんでそれができるかというと、もちろんロンドンとかパリみたいな大都市ではできないんだけど、大体向こうの都市は中世の城郭都市を起源としているので、市の境がはっきりしているんですよね。日本は城下町起源がほとんどですが、城下町っていうのはお城の区域はハッキリしているけど、まちの区域がハッキリしているわけではないので、できない。最初にヨーロッパの街に行ったときはびっくりしました。ともかく皆楽しそうにまちなかを歩く。

その後彼らがやったのは、今度は混合交通をどう処理するか。ゾーンシステムは分離ですよね。混合交通をどうするかっていうのは、全部分離はできないわけだから、どうするかっていうと、住宅地が中心でしたけど、速度規制をやって、ゾーン30で車のスピードを落とさせて、歩行者が優先でっていう、そういう規制をやりはじめて、そのあと大々的に出てきたのがトランジットモールかな。ヨーロッパではむしろ路面電車が多いんですけど、昔から路面電車が通っているところでは、一般の車は排除して、路面電車と、せいぜいタクシーと緊急車両しか入れない。あるいはアメリカでは路面電車はあんまりありませんけど、バス専用でってことでやりました。

日本でゾーンシステムはなかなか難しいと思いますが、日本の都市は街道型の街なので、トランジットモールくらいはできても良かったんじゃないかなと思うんですけど、一向にできない。まあ大体商業者の反対ですね。

で、その問題も片付かないうちに、今度はまたヨーロッパ発で自転車の問題が出てきて、シェアリング自転車の話もあったり、通勤に自転車を使おうっていう話もあって、また交通手段が多様化したわけですね。だから分離するのか、混合にするのか。混合にするときはどういうルールつくるのかっていうことで、ヨーロッパはずっといろいろ試行錯誤を重ねてここまで来た。日本は外国から知識はいっぱい入るんだけど、何ひとつできない。まあ、土日の銀座通りの歩行者天国くらいか。

だから、どうしたらいいか。西村さんが言っている話も、彼の発明じゃなくて、ヨーロッパのゾーンシステムを持ってきたらどうですかっていう話をしているわけですけど、今までできなかったわけですから、ヨーロッパ型の思考プラス、何か別の、日本人に「そうだよな」って思わせるものが出てこないとなかなか難しいだろうと思います。そもそも江戸時代までのことを考えると、日本のまちなかの交通っていうのは徒歩だけだった。ヨーロッパは昔から車両があって、車両を、歩行者をどうするかっていうのは昔から頭を痛めているわけね。日本は歩行者だけでたまに籠が通るっていうのがあって、物は全部船でしたから。いろんな交通手段がどんどん出てきて、知恵を働かせてルールをつくってとか空間をデザインするっていうことを、日本人っていうのは本当はやりたくないのだろう。どうも警察なんかを見ているとそうだよね。なるべく単純であってくれ、と思っているんじゃないか。だから今度の自転車の問題は警察も頭を悩ませているでしょうね。商店街も困っているだろう。だけど、これはなんとかしないといけないわけです。

 

新しい道路のかたち

 

———実務でやっている者同士ということで、西村さんから吉谷さんのプロジェクトについて何か質問はありますか。

 

西村浩(以下、西村): 記事の中に可変型道路ってあるじゃないですか。そのことについて、もう少し話を聞きたいなと思うんだけど。

 

吉谷崇(以下、吉谷): ちょっと説明不足だったんですけど、可変型道路というと新しい発明のように聞こえるのですが、実際には使い方の問題ですよね。先程篠原先生から分離と混合の話がありましたが、日本で何故そういった日常的に混ざったような道路ができないかっていうことで自分なりに思うのは、日本の空間の使い方というのは「イベント型」なんじゃないかという気がするんです。普段は大人しく分かれて住んでいて、いざっていうときに、こうバッてやれれば、それが日本らしい空間の使い方みたいなのが染み付いているんじゃないかと思います。そんな中で、あの可変型というのは、そういったことを繰り返しながらちょっとずつ混合の道を探るにあたって、空間的には1つの形なんですけど、使いながら形を変えていけるというような考え方ですね。

 

西村: 形が変わるっていうのは具体的に何が変わるのかな。縦に割った道路の利用の仕方が変わるとか?

 

吉谷: 簡単にいうと、形としては「シェアードスペース」に近いんじゃないかなと思うんです。全てが1つのルールで出来上がっている中を、いろんなファニチャーであったり植栽であったり道の通し方っていうのを変えていく、と。何故そんな話になったかっていうと、副道(写真5)の扱いの問題が花園町通りでは大きくて、副道がすごく大事だっていう方が多かったんですね。一見、全然使っていないようなんですけど、すごい使うんだっていう方が多くて。でもやっていくうちに違う使い方ができるようになるはずなんですね。

 

写真5(左):花園町通りの副道  写真6(右):歩道と一体となった副道の検討模型

 

西村: 使うんだっていうのは車で使うってことですか?

 

吉谷: 車でもそうです。道路なので本当はだめなんですけど、現状では停めてそこで乗り降りするのが基本になってしまっているんですよ。それをいきなりやめてくれって言われてもなかなか出来ない状況がある中で、それを少しずつ、デザイン的には統一しながらも、ちょっとずつイベントをやったりしながら使わなくてもいけるような、そういった使い方を探していければなというのが今の考えです。

 

西村: なるほど。実は大分でも若い人が出てくるようになって、市民の方々に道路のあり方を提案してもらったんですね。若い人からお年寄りまで提案をしてもらったんですが、可変型道路の話が出てきたんですよ。幅員広くて、今は6車線なんだけど、将来的にはトランジットモールに転用できるように、最初からフラットに整備しておいて、ボラードを動かしながら、車道を狭くしていこうみたいな提案だったんですけど、現実的には、警察がまずうんとは言わない。その他にも、信号や地上機をどうするんだとかね。なかなか現実的には非常に難しいんだよね。可変型に向かおうとするときに、その辺をどういう風に乗り越えようとしているのかなと。

 

写真7(左):大分 中央通りの現況  図3(右):車線減少後の中央通りの活用イメージ

 

吉谷:    花園町通りに関しては、車線を減らすところまではやらなければならないと思っています。あとは、先程言ったような副道の使い方を徐々に変えていくことがねらいなので、信号とかそういったハード的な部分は大丈夫だと思っています。

 

西村:    大分では、可変型は難しいという結論になったんだけど、その理由の一つは、先ほどのハード的な制約で、もう一つの理由は、車を止める決断を先送りすると、結局車線を減らすチャンスを失ってしまうと思うんですよ。今回、公共投資によってハードの整備を行うわけですが、日本の財政状況を考えると、次の投資の可能性はほとんどないと思うんだよね。この機会に、どれだけ車を減らし、車線を減らしておけるかというところが僕は大きな勝負だと思うんです。そう考えると、とりあえず可変型で対応して、現時点での車線減の判断を先送りして、将来減らしましょうといっても、おそらく車線は減らない。僕らがずっと監視しているわけにもいかないし、おそらくそのままずっと車道として使い続けて、定着してしまうことになりそうなので、僕は可変型という処方箋には、少し疑問があるんだよね。

 

吉谷:    そういう意味では、花園町通りは通過交通も少ないので交通の状況的には車線を減らせるというのが大きいですね。ただ、似たようなかたちで国立のほうでも空間の再配分に関わっているのですが、それは駅前広場で、そちらに関してはそういった懸念はあります。それを計画論的にズバっとやってしまうだけではなく、沿道施設や市民の方々の広場や道路空間の使い方を育てていくことによって、少しずつ意識を変えていくという必要はあるのかなと思います。

 

デザインと数理の距離

 

———羽藤先生は大分とか佐賀のお話はあまりご存知じゃないと思いますので、西村さんに何か質問があればお願いします。

 

羽藤: 篠原先生は僕からすると、交通の話をしてくださる稀有なデザインの方だなという感じなんです。篠原先生くらいしかいない。デザインと数理の距離というのはそれくらい今ものすごく離れてしまっている。でも、そもそも都市工学科の丹下健三さんっていう人が、万博でなんで仕事が取れたかというと、あれはシミュレーションのおかげなんですよね。当時アメリカで最先端だった歩行者の流動のシミュレーションをもってきて、どういうふうに流動を制御したらいいのかということで、コンペに勝ったという経緯があると。だからアーバンデザインの初期の時点では、数理とデザインというのが強く結びついていたんだけれども、いつの頃からか、なんとなくそこの両者の距離が遠く離れてしまっている。だから1つはそういう数理とデザインの間の対話っていうのを、現場でこれだけ動いている西村さん自身が必要としているのかどうかいうところを、まず聞きたいですね。

 

西村: 今日は全然喋りませんでしたけど、実際にはやっているんですよ。もちろん必要だと思いますよ。イメージだけ言ったって現実的なバックアップがなければできるわけないわけで、当然、交通シミュレーションは必要です。ただ、僕はシミュレーションみたいな数理には、なんていうんですかね、意志がいると思うんですよ。要はああいうシミュレーションって、何か前提条件を入れれば、何らかの結果が出るんだけど、そこで大事なのは仮定の質だと思うんですね。どんな仮定がどんなアウトプットに繋がるかということに対する想像力が必要だと思うんですよ。僕は交通の細かいことは分からないんですけど、これからの都市の理想像のためには、交通はこうあるべきという仮定をして、それに向かってどういうふうな数理的なバックアップができるかいうことを、僕はいつも問うんですね。なんとなく数理というと、僕が学生時代に抱いていたイメージでは、何か数字を入力すると結果が自動的に出て便利なものだ、みたいな意識があったんだけど、実はそうではなくて、入力する人間力が大事なんですね。誰がどういう意図で入力するかっていうことで、随分結果が変わるので、僕はそこを担っているつもりなんですよ。そこから先は、創造的な発想を持った交通の専門家と、デザインの専門家である僕らが、想像力を働かせながら、トライ・アンド・エラーを繰り返して、最終的に計算機をまわせばいいんですよね。ですから計算機まわすのは、僕は最後だと思うんですよ。僕自身は、そういう議論ができる人間になりたいなと思っているんですけどね。

 

篠原: 君がそう思っているんだったら、僕が交通研に行って、がっかりしたのと同じだ。つまり、交通研に入って最初は交通計画をやろうと思ったわけだよ。交通計画やって、都市の問題なんかをやろうと思ったんだけど、やっていることは、計算だけなわけ。計画っていうのは、価値判断が入らなきゃいけない。交通でやっているのは予測だけなんですよ。だからこの予測が出たのでこれでやりますっていうのは価値判断抜きなわけ。それはプランニングじゃないんだよ。

 

西村: そう、それが良くないと。

 

篠原: だから今の交通の連中は実際にプランニングやってないわけ。予測だけやっているわけ。

 

羽藤:    (笑)

 

西村:    今は違うかもしれないじゃないですか(笑)

 

篠原:    プランニングをやらないで、予測やって、これはプランニングだと言っているわけ。

 

羽藤:    サンドバックだな(笑)

 

篠原:    だってそれはね、おかしいんだよ。西村君は入力が重要って言ったけど、そうじゃなくて、入力して出てきても、いいやこっちのほうが混雑するけど、将来的にこっちのほうが大事だっていう価値判断が出てこないといけないんだよ。そこが一番、交通の人間と議論してやっていけるかどうかのキーポイントだね。つまり、都市とか人間にとって何が価値があるのかっていうことを、全然考えないわけ。

 

羽藤:    あえていうと…そうは言うんだけど、GSデザインワークショップ(注1)に今週ずっと講師で参加していて、今学生さんが銀座を課題にやっているんだけど、大抵彼らはローカルに敷地の中だけで解こうとしますよね。

 

西村:    ああ、そうでしたね。

 

篠原:    全体の流動を考えてないよね。

 

西村:    篠原先生、教え方が悪いって言われていますよ(笑)

 

羽藤:    でも、都市工の学生さんに同じ課題を出したとしても、コミュニティで解く人が多いと思うんですよね。

 

篠原:    ああ、流行っているからね。

 

羽藤:    なんなんだって言いたいんだけどね、すごくイライラするっていうか(笑)。

 

篠原:    僕は交通の話はしなかったけど、銀座のこと考えるんだったら西のほうから考えて、皇居があるでしょ、聖の空間でね。霞ヶ関があるでしょ、これは政の集落だよ。で、丸の内がある、これはビジネスだ。それで銀座があって、下町の築地があってって、こういう連環であるんだからねって言ったんだけどさ。

 

羽藤:    だから解き方のスケールが1つしかないんですよね。

 

篠原:    1層なわけね。

 

羽藤:    そう。だから自分の手を動かして考えられる範囲、その一層のスケールで取り扱うことのできる範囲で問題を考えてそこだけを先鋭化させる。それはひょっとしたら建築もそうかもしれない。東大でもあの街区のスケールを教育でちゃんとやれているかっていうと、勿論卒業設計くらいでしかやっていないんだけど。だから、問題の解き方というか見方を変えるという発想が必要だよという話をする。そうすると途端に学生さんも困ってしまう。で、なんか突拍子もない特殊解を持ってきて、ドーンと広場つくります、以上みたいな。それほど単純じゃないかもしんないけど、そういうことになる場合は多いんじゃないですかね。

 

篠原:    教育が悪いんだ。

 

羽藤:    都市の問題は総体として解く必要があって、それは数理とかデザインっていうよりも、人間の1人の頭の中に全部詰め込んでそれでどうやるんだっていうことを考えない限り駄目だと思う。数理の精度とかデザインの精度はいろいろあるにしても、やっぱりそういう解き方をしないと、特に遅い交通みたいな問題は解けないんじゃないかなという感じがしています。

 

篠原:    それは若い連中には大変かもね。羽藤さんに言われて丹下さんの本をまた読みなおしているんだけど、彼がやっていたのはヒューマンスケールじゃなくてマスヒューマンスケールの問題で、群衆が集まったときにどうなるか。だけど、代々木のやつだってさ、丹下さんが親分でいるけど、あなたは流動のことやりなさい、あなたは吊り屋根のことやりなさいって6−7人で分業でやっているんだ。それぞれ割り当てて。

 

羽藤:  いや、そうなんだけど、当時はすごくプリミティブなんですよ。だから丹下さんの頭の中では一つになっていたんじゃないかと思います。

 

篠原:  そうかもしれない。

 

羽藤:  数理の手法も結構いい加減っていうとあれなんだけど…。

 

篠原:  初歩的だったよ。

 

羽藤:  そう、初歩的だし、丹下さんのデザインはすごいんだけれども、人間が1人で見てやった感じがする。やっている連中も隣の連中が何やっているかっていうのが薄々分かっている。同じ研究室の中でそれができて、それで現実の空間が変わっていったというフェーズだったと思うんです。だから僕が何を言いたいかというと、今日ちょっと教育の話をしたいと思っていたんだけれども、やっぱりその学部とか修士とかそれくらいの3−4年の期間は、なんとなくゆるく、これは高山英華さんも言っているんだけど、やっぱり計画っていうのはこういうことなんだよ、デザインっていうのはこういうことなんだよ、っていうのを、数理とかデザインとか制度とか一緒に一応全部食べてみることが大事だということです。総体としての計画はこういうものなんだよって全部やって感覚をつかんだ後で、僕はデザイン、僕は数理ってやっていくと、多分あとで対話ができたりとか、チームが組めてやっていけるという状況になる。あまりにも早いときに先鋭化してしまうのは考えモノだと思います。デザインで、GSデザインワークショップみたいなこともやっているんだけど、あそこで一番重要なのは、ランドスケープとかアーバンデザインとか建築がいかにして対話するのかってことじゃないかなという気がします。そういう対話の機会が減ってきているというのは問題だし、そういういろんな分野を自分の中で考える機会が持てるのかっていうことが1番重要だと僕は思います。

 

注1:GSデザインワークショップ

篠原修氏と内藤廣氏の両名を代表とした組織である「GSデザイン会議」の主催により、土木、建築、都市計画、造園、歴史、デザインの各分野から迎えた講師陣のもと、1週間の集中形式で行う学生対象のデザイン演習プログラム。今年度は羽藤英二氏も講師として参加している。

 

———やはりデザインの専門家と交通の専門家の意思疎通というか、相互の理解ができてこなかったということは確かにあると思います。交通需要予測とかシミュレーションっていうのは、入力を変えれば答えが変わるのが実際ですけど、現実のプロジェクトでは、問題解決のための万能ツールであるかのように信じられたりしているわけです。その反面デザインっていうのがすごくふわふわしたものとして捉えられている。まあ、実際そういう側面もあるわけですが、それだけではないですよね。交通の専門家の役割も、何か入力を与えて将来を予測することだけではない。現況をよりよく理解して、デザインの議論を精度の高いものに、また発展的なものにするために、数理とか交通の技術が使われるべきと思います。羽藤先生もこの原稿の中で、「議論のための補助線が必要不可欠である」と書いておられます。公共空間のデザインを議論するために、数理的な解析の結果とか、模型とか、空間配置の情報をより正確に掴んで、それを議論に使おうということですね。これまでの交通の技術にはない新しいものが、出てきているということかと思います。

 

羽藤:    例えば、被災地で最初の半年くらいの間に、津波のシミュレーションをやって、条件変えて膨大なケースの配置シナリオで計算してみたいな話があったんですよね。だけど、防潮堤の高さを変えるとか、配置を変えて市街地側に寄せるとどういうことが起こるのかっていうことを想像しながらその計算オーダーを出さない人は何の役にも立たないんですよ。闇雲に手戻り計算が増えるだけで。だからやっぱり地形を読みながら断面図を描いて、模型をつくって、そこで必要な数字があって、それを並べて頭にいれてどういう計画を立てるかが問われる。災害が起こったら次はどういうことが引き起こされるのか、それを頭の中で立体的に再解釈できる、本当のプランナーだったりデザイナーだったりすると思うんですけど、そういう人の育て方、あるいは業務のやり方が大事だと思う。そこに出すための数字とかデザインが、ちゃんと仕事の中で見積もられると、きちっと仕事になっていくと思いますし、そうならないと、まあやっぱりコトは進んでいかないのではないかと思います。

 

交通の現在と行方

 

篠原:    誤解しないほうがいいと思うんですけど、羽藤さんは交通の中ではちょっと特殊な人間なので、それを一般だと思われると、大きな間違い。だから羽藤さん、交通の世界ってどうなっているのかというのを、ちゃんと解説したほうがいいんじゃないかと思うんだけど。まあ交通の世界っていったって、学会もあるし、実務の社会もあるしいろいろあるでしょうけど。こういうことが出来て、どういうところがまずいとか。

 

羽藤:    (笑)まあ、厳しいですかね。交通の先生は、基本的には都市スケールを広域で考えているし地形なんて考えないのが普通だと思う。西村さんが扱おうとしているエリアは1ゾーンで、そこに何人の人が来ますっていうゾーン間の交通計画しかできないのが従前だと思う。でも今日議論してきた遅い交通の話というのは、高齢化が進んで生活圏域がどんどん小さくなってきて情報化技術も進化するから、「City」というざくっとした空間スケールのための計画というより重なりあう「Village」のための計画が必要ということでしょう。それはゾーン内の空間と交通をどう仕立てていくかっていうところが世界中で議論になっているんだけど、それは交通の連中からしても…。

 

篠原:    ミクロすぎるんだ。

 

羽藤:    ということです(笑)。研究対象として今までそれほどやってきていない。でも最近はスマートフォンを使ったプローブパーソン調査のようなこともできるようになってきているので、今まさに研究の対象となりつつあるのだと思います。交通の専門家の中でもゾーン内の計画をどうするんだという議論が出つつある。ということは、さっき丹下さんの話をしましたが、議論がまだプリミティブなんですよね。だからこそ交通の側とデザインの側がもう1回議論できるチャンスが来ているような気がします。

 

篠原:    それは今回の復興でもやっていますか。例えば陸前高田は将来1万5000人のまちで、いろんな地区があって、交通とまちをどうする、ってやっているの?交通だけでやるんじゃなくて、都市を計画するとか、デザインする人とかと一緒にやれているかっていうこと。

 

羽藤:    まあ、難しいんですよね…。事業屋さんが事業の計画たてて、都市計画決定の中では当然都市計画図書っていうのをつくるので、交通量配分らしきことはやるんだけど、それは従前のゾーンの単位の話ですよね。高台移転するから集落の設計をやって、それを集約型の都市構造で健康医療福祉も含めて複合的に考えて、それで相互扶助型の交通をうまく導入していく、それでコミュニティがどうなる、みたいなところまで頭ではわかっているんだけど、移動も含めた形の集落計画論まではなかなか落ちていっていない。そういう需要が疎なところの計画論がもともと苦手だったということもあると思いますけど。

 

西村:    でも今話聞いて、これから変わるんじゃないかなって予感がしたのが、昔は交通も日本全体の地図を見てやっていたわけじゃないですか。今度は「Village」でやるから、住宅地図みたいなので交通計画やるわけでしょ。そうするとディテールが見えてきますよね。そうすると交通の意識が変わるんじゃないですかね。図面自体が変わるっていうか。

 

篠原:    身近な感じになるよね。

 

西村:    羽藤さんが今やられているようなことと、近くなってきますよね。

 

羽藤:    こういう分野って、今アメリカのほうだと、ITの人達が入ってきています。eガバメントみたいな話がありますが、公共空間の管理方法やデザインについて、SNS経由でコミュニティの住民がオーダーしたり入札が行われている。あるいは個人のニーズが引き出され実践が加速していく。スマートフォンでライフログみたいなものが入手できますから、そういう膨大なデータを用いてミクロな空間計画だったり合意形成みたいなものをインタラクティブにやっていく。そういうコミュニティのガバナンスツールが色々出揃いつつあるという状況で、いろんな連中が関心を持っているところです。今我々が議論している場に関心を持っているのは、僕たちだけじゃなくて、むしろいろんな他の研究者、それぞれの土地に住んでいる人々との議論を実践の中で、10年20年かけてすごく大きく変わってくるんだろうと思います。

 

(2012年9月7日(金)18:00~20:00/(有)EAU地下スペースにて 文責:EA協会機関誌編集部)