SPECIAL ISSUE/ all

2011.07.01

デザイン教育の手段としての「プロジェクト」
-九大樋口研の場合

はじめに

「設計事務所みたいな研究室だ」とよく言われます。模型や図面が所狭しと転がる研究室の状況がそう見えるということもあるのでしょうが、一番大きいのは、僕が「プロジェクト」と呼んでいる活動が研究室の柱になっているからでしょう。これはいわゆる実プロのことです。プロジェクトの種類は橋、ダムのように構造的なデザインを主体にしたものから、街路、河川、公園のように空間的なデザインを主体にしたものまで様々です。景観ガイドラインの作成のように計画系のプロジェクトもあります。市民参加が明確に位置づけられているものもあれば、そうでないものもあります。
プロジェクトといっても、なんでも話があれば引き受ける、というわけではありません。大学の研究室が参加するのですから、構造やデザインが先駆的なもの、社会的に意味のある取り組みなどを選ぶようにしています。事業主体から依頼されるものだけでなく、こちらから「押しかけ」ていく、つまり事業主体に「やらせてくれませんか」とお願いして参加させていただくものも多いですね。現在走らせている筑後川水天宮地先の歴史的石積み護岸の改修事業はその種の仕事です。

 

プロジェクトの進め方

最初に研究室で取り組んだプロジェクトは、平成13年から参加した対馬市厳原の街路拡幅に伴う景観設計です。延長約300mの区間を市民参加で集約した将来イメージをベースに設計しました。ここでは研究室の学生達が市民ワークショップで議論した「将来イメージ」を具体化した1/20全体模型をつくり、設計が進む中で詳細検討模型の製作なども担当しましたが、具体の設計にはあまりタッチさせてはいなかったように思います。本格的に研究室で設計をやったのは「遠賀川直方の水辺」が最初です。今も続く長い取り組みなのですが、初年度は平成16年です。僕が「プロジェクト総括」、当時修士1年だった学生5名がプロジェクトの「担当者」。大まかな流れとしては、まず全員で地形の把握、乾期・出水期の流況の把握、市民の河川空間利用実態の調査、現地及び周辺の歴史調査などをおこないました。次いで地元の川づくり活動をされている方々と何度もワークショップをやり(つい先日60回記念シンポがありました)、どのような河川空間を実現したいかについて共有イメージを構築する作業に取り組みました。ここでは1/500から1/100までの模型を主なツールとして製作・使用しています。当初はここまでやって将来に向けた計画をつくって終わるはずだったのですが、急に対象地域に河川改修事業の予算がつくことになり、2カ月しか時間が無い中で設計までもっていくことになりました。
具体的に学生に担当させたことと僕の意図をいくつか挙げてみます。左岸では水辺にアプローチしやすい緩やかなスロープを設計すると決めていました。まずアンジュレーションの大まかな考え方を説明したうえでいきなり学生達にスタディをさせました。平面図に等高線で地形を表現するのではなく、現状を表現した1/200の模型を粘土で造らせ、それを削ったり盛ったりしながらのスタディです。自分が模型の上でいじっている地形が現実になったらどのような空間になるのか、そこを移動したときにどのような風景のシークエンスが展開することになるのか等を考えさせながら最終案まで引っ張っていきました。写真1と2はそのころの写真です。

 

 

写真1・写真2 粘土模型による地形のスタディの様子

 

右岸の方は水衝部があるためある程度護岸を固めなければなりませんでしたが、こちらでもフラットな高水敷を高さの違う数段のテラスに分割して対応するという基本的な考え方を示したうえで、三次元的な空間の構成を学生達にスタディさせました。こちらもまずは1/200模型から始め、自分がスタディしている空間の特徴を学生達がきちんと頭に焼きつけることができるようになるまでしつこくいじらせ続けました。その後もオーソドックスな設計の流れに従って石積み護岸や階段の形状など詳細まで学生と一緒に詰めていきました。最後の方は残り時間も少なくなり大変だったのですが、それでもこうしたスタディの結果を寸法や注意事項まで書き込んだ手書きの図面としてまとめあげるところまで学生達はついてきました。写真3はスロープの勾配をスタディしている学生です。写真4~7は学生達の作成したスタディドローイングです。

 

写真3 スロープの勾配をスタディしている様子

 

 

左:写真4 学生達が作成したスタディドローイング1  右:写真5 学生達が作成したスタディドローイング2

 

 

左:写真6 学生達が作成したスタディドローイング3  右:写真7 学生達が作成したスタディドローイング4

 

徹夜で学生が仕上げた石積み護岸の詳細図を朝検討して赤を入れ、翌朝までにまた学生が線を引き直してくる、という日々が何週間も続きましたね。途中、事業主体の河川事務所との打合せや業務として実施設計を受注(実際には九大の図面の構造面でのチェックとデジタル図面の作成)しているコンサルとの打合せが無数にありましたが、それらの多くは僕の指示に従って担当の学生が対応しました。参考事例を探し資料を集めてくる仕事、工法や材料についての資料を集めてくる仕事などもやっています。工事が始まってからも、現場指示、設計の変更など様々な対応を学生達とともに進めました。
学生に何をどこまで担当させるか、どこからはこちらが引き受けるか、教育的効果を出すべくどのような工夫をするか。このプロジェクトが最初のケースでしたので、そうしたことのすべてを走らせながら考えていきました。
以来、樋口研では毎年1~2本のプロジェクトを走らせています。進め方は遠賀川の経験がベースになっていますね。プロジェクトのタイプや学生の能力に合わせて指導の仕方を少しずつ変えてはいますが、「徹底的に空間を三次元的に考えさせる」、「まず方向を示し学生に考えさせ、出てきた解を一緒に吟味し、さらに方向を示しまた考えさせる」、「プロジェクトの最初から最後まで責任を持たせる」という基本的なことは遠賀川のころと変わっていません。
正直、学生達にはかなり厳しい時間だと思います。先生から難しい議論をぶつけられ振り回され怒られ続けるのですから。自分の経験と勘から「この子ならここまではできるだろう」という線を学生に応じて引きますが、なんとかこなせる子もいれば、ほとんどこなせないで終わる子もいます。これはしょうがないですね。

 

なぜプロジェクトをやるか
もし学生達に参加させなくても、自分だけでプロジェクトをやっているでしょう。なぜかといえば、この国の土木は未だに「美しい国づくり」にむけて具体的にどうしていけばよいかの答えをみつけきれておらず、へたくそであっても具体的な仕事をしてみせることが必要だと思っているからです。
ではなぜ学生達をそこに巻き込むのか。少し前まで建築系の大学にはプロフェッサーアーキテクトと呼ばれる先生たちがいて、学生を叱咤激励し育てながらキリキリと線を引き時代の地平を拓いていった時期がありました。土木のプロフェッサーアーキテクトを気取るつもりはさらさらありませんが、今の自分の立ち位置にはそれに近いものがあるように僕は思っています。学生達がデザインを志し社会に飛び出していってもそれを受け止めて育ててくれる環境がほとんど存在しない現在、ある程度の経験とぶれない志を持たせて社会に送り出してやりたい。架空のプロジェクトを題材にして設計演習をやるよりも、実際に造られることがはっきりしているものを相手にした方が、はるかに大きな教育的効果を期待できる。そんなところです。
課題はあります。少数の学生にしか対応できないこと。毎回同じような教育的効果を得られるわけではないこと。そして自分がしんどいこと。
大学の研究室がプロジェクトをやるのと設計事務所がやるのとでは本質的に大きな違いがあります。一番大きいのは前者では「教育」という目的がまずあること。そしてその対象となる学生を「選べない」ということです。学生とは一人ひとり一期一会。こちらが選ぶことのできない若者が何年か研究室にやってきて、数年すると必ず去っていくのです。ですから設計事務所のように人材やノウハウの蓄積で仕事をするということはできません。毎年ゼロからのスタートです。去年伝えたことを今年また一から新しい学生に語らないといけない。この学生はどんな素材かを見定めながら。その一方で、最終的なデザインの質については、どのプロジェクトもベストまでもっていかなければならない。これはしんどいですよ、本当に。でも、自分に与えられた役割だと思って手を抜かずにやっています。

以上、簡単ですが樋口研の状況をご紹介させていただきました。何かのお役にたてれば幸いです。