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2012.04.10

岩手県大槌町の復興計画について

はじめに

筆者は、国土交通省都市局の「東日本大震災の被災状況に対応した市街地復興パターン概略検討業務(その6)」を通じて、岩手県大槌町の復興計画の作成を支援させていただいた。本業務は、東京建設コンサルタントと地元岩手の邑計画事務所が共同提案体を組み、小野寺康都市設計事務所・EAU・二井昭佳先生(国士舘大学)を協力者として実施した。また、作業監理委員として、大村謙二郎先生(筑波大学)と中井祐先生(東京大学)にご指導いただいた。

大槌町は、平成22年10月1日で人口15,276人の町であった。東日本大震災による津波被害は、死者802名、行方不明者484名(平成24年1月1日)、家屋の流出棟数4,103棟と、大変、悲惨なものであり、今もなお行方不明者の捜索が続けられている。また、2,106戸の仮設住宅が建設され、4,762人の方々が生活されておられる(平成23年10月17日)。さらに盛岡市・北上市・花巻市・遠野市など町外で数百人の方々が居住されておられる。

前述した検討業務も平成24年3月9日をもって終了し、成果報告書をとりまとめた。ここでは、その報告書に基づき、この1年の復興計画づくりの状況について、①計画づくりの体制や手順(プランニングプロセス)と②各地域の計画の概要を紹介し、今後の課題について若干の考えを示すこととする。

 

成果報告書は情報公開の対象となっており、誰でも開示請求ができます。本記述も発注者に了承を得たものです。
より詳細な情報を得たい方は、大槌町のホームページにアクセスして下さい。「大槌町復興関連情報」のコーナーがあります。そこでは、以下に記述する「地域復興協議会」「復興計画・基本計画」「住民説明会」に関する情報を見ることができます。

1.計画づくりの体制と手順

大槌町の復興計画づくりが本格的に始動したのは、碇川豊が新町長に就任した9月以降である。(大槌町は津波により町長はじめ幹部職員が亡くなられ、8月までは副町長あるいは総務課長が町長の代理を務めていた。)碇川町長は、住民の手による計画づくりを行うことを表明し、町内10地域に「地域復興協議会」を設置した。住民代表の会長・副会長、会議を中立的な立場で運営するコーディネータを委嘱し、活動を展開した。コーディネータは、中井先生をはじめとする土木・都市計画・建築を専門とする学識者が担当した。(表-1)

表—1 地域区分とコーディネータ

地域復興協議会は、最初と最後に全体での会議、中間に地域別に4回(被災なしの2地域は2回)開催された。概ね以下のような流れで議論が行われた。第1回は、議論の進め方・津波シミュレーションの結果・復興まちづくりの考え方などを説明し、ワークショップ形式で自由な議論を行った。第2回は、前回の議論を整理し復興まちづくりの案を提示して、小さな班に分かれて議論し最後に班別のまとめを発表し考えを共有した。第3回は、前回に出された意見(相反する意見も合わせ)を復興まちづくり案の中に記述し、参加者全員で議論しながら意見の集約を図った。第4回は、これまでの議論を「基本的な考え方」と「復興方針」として整理して示し、参加者全員の議論を踏まえてコーディネータがとりまとめた。また、参加できない方々のためには、「かわら版」を作成し、町の広報と同時に配布した。

また、地域復興協議会と並行して、コーディネータ会議を開催して各地区の情報共有を図り、各回の運営方法や出された意見への対応などを、大槌町と議論して決定した。これによって、各地区の議論がスムーズに進行した。

振り返ってみると、①被災地域はすべて同時に始めたこと、②被災しなかった2地域も含めて議論したこと、③赤浜地域などに象徴されるように地域住民の意見を尊重したこと、④コーディネータは中立的な立場を維持しつつ専門的な見地からアドバイスをしたことなどが、地域の計画をとりまとめるために効果があった点ではないかと考える。

表—2 会議の開催経緯

写真—1 地域復興協議会の様子

図—1 第1号かわら版

2.各地域の計画概要

前述したように、各地域でまとめられた復興まちづくり(案)は、平成23年12月4日の地域復興協議会全体会で、町長に提案された。それを基に、大槌町として復興計画・基本計画の中で「地域別の復興まちづくりの方向性」として記述した。(参考資料)
12月6日にコーディネータ会議が大槌町で開かれ、それまでの地域復興協議会での議論を総括し、地域別の復興まちづくりにあたっての共通原則をとりまとめた。これは、大槌町で取り組んでいる復興計画の空間デザインに関する考え方が集約されているので、以下に紹介する。

① 地域の歴史を尊重し、土地の履歴を継承する。

② 土地の自然(地形・地質・水など)や資源を活かし、自然と調和したまちをつくる。

③ 市街地の拡散を防ぎ、地域の活力の根本である生活文化や人のつながり、人と土地のつながりを維持する。

④ 魅力的なまちと風景の形成にこだわり、将来に渡って一定の定住人口を維持するとともに交流人口の拡大を図る。

⑤ 公共空間を適切に配置し、災害発生時の避難行動体系と日常の生活動線が一体となる市街構造をつくる。

大槌町は、図-2に示すように大きく5つの地域で復興計画を作成している。詳細は、参考資料を見ていただきたいが、以下に、津波への対応の視点からその要点を紹介する。

津波を防御する安全なまちづくりの基本は、L1レベル(概ね数十年から百年に一度程度の津波)では生命と財産を守るよう防潮堤を整備し、L2レベル(数百年から千年に一度程度の津波)では生命を守るための避難体系を整備する、という考え方を中央防災会議が示している。しかしながら、被災した住民の多くは、当然のことながらL2レベルでの安全(津波に襲われない)を望んでいる。これを満たすためには、高台への移転しか方法はない。大槌町では、全く異なる場所への移転は考えていない。少なくとも同じ地域で被災しなかった集落の周辺にせり上がるように新しい移転集落を造成しようと計画している。(安渡地域、赤浜地域、吉里吉里地域、浪板地域)

また、街の中心を継続して維持することが望ましいと考え、元の位置で再建しようとする地域もある。(町方地域、吉里吉里地域の中心部)この場合は、盛土等により安全性を高めることを検討している。

津波シミュレーションと復興計画を繰り返し検討し、地域復興協議会の議論を経て、赤浜地域、小枕地域(町方地域の一部)、浪板地域の3地域については、防潮堤の高さを被災前の高さに留めることとなった。それ以外の地域では、L1レベルの防潮堤(大槌湾でTP14.5m、船越湾でTP12.8m)を整備する。

図—2 大槌町の5つの地域

3.今後の課題について

大槌町では、昨年12月に復興計画・基本計画をまとめ、年明け早々に住宅再建に関する住民意向調査を実施した。この結果から、災害公営住宅への入居希望が多いこと、それぞれの地域の移転候補地について希望の多い少ないがあることなどがわかり、事業化にむけて計画案の修正・調整が必要とされている。また、3月には住宅の再建を一定期間制限する「被災市街地復興推進地域」の指定、および住宅再建に関わる各種制度を紹介する住民説明会が開催された。
以下に、今後想定される課題を以下に整理し、考えるところを述べることとする。

① 絶えず見直しが必要とされる計画

住民意向調査からも明確になったように、住民の希望は、計画内容や支援の条件によって変化することが十分に予想される。各地域および大槌町全体の復興計画は、絶えず見直しが必要である。大きな前提条件や骨格を変更することはないかもしれないが、公共施設の配置・具体的な移転住宅地の位置や災害公営住宅の形態などは、案を提示し住民の意向をよく聞いて具体的な設計に取りかかることが望まれる。より多くの被災者の方々が、同じ地域に留まってもらえる計画を、走りながら考えるしかない。

② 移転跡地の土地利用

移転跡地については、現在のところ、緑地・公園・産業用地としている。この部分の土地利用については、町の産業振興・文化・レクリエーション・教育などを含めて、早急に議論を行い、地域ごとにその用途を明確にしなければならない。大槌町の地域はコミュニティ意識が色濃く残るところであり、維持管理も含めて新たな「共有地」としての活用などができないだろうかと思う。

③ 丁寧な合意形成

ボトムアップの計画づくりは、今のところ地域にとってプラスの効果があったと考えている。これからは、個々の被災者の状況、移転候補地の地権者の合意、区画整理を導入する地域の合意形成など、事業化にむけては、地域復興協議会で行った以上のコミュニケーション・信頼構築が必要である。地元住民と大槌町職員さらには学識者などの応援部隊が一体となって、きめ細かく丁寧な合意形成を行うことが必要である。

④ 新しいふるさとを創る空間デザイン

まだまだ被災者の心は、津波を受けた時のように大きく揺れ動いている。しかしながら、少しずつ笑顔が生まれ、会話も弾むようになった。大きな自然の骨格は被災前と変わらない。歴史も文化も人々の心の中には生きている。われわれは、大槌の大地と人の心の中にあるふるさとを紐解き、新しいふるさとを創る空間デザインに取り組まなければならない。