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2011.11.03

将来に何を遺すのか

平野 勝也(東北大学 災害科学国際研究所|EA協会)

1.はじめに

正直に言おう。復興計画の策定がこれほど難しいとは思っていなかった。普段、まちづくりや、土木構造物デザインのお手伝いをしている時には、「本来こうすべきだ」という考えが必ずある。それを現実やコストと摺り合わせ、少しでも理想に近いものを実現していくのが、我々の仕事であると、そう思っている。しかし、復興計画のお手伝いに関して言えば、「どうすることが正しいのか」自分でも解らないまま、釈然としない思いを心の何処かに抱えつつ、計画策定への助言をしているのが、正直なところである。勿論、私の力量不足もあろう。しかし、この難しさに明確な答えを持って取り組める人は、逆に、偏った見方になっているのではないかとさえ、思えるのである。

私が考える復興計画の難しさは、以下の4点に集約されると思う。時を経るにつれて、事態が自分でも見えてきて、さらに気付くこともあり、増えていくのが困ったものである。

a)巨大災害と向き合う難しさ
b)人口減少下・高齢化社会における計画の難しさ
c)街の記憶を多く失ったことの難しさ
d)安全性とまちづくりを両立させることの難しさ

8月末から9月のころは、a)〜c)が主たる問題だと思っていたので、9月にあった土木学会の全国大会では、それを中心に話題提供をさせて頂いた。しかし、その後、各地の計画が進む中で、特に海岸毎に海岸防潮堤の高さが示されて以降、d)も十分に難しい問題であることを、改めて強く実感している。a)〜c)は交通工学研究会が発行する雑誌「交通工学」の11月号にもう少し詳述した拙文を寄稿させて頂いているので、お近くに「交通工学」がある方は参照して頂ければ幸いである。とはいえ、「交通工学」は、このWEBの読者諸兄から見れば、あまり一般的とは言えない雑誌であるので、a)〜d)全てについて、簡単に述べていきたいと思う。

 

2.巨大災害と向き合う難しさ

今回のような巨大津波からどうやって、生命・財産を守るのか、その目標水準はどのようにして決めるべきなのか、まず、そこが大変難しい。国が出した方針は、数十年から数百年に一度の頻度の津波(以下L1津波)は、物理的に防御すると言い、5百年から千年に一度の頻度の巨大な津波(以下L2津波)は避難を中心とした減災にすると言う。頻度と確率は、数学的に異なるものなので厳密には比べるべきではないが、概ね現在の日本の治水事業で防御できている洪水確率が数十年から数百年に一度の確率であることからも、この方針は、極めて妥当で公平な判断だと思われる。
問題は、被災者のみなさんは5百年から千年に一度という津波によって被災していることにある。復興計画に当たって、今回の津波は防ぎきれませんという計画を、自治体として、示すことができるのか、大変難しい問題があるのだ。そのため、今回のようなL2津波が来ても、「住宅が壊れない」という減災水準が、現時点では概ね各地で目標とされている。シミュレーションを実施して、今回のような巨大津波で「住宅が壊れてしまう」箇所については、非居住地域として制限をかけ、同じ悲劇を繰り返さないようにしようというものである。もちろん、その面積が大きくならないように、宮城県などの平野型の津波が襲った地域においては、多重防御施設などを用いて、なるべく非居住となる地域が小さくなるように、各地で様々な工夫がなされている。
しかし、30年に一度の確率の洪水で家屋が流されてしまう可能性のある河川堤防の直近でさえ、それを減災するための多重防御施設はおろか、非居住といった制限もなされていないのが実情である。そんなことを思うと、どこまでの減災を目指すべきなのか、突如として、答えを失ってしまうのである。もちろん、国が今後こうした河川周辺地域に対して、減災事業を展開すると一言言ってくれれば、随分と気は楽になるのだが、どうしても公平性や、日本の財政難における投資規模など、様々なことが頭をよぎってしまう。
いずれにせよ、津波に限らず、防災事業はどこまでを公共が担保し、どこからのリスクを住民が負うのか。災害大国日本として、明確な合意が、これを機に作られてしかるべきではないだろうか。

 

3.人口減少下・高齢化社会における計画の難しさ

よく、「復興」と言う言葉が使われるが、それは一体、何を意味しているのだろうか。右肩上がりの時代であれば、それは明らかに、「災害前よりも繁栄する」という意味だったに違いない。しかし、今は、人口減少且つ、低成長社会である。震災前より、そうした状況に疲弊してきた津波被災地が、復興計画によって経済成長を遂げるというシナリオは、現実的なのだろうか。近年の全国のまちづくりを見れば明らかなように、経済成長を目指すのではなく、街の環境や物産などの「質」を高めることにより、住民の地域への誇りや愛着を高めるような、そんなまちづくりが成功しているのではないだろうか。私は、そういった目標こそが復旧ではなく復興であると信じているのだが、そうした目標共有が実は被災地でちゃんとできているのか、はなはだ不安である。もちろん経済的発展も重要である。そしてそれを目指すべき街もある。しかし、そうではないところも含め、十把一絡げに、「復興=従前以上の経済成長」そういった文脈で、復興計画を語ろうとする人が、存外にいる。

さらに、いったい何人の人が、その街に残ってくれるのか。はっきりした予測もできないまま、つまりは、計画の人口フレームが決まらないまま、計画を進めなければならない。それだけで、実は大変な困難さを伴っている。各地で、防災集団移転促進事業により、せめて住居だけでも安全な高台へという計画が進められているが、この場合は、地権者の合意に基づいて、移転先の事業計画を立てることになるので、それだけであれば人口予測は必要ない。しかし、今度は、その高台が持続可能な住宅地となるかについては、大変難しい問題が立ちはだかるのである。高台の初期住民が高齢者ばかりになるという最悪のシナリオであれば、気がつけば、巨額を投じて作られた高台が、あっという間に殆ど人が住んでいない住宅地になってしまいかねないのである。そのような投資であるなら、すべきではないのかも知れない。かといって、高台でなければ安全性は大変心許ない。

こうした人口減少下のまちづくりにおいて、持続可能性を高める方法としては、コンパクトなまちづくりを目指すことが適切だと思われる。被災とは関係なく、全国で、いかに街をコンパクトに作り替えるか、真剣な取り組みがなされている。
なぜなら、街の拡がりがコンパクトであれば、道路網や上下水道や送電線などのライフラインの維持費を小さくできるのからである。さもなければ、人口が減って、街の活力が減っているのに、インフラの維持費はさほど変わらないという、困った事態が訪れるのである。さらには、人が集まって住むことは、人々の様々な交流を助け、街に活気を与える。それだけでなく、高齢化がさらに進展しても、コンパクトであればバスなどの公共交通も維持しやすくなり、車を運転出来なくなった高齢者でも安心して歩いて、あるいはバスを用いて安心して暮らすことができるのである。さらには、お互いがお互いを見守りやすいという優しいまちづくりにも繋がっていく。
被災を契機に、一気にこうしたコンパクトなまちづくりを進められるかと言えば、実はそうでもない。高台移転がネックになってしまうのである。高台移転は、元々リアス式海岸の狭い低平地に、コンパクトに暮らしてきた街を、わざわざ分割して、何カ所かの高台へと、分散させてしまう、つまりは時代に逆行したまちづくりになっているのである。私自身、津波被災地が繰り返してきた歴史や、安全性を考えれば、高台移転をすべきだと思う自分も居る。しかし、ことはそれだけでは決まらないのである。安全で且つコンパクトな街をつくる。丁寧に高台移転の場所を選んでも、急峻なリアス地形から、それが出来ない様な場所も多く出てくるであろう。その時に、コンパクトで持続可能性を優先するのか、安全性を優先するのか、シビアな問題が横たわっているのである。

また、中心市街地と呼べるような地域を抱える市町村では、その中心市街地をどうするのかが、大変重要な問題として存在する。中心市街はこれからのまちづくりにおいて、街の顔として、文字通り中心として欠くべからざるものであるが、被災前から多くの場合「シャッター商店街」となっていたのが実情である。さらに、今回の津波被災によって、商店の継続が不可能になった店舗も少なくない。下手をすると、中心市街地は、店舗が散在するだけの地域になりかねない状況に置かれている。こうした、散在した店舗を、もう一度商店街として、集約していく努力が不可欠であり、その際は、区画整理と言った時間のかかるものではなく、高松の丸亀商店街で取り組まれているような、定期借地権を活用したタウンマネジメントが欠かせないのではないかと考えている。

 

4.街の記憶を失ったことの難しさ

人は環境との結びつきの中で生活をしている。環境との結びつきの端的な例は、「住めば都」という言葉であろうか。住んでいる環境をよく知ることが居心地の良さを有無必要条件として存在している。また、そうした環境のことを、人間は自分の脳内だけで記憶しているのではなく環境と関連づけて記憶していると言われている。たとえば、風景を見て、以前そこで自分がしたことを思い出すことがあるが、それは、つまり全てを自分の脳で記憶するのではなく、環境と一体となって記憶をしていることの現れである。
先述した住民が誇りに思えるまちづくりの多くは、その地域の小さな歴史を丁寧に掘り起こし、皆の共有の財産として見直していくといったものが多い。街の歴史は、いわば、住民が共有している「街の記憶」なのである。そしてそれは、その地域の固有性を必ず生み出してくれる。そうした意味で、今回の津波被災地が失ったものは、生命・財産だけではない。街の記憶の多くを失ってしまったのだ。いつも通った街角、友達の家の姿、みんながよく行った商店。共有の記憶も個人の記憶も、一気に失ったのである。とはいえ、街路から見える海や山、街道を見守るように建つ神社といった空間の構成は遺されているのである。そのことを考えれば、復興まちづくりは遺された「街の記憶」を最大限活かしたものでなければ、成功しないのではないかと思われる。通常のまちづくりより、さらに丁寧に街の記憶の掘り起こしから始める必要性を強く感じている。

しかし、その時に、高台移転というのは、遺された「街の記憶」を自ら捨て去って、新しい街を作っていくことを意味してしまうのだ。つまりは、安全な場所に住むことと、まちづくりですべきことが真っ向から対立してしまっている。この対立を解く方法を、私は今のところ思いつけずにいる。

 

5.安全性とまちづくりを両立させることの難しさ

津波被災地を抱える各県で、概ねL1津波を防御する標準的な堤防の高さが決まった。「高い」というのが、まちづくり屋としての正直な感想である。15mを越える地域もある。15mと言えば、建物で言えば5階建てである。ちなみに、法令上、日本のダムの定義は、高さ15m以上が条件の一つであるので、15mというのはまさにダムの高さなのである。リアス式海岸は山に囲まれているので、15mの防潮堤が海岸部に整備されれば、まさに水の涸れたダム湖の底に街があるという風景が出来上がるのである。
では、その「ダム」をかっこよくデザインすれば良いのかというと、そうではない。防災系の専門家からは、それこそデザインの仕事だろうと、言われることもあるのだが、私からしてみれば、それは防災事業がもたらす安全性以外のことにあまりに無頓着な発言だと言わざるを得ない。
何故なら、リアス式海岸の美しさは、海と山と人々の佇まいが一体となって織りなしている。街から、高い防潮堤によって海が見えなくなった途端に、リアス式海岸の魅力は消え去ると言って良い。その代わりにかっこいい「ダム」があることで魅力的な街が出来上がるとは到底思えないのである。
さらに、街から海が見えることには、風景の美しさ以上の意味を持つ。人が環境との関わりの中で生きていることは先述の通りであるが、三陸の暮らしは海が中心である。海の様子がわかることは、漁師に限らず生活の中心となっているはずである。荒れる海を見て、漁に出ている仲間達の無事を祈る。穏やかな海を見て、豊漁を祈る。全ての人が、海を気にかけながら暮らしているのではないだろうか。その海が見えない街が出来上がる。高台に住居を移すとしても、海が見えないと困る。漁師の方がそういった希望を各地で出していると聞く。もっともであろう。しかし街の中心から、防潮堤によって海が見えなくなることについては、観光振興の意味において、すなわち風景の美しさの意味において、反対意見が各地であるが、そもそも海との関わりという人間と環境との結びつきの観点からは、あまり異論が出ていないのではないかと思われる。しかし、この人間と環境との結びつきを無視して、まちづくりはしてはならないと、切に思っている。
こうした海との結びつきは、やはり海が見えることが大きい。人間は環境の情報の8割を視覚から得ていると言われている。高い防潮堤をどんなに、かっこよく、もしくは味のあるデザインしても、海が見えないことには何ら変わりはないのである。
より海が見えやすい様にするには、高さを下げるしかない。しかし、津波や高潮による危険性は、単純に高さによって一義的に決まってしまう。高さを下げつつ安全性を確保することは、至難の業である。見事な迄の二律背反だと言って良い。特にリアス式海岸での津波は、大変な高さと破壊力を持つため、仙台平野などで取り組まれようとしている二線堤といった多重防御は、全く歯が立たないといって良いのである。
つまり、災害から街を守るはずの防潮堤は、街の魅力や、人間と環境との結びつきの中で、ある意味「街を壊す」存在でもあるのだ。もしそれで、街が壊れてしまうのであれば、一体、何のための防潮堤なのか、全く解らなくなる。

我々が、今、判断を迫られているのは、防災とまちづくり双方の総合的な視点に立って、後世の住民に、安全性は高いが海との結びつきの弱い街を遺すのか、安全性は低いが、今まで通りの海との結びつきを遺すのか、そのバランスはどこにあるのかという、非常に重要で繊細な決断を迫られていると言って良い。防災事業に携わる人間は、まちづくりやこうした人間と環境との結びつきを専門的には理解していない場合が多い。まちづくりに携わる人間は、安全性の確保に無頓着な場合も多い。即ち、その双方とさらに住民を含めて、長期的視点に立って、十分に話し合い、この深刻な二律背反に立ち向かう必要があるのではないだろうか。決して安全性の観点だけで、堤防の整備高を決めてはならない。今、各地で提示されているのは、あくまで、L1津波を防御するのに必要な高さであって、整備すべき高さではないことを、きちんと捉えておく必要がある。

 

6.おわりに

こうした問題に対して、専門家や住民が、復興計画は難しいからと言って、じっくり考えている時間は、実はあまりない。復興計画が遅れれば遅れる程、人口減少が大きくなり、復興の足枷になりかねないからである。かといって、拙速にこの難しい数々の問題に答えを出すのでは、将来に禍根を遺すことになりかねない。そんなスピード感でさえ、二律背反である。つまりは、こうして問題の難しさを嘆いている暇はない。スピード感を持って、議論を尽くす。今のところ、それしか方法は思いつかない。それが復興計画である。

復興に向けて大切なこと

平野 勝也Katsuya Hirano

東北大学 災害科学国際研究所|EA協会

資格:

博士(工学)

 

略歴:

1968年 大阪生まれ(名古屋育ち)

1991年 東京大学工学部土木工学科卒業

1993年 東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻修士課程修了

1993年 建設省入省

1995年 東北大学 助手

2000年 英国マンチェスター大学客員研究員

2001年 東北大学大学院 講師

2008年 東北大学大学院 講師

 

組織:

東北大学 災害科学国際研究所

情報管理・社会連携部門

准教授 平野 勝也

〒980-8579 仙台市青葉区荒巻字青葉6-3-09

TEL:022-795-7493

FAX:022-795-7505

HP:http://irides.tohoku.ac.jp/

 

業務内容:

・認知科学に基づく場所のイメージ研究

・まちづくりへの助言

・土木構造物デザインへの助言

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