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boro1修正

2012.08.29

遅い交通 流動の原理と見立て

羽藤 英二(東京大学大学院工学系研究科)

1.地の移動風景を歩く

昨日まで京都にいた。祇園祭は京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは「祇園御霊会」と呼ばれた。貞観年間(9世紀)より続く京都の夏の風物詩に、思いついて駆けつけ歩きだすと、祇園囃子のコンチキチンという独特の節回しが聞こえてきて、なんともいえず、夏を感じた。

 

祇園祭の期間、八坂神社に向かう四条通りと、烏丸通りを中心に通行規制が行われる。宵山だけでも40万人を集めるイベントとはいえ、街路空間のコンバージョンに四苦八苦している身としては、数日間にわたって毎日午後6~11時に通行止めがあっさり実現しているのをみると、その土地に根付く祭りの底力を感じざるを得ない。

 

祭りのとき、日常ではイメージできないようなハレの舞台に移り変わった都市空間を人々は目の当たりにして、その雰囲気に酔いしれる。祭礼時の空間利用は多彩で、建築や街路空間が御仮屋や露店に占拠され、そうした空間が見物客によって利用される。それをみれば、街の「地の」ポテンシャルが見えてくる。地域の祭は地域の誇りである。皆が共有できる価値を持つ一つの文化の顕れが祭の力であり、普段の生活を下敷きにした時間の中で受け継がれてきた底堅い風景の顕れが、慣れ親しんだ日常的な移動空間の中の継承すべき風景として確かなイメージを人々に与えるのではないか。

 

そもそも平安京は当時の土木技術の限界もあって疫病が蔓延したことから794年平城京より移されたもので、衛生都市の色合いが強い。遷都に際し、都市への水の取り込みという視点できわめて大胆な都市像の転換がなされたものといっていいだろう。祇園祭では、都市に災厄をもたらす疫神を鎮めるため、同年東北の地で起きた貞観地震もあって、依り代として鉾や山は作られ、悼むために町中を回ったとされる。笛、太鼓で囃すのは、荒ぶる怨霊を鎮めるため、街路は祈りのための空間と成った。こうした風習は日本の都市空間の暮らしと結び付きながら継続したものであり、活断層の上、津波や災害の被害を絶えず受けながら生きてきた「悼む都市像」は日本の都市ならではのものであろう。

 

よくよく考えてみれば、街路空間が今のように「車のための空間」であったのはこの50年ほどの話に過ぎない。日本の都市空間の歴史はもっと旧いのだ。京都や博多でこの季節に繰り広げられる祇園祭や山笠の風景は何も特別なものではない。人馬共に行き交う天下往来の風景こそがかつての日本の都市空間の原風景であろう。馬が街道の主役だった頃の駒寄せ、街道上のコミュニケーションを誘因する暖簾や提灯といった多様なファサード表現。「遅い交通」の特徴を踏まえた日本元来のモビリティデザインといってよいのではないか。

 

遅い交通に対処するための空間のしつらえの連鎖はあるまとまりのある界隈性を日本の都市に生み出してきた。鉾の巡航コースは界隈の境界を定義づけるキーとなるし、通りには祭のための重要な装置がおかれ、山や鉾、高張提灯や露店は町の領域をしめすことになる。かつてからの都市のつながりを物理的な都市空間の中で実感するのが祭りである。そして、そこでは自然や地形を基本にした人々の暮らしにつながる「地の」都市像が自然に浮かび上がる。そして「地の」都市像こそが、今危機にあるといっていい。

 

▲祇園祭の際の街路風景

 

▲日本の山野辺の風景

2.都市の危機:空間構成の技法と喪失

地の都市像の下敷きとなっている領域性にその手がかりを与えるのは、エッジやノードといった都市の特徴空間である。日本の都市の殆どは、歴史をたどればその生成原理に、山の辺の街道や、疏水などの水路との関連が読み取れるわけだが、川や神社でグリッド・パターンが乱れたり、崖地で途切れたり、街割りの襞とでもいうべきところに町のおもしろい場所が顕れるように感じる。神社や仏閣の場所はそのようなところにあることが多いし、東京であれば崖地や台地といった複雑な地形の機微を読み解きながら、微地形のまとまりに応じてその場その場で街路を更新していくという「空間構成の技法」にのっとってそれはできている。

 

グリッドの脇を走る疏水が生み出す橋詰めの表情、山の辺までを一体として初めて成立する配置論とその囲繞感。こうした「地の」都市空間の上に様々な生活が最後に重ねあわされる妙。遅い交通という制約が、水をはじめとする暮らしの資源のシェアを自然させ、その土地の暮らしの中で相互扶助が欠かざるものとなっていった。そこに徒歩で歩ける範囲の町内を構成する空間要素の微妙なしつらえの連鎖による空間構成の技法が作用した。個性ある日本の都市空間の領域性が継承されてきたと言ってもいい。

 

コミュニティとは何か?と尋ねると、専門家であっても案外確かな答えを返すことは難しい。助け合う、相互扶助の行為が自然しているある集団のことを指すというのが著者の回答である。そしてそれはある狭い空間領域の中の固有の集団の関係性を指すからこそ、空間の使い方やしつらえそのものにある種の「顕れ」が見えるのだ。人の特質は遺伝的な伝達以外の情報の継承手段を持っていることにある。具体的にいえば言語であり空間である。さまざまな土地における人々の関わりの顕れが空間の上でコミュニケーションとして繰り返されることで、蓄積的、発展的に文化は継承されていく。人間だけが文化を持つことができる理由はここにある。

 

遅い交通はかつて、すべての空間における支配的な移動モードであった。その遅い交通が持つ特質に合わせて継承されてきた空間構成の技法は、コミュニティに固有の紐帯を自然させるのに相性がいいと考えて間違いない。一方で、ここ半世紀ほどのうちに地域では急激な空間改変が行われた。従前の歴史ある空間構成は喪失されつつある。たとえば、天下往来と言われたコミュニケーションのための街路空間とて、その基本設計ではアクセス機能よりもトラフィック機能が重視されてきた。戦後、ワトンキンスレポートを参考に、「遅い交通」の存在は軽んじられ、都市に車を組み込むことが重視された計画制度が整えられた。天才角栄による道路特定財源と結びついた交通量配分などの需要予測技術が時代に過剰適応したことで、都市のトラフィック機能を重視した現状の街路空間が出来あがったといえば言いすぎか。しかし現実に道路法は整備されたが、街のための街路法はないまま、都市に車のための道路は増えた。

 

1945年日本は戦争に負けた。GHQ主導である種の意図を持って行われた農地改革が土地所有形態を小分けなものに変えたことで、膨大な土地取引を地域で発生させることになる。都市-地域の構造は、農村の解体を下敷きに1次産業から2次産業へと大転換が引き起こされ、安保に支えられた経済発展を志向した岸内閣の新長期経済計画が生まれた。池田内閣の所得倍増計画へ、さらに生じた高度経済成長のひずみの是正のために均衡ある国土発展が謳われ、行政サイドの明治100年計画論と政治サイドの新文明論を契機として道路整備や新幹線といった速い交通への投資が国土を覆うことになる。こうした国土計画は(都市のスケールでみれば)結局車のための都市-地域構造の転換を引き起こし、郊外化がじわじわと進むことになる。それは結局のところ、東京をはじめとした日本全国の都市で速い交通を基本にした求心構造の強化と都市規模の拡大をもたらした。

 

速い交通と遅い交通を限られた街路空間の中に配置することは難しい。都市にスパゲッティコードのように兎に角道路を外挿されることが急がれ、結果として今、地方では中心市街地の空洞化や老朽化が目立っている。こうした問題に対処するため、都心から郊外まで含めた新たな空間計画と移動計画を立案する必要があろう(そのためには都市計画法と農地法の一体化が必要不可欠だが)。また先に述べた都心の歴史的なストックを有する都市空間=不動産を有効活用したいと考えるなら、空間の多様な担い手を受け入れ、道路のアクセス機能を強化し(街路機能を重視し)、都心における建築計画と一体的に移動空間の公共空間としての質を高めていくことの必要性が高い。しかし一方で現実には安全に多量の交通を「さばく」ことが道路には今も求められている。これ以上、車というテクノロジーへ都市が依存してしまうことで、日本の街路は質の高い多様なアクティビティの顕れを生み出すための手がかりを喪うことになるのではないか。

 

ただ、だからといって一方的に都市から車を排除しろなどと言ってみても無力なのはいうまでもない。地主としての、生活者としての、店子としての、親としての、相続する子供としての、それぞれの事情が街路空間には積層している。現場で公共空間の計画や設計に一度でも携わった経験があれば、公的討議の場で都市住民の発言が二転三転することに気づくはずだ。こうした中、道路法であれ、都市計画法であれ、あるいは民法であれ、憲法であれ、戦後、街路とは何か、道路とは何か、都市は何か、我々は1945年以降、都市計画における公的領域の定義を留保したまま、私権の制限に対して比較的緩やかな態度をとり続けてきた。その結果として、(議論をしてきたという経緯の記憶は喪われ)きわめて特異な都市空間が目の前に横たわっている。

 

かつて日本の都市には、神社をはじめ立ち入ることができる空間があふれていた。歩きながら美しい風景への見通しがあり、歩くほどに表情が代わり、雨水をしみこませ風が吹き抜ける自然のままの街路があった。今、街路をめぐる技法のその殆どの問題は土地の公/私権のデザインに集約される。道路を転じて街路とし、公園と建築敷地内の外部空間をファサードや舗装、植栽をうまく活用することでデザインしていくことが必要である。しかし現実には官民境界や民民境界の処理もままならない。財源が底をつき、異常なまでの高齢化が進み、老朽化が進行する中で、都市ストックの更新が迫ってくる。眼前に都市の危機が迫っている。では、どうすればいいか?

 

▲ボローニャのインディペンデンツァ通り(ポルティコで夏の暑さを凌ぎ、ロードプライシングで目抜き通りの左岸と右岸の歩行者流動を確保している)

 

▲ボローニャのメルカトーレ(裏通りに位置する通りでは、市場が街路に張り出すことで魅力的な歩行空間の景を創り出している)

 

▲パリ ヴィアデュック・デザール遊歩道(バスチーユ広場から国鉄高架跡を利用した遊歩道、緑地を跨ぐ木橋を組み合わせて歩行者動線が外挿されている)

3.第四の都市革命の時代へ

もう少しだけ都市の文脈を追ってみたい。都市こそが人類最大の発明だと言われるが、その都市は3度の移動革命によって変化を遂げてきたといっていい。11世紀の十字軍遠征による陸上交通の改善は集落から小都市を勃興させ封建社会を崩壊させた。16世紀の大航海時代の到来はアントワープやリスボンの港湾都市を生み出し、18世紀の産業革命によって鉄道ネットワークが張り巡らされ、地域分業の実現によるメガシティを生み出した。これらの3つの都市革命では、旧い都市の中に新たな移動をどう取り入れるかが「都市の未来」の命運を分けてきたといっていい。

 

一方、21世紀は情報の世紀である。都市は、1)陸上交通の改変、2)海上交通の改変、3)産業革命による鉄道・自動車の挿入というネットワーク革命を経て、今第四次の都市革命、コミュニケーションネットワーク革命の中にいる。

 

十人一色から十人十色、そして一人十色と、人間の自己表現が豊かになり、肥大化する自意識を軸にしたコミュニケーションが細切れに連鎖する中、情報量の増大が移動の量をも逓増させてきたと言われる。このことは都市のグローバル化と同時に、空間的には都市の非中心化が引き起こされる引鉄となる。ロンドンやニューヨーク、北京や上海といったより巨大な都市が世界規模で経済に影響を与える一方で、空間構造としての都市の(必要以上な)中心化の効力は情報技術によってある程度無力化していく可能性が高い。そして高齢化社会やさらなる情報技術の進化を重ね合わせるとき、そこで描かれるべき都市像はどのようなものであろうか。

 

現代欧州に目を向けてみよう。ストラスブールやナント、ビルバオといった欧州都市を中心に起こりつつある都市ビジョンの大転換には、EUの統合による都市連合の出現が影響していると考えてよい。ボローニャやリヨン、アムステルダム、ビルバオといった魅力ある50万人程度の都市をアルプトランジットなどの高速鉄道で結び、シエナなどの10万人規模の個性ある都市をさらにネットワーキングした都市の集合体としての流動再編集がEUの将来都市ビジョンである。すなわち、多層的なコミュニティによって構成される文化的なまとまりのある旧市街(およそ10万人程度の集落都市)を基礎単位に、これらが連立し合い、互いの活動の新陳代謝が交流によって進められる集落都市のネットワーキングこそが近未来の都市像といえるのではないか。

 

遅い交通を支配的なモードとする閉鎖系都市空間を、歴史的、文化的、自然的文脈に従って再生させつつも、高速なネットワークへの接続をデザインすることが求められている。こうした流動の原理の援用こそがモビリティデザインのポイントとなろう。欧州の多くの都市では高度な外科手術を繰り返すようにして、車の動線を巧みに旧市街の核から抜き取り、心臓部を仮縫いをするように道路を外縁部で薄皮一枚縫込み、アクセシビリティを確保しながら、都心のアメニティを緩やかに回復するためのアーバンデザインがなされている。都市はモビリティによって更新されてきた。移動革命を受け入れることのできた都市は生き残り、そうでない都市は喪われてきたといっていい。今欧州の都市で起こっている都市空間のコンバージョンはこうした移動の重要性を知り尽くした都市文化に根ざしたものといえる。

 

▲シエナのカンポ広場(世界で最も美しい広場に人は集う)

 

▲シエナのカンポ広場(地形にそって彎曲しながら人の流れをカンポ広場まで引き込むバンキディソプラ通りでは、パッセンジャータと呼ばれる散歩の習慣が維持されている)

4.まちを動的に捉えるしかない

ブローデルによって描かれた摂動する地中海こそが、現代における都市社会システムの原型といえる。その本質は動的で多層的な空間システムにある。ここでいう動的で多層的な空間システムとは、移動による交流を繰り返す都市ネットワークという意味と、多様な文化の交流によって絶え間無い新陳代謝を生み出す動的な都市構造という意味がある。そして欧州という都市文化の本質が動的な空間システムにあると考えたとき、その中心は城壁に囲まれた旧市街にあると考えるのがまず妥当であろう。

 

人口5-10万人程度の旧市街が動的な空間システムのカーネル(核)である。カーネルの交流機能を促進させるために、自動車の挿入が進んだ20世紀から一転して、車と都市の付き合い方を改めようという動きが進んでいる。シーナリーな河畔にLRTを外部挿入したビルバオ、城壁跡を上手く利用した環状線で増えすぎた車を処理するウィーン、中心地にオムドフェール広場と呼ばれるトランジットモールを配置し歩行者優先を明快に打ち出しているストラスブール、スラム化した旧市街のフリンジ部に見通しのいい広場と美術館を配置し、質の高い回遊性を確保するために多孔質化戦略を推進するバルセロナ、30年以上をかけて欧州随一の歩行者空間ストロイエと自転車専用空間を作り出したコペンハーゲン。

 

こうした都市では、都市のコモンたる広場の再配置のような空間構成の技法の定石を押さえながらも、人と自転車、車と鉄道、流動の原理を踏まえつつ、流動のコアと動線のモビリティデザインが一体となって行われつつあるといっていい。旧い町の中に多様な流動を生み出し新たなアクティビティを自然させる流動の原理に基づいて都市の新陳代謝を生み出しているのだ。

 

一方、我が国でも戦後から都市の新陳代謝論については、1960年代以降メタボリズム論が語られたきた。メタボリズムに関する諸説は昨年森美術館主催で開催されたメタボリズムの未来都市展で語り尽くされていると思うが、大きくはモータリゼーションなどの社会技術革新を下敷きにした成長のための非対称な都市システムのための理論であったと言っていいのではないか。

 

一方で東京の地主の数は世界最大を数え、その相互作用が生み出す都市の動態そのものに注目が集まっている。東京の2050は成長の理論だけで語ることができないのは明らかな事実である。Imperial ColledgeやMITの研究者とメタボリズムの議論を続けていると、都市の活動量を変数化し、これをセンシング技術でモニタリングした上で(文献1)時間で微分した係数をメタボリズムのアウトカムとした都市政策論に持ち込むことが志向されている。都市への流入と流出を対称に記述し、これをコントロールすることで、旧いものと新しいものの在り方のバランスをデザインするという対称の理論とでもいえるだろう。そこでは都市を複数のプレイヤーが相互に依存している動的なシステムとして捉えていることに大きな特徴がある。空間を静的なデザイン対象としてみるか、動的なシステムとして捉えようとしているかについて、両者には決定的な違いがあると言ったら言い過ぎだろうか。

 

▲ビルバオ旧市街の多様な座り空間(中心市街地の遅い交通を優先させ、建築や小広場と組み合わせた多様な歩行空間が設えられている)

 

▲ビルバオ川河畔沿いに整備されたLRT(自転車専用道が併せてデザインされており、中心市街地だけでなくエッジ部となる河畔沿いに多様なアクティビティ生成のきっかけを提供している)

 

▲ニューヨークのハイラインの例(遅い交通の挿入によって周辺不動産の価値が向上すると共に、様々なコミュニティの活動が活性化している)

 

5.デザインと数理の距離

2000年代に著者が夜も寝ないでMITで取り組んでいたビッグディックプロジェクトのシミュレーション開発プロジェクトはこうした研究分野の嚆矢であり、そこでの最終成果は、ボストンのエメラルドネックレスのオープンスペースの拡大に帰着する。道路空間の地下化によって、質の高い公共空間と新陳代謝を、ボストンに生み出すことが指向されていた。同様な遅い交通の都市への組み込みは、パリの国鉄跡地を利用したヴィアデュック・デザール遊歩道、ニューヨークの物流引き込み線を利用したハイラインへと広がりつつある。現在、こうした研究分野では、遅い交通の組み込みによって生じる土地の分割や統合、街並み景観の出現や都市ストックの喪失、居住者の住み替えや訪問場所の変化といったアーバンデザインに関する事項を、税や空間計画、ソーシャルネットワークを下敷きとしたモビリティデザインに着地させ、そのデザインに数値的な根拠を与えることが目的となりつつある。

 

またCAR2Goなどのモビリティクラウドといった全く新しいセミパブリックな第三の交通機関のインストールが欧州や米国の各都市で始まっている。乗り捨て可能なパブリックなモビリティ(小型電気自動車)を予め街路に埋め込んでしまう(街路施設としての路上駐車機能のインテリジェント化)ことで、都市のアクセス機能を極限まで高めようというものだ。その制御OSはプローブ技術を駆使したマイクロシミュレーションであり、都市のエネルギーマネジメントを包含する形で研究開発が進められようとしている。

 

膨大なエネルギーと移動が生み出す経済フローを基盤とするメガシティーから、いくつかの文化的生活集落を基礎単位として、これらがネットワークで結びついた集落都市への改変がそこでは目標とされる。都市の中心となる界隈におけるモビリティを遅い交通へと大転換させ、新たな質の高い流動を生み出す空間計画とそのポートフォリオがデザインと一体となって議論される必要がある。

 

一方、我が国おいては、祇園祭のような遅い交通の移動風景を継承してきた四条通りですら、トランジットモール化の動きが加速していかないという現実がある。街路空間の使われ方についての意見の衝突が驚くほど多く、その調整ができないでいるのだ。祭りのためにだけに街路空間の全てを見直すのは意味がないとか、普段の便利のいい車の使い勝手を手放したくないといった意見がよく聞かれるのも事実だろう。デザインの現場において、マクロ、メゾ、ミクロなスケールごとの流動の原理、定量的な解析結果に基づいた設計協議や合意形成が求められている。にも関わらず研究者は車のトラフィック機能強化ための静的な交通量配分の精緻化に終始し、プランナーは一本調子なデザイン案をもとに見通しもなしに闇雲なワークショップを行うことで事態の打開を図ろうとしているように見える。互いの職能に対する批判を脱し、動的な空間システムをデザインしていくことが求められている。

 

動的な空間システムを、単一の主体によって実現することは不可能である。時間の中に在る動的な空間像を描くことは、様々な主体と空間との関わりをデザインすることにほかならない。コミュニティと行政、行政と市場、市場と個人、個人とコミュニティといった異質性の高い集団間の合意と行為によって、移動空間のさまざまな使い方が計画できる。そのための公的討議を再設計していくためには、何より議論のための(数理的な結果であったり、模型や空間配置といったある程度確度の高い)補助線が必要不可欠である。私がデザインと数理の専門家の協調が必要だと思う理由はここにある。

▲マイクロシミュレーションによるビッグディッグの評価分析(開発していた頃は徹夜の思い出しかない)

 

6.関わりの再編集:遅い交通を都市で育てる

自分が関わってる現場の中で、徳山の例を紹介したい。徳山駅のプロジェクトでは、市の担当職員や地元の皆さんと一緒に、篠原先生をリーダーに、駅は内藤先生、EA協会事務局長の小野寺さんが広場設計、佐々木政雄さんが全体のマスタープラン、南雲さんが照明などのストリートファニチャを手掛けている。このチームの中で僕はモビリティデザインという聊かあいまいな役割を篠原先生から与えられてここの3年ほど活動を続けている。3年もプロジェクトを進めていればいろいろあるのが当たり前で、この1年は駅そのもののプロジェクトが一段落していたこともあり、駅のずっと外側の空間計画の作成に関わるようになっている。

 

周南は漁師たちが大漁の歓喜をあげた港からコンビナートへ資材を供給する拠点へと姿を変え、新幹線駅が海から最も近いことを意識した駅空間の設計が進められてきた。しかし駅から一歩まちの中に足を踏み入れてみると、維新の情熱から近代日本の礎を築いた児玉源太郎が自ら私費を投じて図書館をつくった歴史があり、海から山の辺に向かう竪登、岐山通りには、児玉神社や児玉文庫跡といった魅力のある地域資源が点在している。

 

交通結節点となる駅にまちづくりの重点を置くのは当然としても、その作用まで考えれば、やはりまちなかまで含めたもう少し拡がりのある空間として事業の連鎖を漸近的に捉える必要があるのはいうまでもない。街全体を緑あふれる公園のような空間として捉え、海から山野辺までの空間計画を考えたい。とすれば駅周辺の味わいのある様々な形態をもつアーケードの街路を駅と一体的な「空間システム」として捉える必要がある。そこでまず、中央街をトランジットモール化しつつ、中心市街地活性化策と一体的に歩いて暮らせるまちづくりを考えるべきだろう。周南の特徴は既存駅の中にあるアクティビティの多様さである。しっかりとした地元企業があり、収入が安定している土地柄だろうが、市民の生活が豊かで、とにかく様々な社会活動が行われているのだ。こうした活動をまちなかでうまく再編集できないかと考えた。

 

同じような都市規模である延岡市長の首藤さんや市役所や市民の皆さんと話す機会を持った際、まちづくりの視点をもっと郊外に持つことができないかという話になった。延岡では、駅をリノベーションし、その周辺のアクティビティをデザインすることはもちろんいいことだけれど、現実の市民の生活は鉄道よりももっと広い範囲に拡がっている。だったら市民の基本となっている郊外の暮らしから考えて、どのようにしてまちなかへの流動を生み出していけばいいか、バス路線の見直しまで含めた、遅い交通とまちなかのアーバンストックを生かすようなまちなか居住、商業、公共空間の仕組みのデザインの話をしたことがヒントになった。

 

勿論駅などの大掛かりなハードウエアの更新を端緒として、住民のまちづくりへの意識を起こさせる手法は有効だが、現実の生活の拡がりや連鎖の仕組みが移動の中で広範囲に広がっていることを考えるとき、核になる事業を踏まえつつも、その事業を中心として、連鎖することが可能な空間領域を考えたい。多層的な空間領域に対して、様々なアクティビティのデザインを小さな事業、中くらいの事業、大きな事業を、様々な主体を連鎖させながら漸近的にゆっくりと重ね合わせていくことが大切だと思う。バルセロナの多孔質化戦略は駅前のような中心性の高い交通結節点ではではなく、むしろコミュニティの足元となる外縁部において透過性の高い広場と人が集まる美術館を配置することで、遅い交通の新たな流動を生み出している(文献2)。

 

たとえば、周南では町ゼミなるプロジェクトを今年の2月くらいからスタートさせている。徳山駅から文化会館に至るエリアの中の19店舗の方々と連携して、さまざまな講座、ゼミナールを始めたのだ。これら既存施設を活用したプログラムをコミュニティバスでつなげることで、まちなかに大きな回遊性をつくりだそうというものだ。ピザづくりからコーヒーの入れ方講座まで、日常的な商業活動を一方的なサービス財の提供と捉えることを離れて、市民の皆さんに学びや交流の場を提供しようとするものだ。建築と街路空間が一体になったような味わいのある界隈の重なりのデザインを考えている。

 

都市の新陳代謝をデザインしていくために、このような多様な主体の街路空間と建築の利用計画こそが基本となる。そこでは、街のコモンスペースである街路の多様な主体を巻き込んだ動的な利用計画を策定すべきだが、そのために従前のトラフィック機能一辺倒の道路区分を改め、街路の利用計画を念頭に絵を描き、数値を出して街路空間のコンバージョンをどう実現していくかが必要不可欠である。

 

神戸ではトランジットモール化に向けて、スマートフォンを用いたプローブパーソン調査を実施し、この結果を用いた回遊行動の再現や、マイクロシミュレーションによる道路空間改変のデザインスタディを、滞在時間や訪問先の変化、交通安全の確認といった観点で進めている。また松山や札幌でも個人の移動軌跡データを用いてバイクシェアリングの町へのインストールと自転車ネットワーク整備の分析などを行っている。ここで重要なのは、街路空間におけるモビリティの時間ごとの占有パターンとその波及効果をシミュレートし、デザインスタディと結び付けることにある。

 

都市を必要かかざる移動で埋め尽くさないこと、SocialやOptionalといった遅い交通による小さな交流のための空間を丁寧にデザインすること。遅い交通の再生を通じて、場で継承されていく人々の関係性を重ね合わせながら、新たな主体の参加を目指すことが大切だと思う。

 

▲神戸三宮-元町地区の空間改変シミュレーション結果(GPS携帯電話を用いて行われたプローブパーソン調査をもとに、歩行者空間挿入シナリオのシミュレーションを行うと、空間改変によって周辺部の流動が活性化し、都心滞在時間が変化していることがわかる)

7.おわりに

東日本大震災後、東京2050という都市ビジョンを考える機会があり、自分なりのアイデアを下敷きに仲間と一緒に2050年の都市ビジョンを作り上げた。そのときリサーチをしていて気づいたのだが、現在の日本の自動車の保有台数は1.7人に1台、中国のそれは17人に1台であった。地球レベルで見たとき、とてもではないが車を中心にした都市ビジョンをつくる気にはなれなかった。

 

一方地域に目を移したとき、復興計画策定において関わりをもった地域で市街地は根こそぎ流され、平野部で4人に1人が命を落とした。あれから2度目の夏祭りが開かれ、かつて道であったところを山車は行き交い、ぶつかり合い、震災後500日を経て人々の笑顔と賑わいが戻っていた。ここだけは戻るべき土地と議論した、けれどもまちの灯りすらみられなかったあの土地に、実感のある人と人とのつながりと賑わいが確かに戻ってきていた。

 

来年住む場所を子供に自信を持って語れないと涙を流す母がいる。都市で便益を受け過ごす当事者たる専門家は、地域とそして人間の安全保障についてちゃんと答えられるだろうか。縮退の時代だから、従前の競争原理ではない概念、たとえば祭りのときに顕れる相互扶助の行動原理を生み出すSharable Designこそが今後の都市デザインでは重視されるべきだろう。しかしコミュニティという言葉に頼り手近な合意を重ねるだけで本当にいいのだろうか。関東直下-外房沖連動地震を想定した場合、ワークショップをベースにした東京の2050年の都市ビジョンに限界が在ることは明らかだ。福島の危機は2050年を超えて遥かに続くと思われている都市という文明装置に対して根本的な更新を求めているといっていい。

 

遅い交通の復権に向けた都市のコンバージョンについて考えるとき、都市とは何かと私たちは考えなければいけない。都市でみんなが暮らすというのは原始的な根源的な感覚であろう。たとえばアフリカの部族であるバカ族はプリミティブな生活を送っているのでその生活規範の基本はあらゆるものをシェアするところにある。獲物をしとめたらかならずみんなで等分するのだ。私有財産を持つことはリスクを意味するので、そのような行動規範が集落にはない。一方で同じアフリカでもナイロビなどの都市原理は違ったものであるはずだ。交換のために生まれたのが市であり、それが都市の原初の姿であることは間違いない。そこでは寧ろ都市のアメニティや物資や情報交換のための空間機能が重視されてきたといっていい。そして両者は似ているようで違う概念である。そして21世紀、都市の第四革命は、この両者の概念を包摂したネットワーク型の新たな都市社会システムの構築を要求している。

 

こうした都市像の議論を抜いて、闇雲に欧州の広場や街路の作法を援用し、空間設計を進めていくことが適切とは思わない。カンポ広場は美しいし、ストロイエは多種多様のアクティビティを生み出している。しかしここは日本なのだ。山があり川があり、コンクリートではなく土と木を使って、多様な共同体のあり方と空間の関係を、我々なりにそれぞれの土地なりの形式を1000年以上にわたって継承してきたはずだ。そして同時に我々はその都市像を絶えることなく更新し続けてきた。辻子や巷所といった概念は、建築によって明快に空間の公私が識別されるシエナや、計画的な公園都市におけるボストンのエメラルドネックレスとは全く異なる。かつて平安京では、計画によって作られた大きな道路を、空間的に再配分することで路地や生活空間として再活用したという記録が残されている。街路と生活が一体となった暮らし方の中で生み出されたオープンスペースは都市空間の中に自然するように夕涼み、花見、暢気の場として活用されてきたのだ。

 

日本の都市の原理は何か?「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」鴨長明はさらにこう続ける「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」割れたり他とくっついたり、何よりも延々と現状維持を続けたりしない、こうした都市の見立ては「今」と「ここ」に拘泥しながらもその絶え間ない連鎖を生きる日本人の時間と空間に対するやわらかな態度を言い抜いたものといえる。そしてこうした空間と時間に対する流動の大胆な見立てにこそ、日本なりの今後100年に向けた新しい都市社会システム再構成の大きなヒントがあるのではないだろうか。

 

2050年にむけて恐ろしいスピードで経済や生活、エネルギーといった都市を巡る問題は変化していく。世界人口は30億人増え、日本人は3000万人減る。世界が右肩上がりの中でみんなが幸せになれるとった共同幻想の時代から放り出され、個別化した個人は社会は都市の上でどのように向き合い、理解し、つながっていくべきかだろか。私たちの暮らしの原理と、市場の原理を空間の中で合一させ、絶え間ない都市の新陳代謝を自然させ、人と人の暮らしを循環させていくために、都市に何ができるだろうか。我々は、自らに問い、そして行動し続けるしかあるまい。

 

▲東京2050(東京直下型外房連動型地震を想定した場合の、遅い交通を生かした渋谷の事前復興計画)

 

▲東日本大震災から2度目の夏祭りの風景(賑わいを人は求めている)

 

参考文献

1)Hato, E., Development of behavioral context addressable loggers in the shell for travel-activity analysis, Transportation Research C,Vol18(1), pp.55-67, 2010.

2)福山祥代,羽藤英二,街路ネットワーク分析による広場空間の立地特性の把握 :イタリア・スペイン旧市街の街路ネットワークを対象として.都市計画論文集, Vol.45-3,pp.421-426, 2010.

 

re-edit 遅い交通がまちを変える

羽藤 英二Eiji Hato

東京大学大学院工学系研究科

東京大学 准教授、1967年生まれ、日産自動車、愛媛大学、MIT、Leeds大学などを経て現職。

専門は交通計画、都市計画。ネパール工科大客員教授、熊本大学客員准教授、愛媛大学客員准教授兼任。陸前高田復興計画、鄭州新区モビリティデザインを手掛ける。

世界交通学会賞などを受賞

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re-edit 遅い交通がまちを変える

2012.08.29

遅い交通 流動の原理と見立て
羽藤