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2011.08.01

「今、走りながら考えていること」

崎谷 浩一郎((株)イー・エー・ユー|EA協会)

大学院を修了して就職したのは2001年4月だった。土木のデザインに関わる職につきたいと考えていた僕は、理解のある「総合建設コンサルタント」に進めば、そういった仕事に関わるチャンスに巡り会うことができるかもしれない、と考えていた。しかし、そもそもこの考えには、経験不足故の認識の甘さがあった。
確かに、幾つかのデザイン業務に携わることができた。だが、同時に、利用者やものをつくる現場との間に果てしない距離感を感じていた。業界にこびりついた慣習のようなものが、僕にそう感じさせていたのかもしれない。公共の施設や場所のデザインをするのに、そこを利用する人と話をしたり、その地に住む人々の思いを聞くこともなく物事が進んでいく。果たしてこれでいいのか。何のため、誰のためのデザインなのか…。悩んで、周りの色々な人に相談をした。そして、入社わずか一年で僕は会社を辞めた。さらにその一年後、同じ研究室OBであった西山とともに、土木のデザインを専門とする設計事務所を立ち上げることとなった。

『場所の価値を再構築する』といえば大袈裟かもしれない。その場所で、そこを取り巻く自然やまちの履歴を、風景という視点で見つめ直し、地域にとっての新たな価値として蘇らせる。土木の設計事務所を立ち上げて8年。関わった公園、橋、広場、道路…あらゆるプロジェクトが当てはまる考え方だ。今、我々の眼の前に広がる風景は、社会や経済の発展という名のもとに立ち現われたものである。しかし、その風景の奥に何か失いかけているものがある気がしてならない。僕が思い描くエンジニア・アーキテクトは、社会が失いかけている何かを空間に再構築し、つなぎとめる職能である。と、言いはしたものの、職能としてきちんと定義付けできる訳でもなく、体系的に述べることもできないので、少し具体的なプロジェクトを紹介する中で、今考えていることについて述べたい。

 

写真1 五島堂崎地区航空写真

 

長崎県五島列島。この島は、江戸時代1612年の禁教令による迫害を逃れ、長崎から多くのキリシタンが移住した。251年もの長きに渡って潜伏し信仰を守り続けた人々は、禁教が解かれると島内各地に教会を中心とした集落をいくつも築いた。中でも福江島の奥裏湾に面して建つ堂崎教会は、復活後、五島で初めてクリスマスのミサが行われるなど、五島における布教で中心的な役割を果たした。人々の思いがこもった建造物とその風景は、見る人を惹き付ける。現在では、信徒だけではなく、数ある五島の教会と碧い海の風景を求め、多くの観光客が教会を訪れる。堂崎教会は、その代表格である。

 

写真2 水際に佇む堂崎教会

 

写真3 堂崎教会に通う信徒古写真(五島市提供)

 

教会築造当時、信徒たちの多くは伝馬船に乗って堂崎教会に通った。地形の制約が厳しい島の生活の主な交通機関は船であった。道路整備も進んだ現在では、自動車で教会を訪れることができるが、ここで問題となるのが、駐車場のあり方である。平成19年に「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が世界遺産暫定一覧表に登録され、堂崎教会は世界遺産の構成資産候補地に挙げられている。しかし、来訪者を迎える従来の駐車場は、無機質なコンクリート舗装に教会を模したトイレが忽然と立つという、何とも違和感があるしつらえであった。それは、空間としても水際と分断され魅力に乏しいところであった。

 

写真4 整備前の駐車場とトイレ

 

教会の約200m手前の海沿いにあるこの駐車場敷地は、昭和58年に長崎県が整備した防波堤に合わせて建設された埋め立て地である。埋め立て前は、当地特有の白茶色のれき浜と海の色のコントラストが美しい風景が広がっていた。この埋め立て地に、2005年、五島市が駐車場と教会風トイレを建設した。しかし、地域の人々の気持ちは水際から離れ、また、トイレのデザインの奇抜さなどが各所から指摘されたこともあり、2010年、市は世界遺産登録へ向けて来訪者を迎える場所として相応しく、また地域にとっての大切な場所になるように、改めて環境整備を行うことを計画した。我々は文化財を専門とする計画設計事務所とともに、この設計を請け負うこととなった。

 

写真5 五島堂崎のれき浜と海

 

このような話は全国各地でよくあるのではないだろうか。しかし、事に当たるにあたって、設計者はよく考えなければならない。プロジェクトの背景と目指すべきこと、この場所の持つ意味、価値、歴史、そして未来へ向けてどのようなメッセージを込めるか。課題は何か、与えられた予算や条件の中で可能なことは何か。糸口は、突破口は、そのプロセスは…。物事の本質を見失うことなく、求められている場所をいかに高い質で実現できるか。そのために、あらゆる可能性を粘り強く探る必要がある。
また、設計者として、もうひとつ重要なことは、発注者に言われるがままの請負業者に甘んじていてはいけない、ということだ。常日頃、意識を高く持ち、設計を進める過程で、相手の立場も理解しながら、お互い意見や知恵を出し合い、それらをまとめてひとつのチームとして解決していく。そういったお互いの関係性と雰囲気を作り上げなければならない。

 

写真6 現場での打合せの様子

 

今回、堂崎教会駐車場の設計にあたり、我々が重視したことは水際空間の再生と地域の方々の意識の再構築であった。埋め立て前のこの場所は、教会を中心に地域に暮らす人々の生活の場所であった。しかし、公共事業によって護岸や駐車場が整備されると、この場所は地域の人々の生活や意識から離れていった。本来、公共空間は、あらゆる人々を受け入れる場所でなければならない。また、地域の人に大切にされ、愛される場所でなければならない。

 

写真7 整備前の水際部

 

写真8 整備後の水際部

 

水際空間は、県の護岸管理道であり、市の駐車場との間には50cmほどのレベル差があり、柵も設けられていた。上記の思いから、まずは、この管理境界を撤去し、空間としての一体性を目論んだ。駐車場と管理道の間のレベル差や境界を無くし、水際に佇み、歩ける場所をつくろうと考えた。設計の初期段階で、我々は市の担当者とともに県の事務所に赴いた。水際空間の一体化について、その必要性を説くとともに、構造図を示しながら、排水や管理など技術的な対応について提案した。協議の席では、おそらくこれが実現しなければこの事業をやる意味はない、という程度のことは言ったと思う。幸いにも県の了承を得て、一歩前へ進むことができた。

 

写真9 住民の方々との話し合いの様子

 

写真10 静かな夜の水際をやさしく照らし出すフットライト

 

並行して、住民の方々との話し合いを行った。恵まれた環境と美しい風景を持つこの場所が、駐車場の整備をきっかけに、皆さんに使ってもらえる場所になればと思っていること。そして、できれば整備の一部でも何か一緒につくりたい、ということを伝えた。話し合いには毎回30人ほど、集落のほぼ全ての方々に参加して頂いた。駐車場横の畑の石積みが昔の海岸の石積みであること、潮が引いたときには目の前のれき浜でよくソフトボールをしたこと、エビやカニ、マテガイ、ヒジキなどが獲れていたことなど、昔の様子を知るとともに、日頃、夕涼みや散歩で海辺に出るという話を聞いた。また、観光客のマナーについて、受け入れる立場としての住民の方々の意見もあった。何度かやりとりをする中で、住民の方々の思いを咀嚼し、空間に落とし込み、模型やスケッチを使ってイメージの共有を図っていった。トイレについては、住民の方々からも誤解を招くデザインについて違和感があるという意見があり、最低限の修景を施した。静かな夜の水際をやさしく照らし出す、ソーラーLEDフットライトは、設置後、近隣に住む方々から『いい雰囲気になった』と大変喜んで頂けてほっとしている。

 

写真11「樫温焼」タイル製作の様子。親子3世代で参加して頂いた。

 

写真12 完成したタイルベンチ。奥浦湾対岸「樫の浦」の「温釜」という窯元で焼いたので『樫(かし)温(ょん)焼(やき)』と命名。

 

もうひとつ、このプロジェクトにはある思いがあった。それは、工事に使う材料を可能な限り、島内で手配し、メイド・イン・五島の駐車場にしたい、ということであった。地域の素材を使うことで、愛着を持ってもらい、訪れる人に自慢してもらいたい、と考えていた。車輪止めやボラード(吉田石)、透水性コンクリートの骨材(五島蝋石(ろうせき))など、利用した石材は全て地元福江島にて産出されたものである。特に、サインやベンチに利用した淡い緑色のタイルは、市の方に紹介して頂いた地元の陶芸家の方と自分がよく仕事でご一緒するタイルの専門家の方に技術協力して頂きながら、特別に製作したものだった。タイルの釉薬には五島産の椿の灰が混ぜられており、五島オリジナルの風合いを持つ。「樫温焼」と命名されたタイルは、目の前のれき浜からの貝殻や椿の葉を集め、地元の子供たちと一緒に模様をつけて、ベンチに設置した。そして、つくったタイルの中で、お気に入りの一枚を駐車場のオープニングで記念に皆にプレゼントすることを企画した。駐車場の計画が決まり、工事が進むにつれて、住民の方々が、この場所を「広場」とか「公園」と呼び始めたのは印象的であった。

 

写真13 完成した駐車場全景

 

写真14 オープニング時の餅まきの様子

 

エンジニア・アーキテクトという職能は、エンジニアリングをベースにして、あらゆる人々の思いをひとつの場所にまとめあげることができる職能でありたい。また、その場所が多くの人に長く愛され、その風景が見る人の心に刻まれるものであって欲しいと考えている。色々な人の思いをひとつの場所にまとめあげる作業は、容易なことではない。様々な立場の人の意見に丁寧に耳を傾けながら、設計者としてぶれない芯をもって、粘り強く臨まなければならない。組織が大きくなれば、物事を個人の裁量で判断することは難しくなる。しかし、人の心に届く、ものづくりや場所づくりの局面では個人の創造力・突破力が不可欠である。そして、そのためには、利用者や現場に限りなく近い位置に立場と意識を持つ必要がある。

 

写真15 プロジェクト関係者による完成時の集合写真

 

初めて会う人に「土木のデザインをやってます」と言って名刺を渡すと、ほとんどの人が怪訝な表情をする。しかし、この怪訝な顔を最後に笑顔に変えることができれば、僕にとってひとまずは成功と言える。エンジニア・アーキテクトという立場がきちんと定義づけられ、世の中に認知されるまでには、しばらく時間がかかるだろう。建築家の内藤廣さんが学生の頃、恩師の吉阪隆正先生に『10年同じ穴を掘れ』と教えられたと聞いたことがある。8年間、手探りの中で進めてきた経験から、少しずつではあるが、目指す姿が見えかけている。全てがうまく行く訳ではないが、エンジニア・アーキテクトという職能とその可能性について、今後も継続的に議論を行いながら、確実に成果を積み重ねていくことが、大切だ。

次世代を担うエンジニア・アーキテクト

崎谷 浩一郎Koichiro Sakitani

(株)イー・エー・ユー|EA協会

略歴:

1976年 佐賀生まれ

1999年 北海道大学工学部土木工学科卒業

2001年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻 修士課程修了

2001年 日本工営(株) 勤務

2002年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻 博士課程入学

2003年 (有)イー・エー・ユー 設立

2005年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻 博士課程中退

2008年- 国士舘大学非常勤講師

2011年- 文京区景観アドバイザー

2011年- 東北大学非常勤講師

2012年- 土木学会デザイン賞幹事

 

主な受賞歴:

2010年 グッドデザイン賞(旧佐渡鉱山北沢地区広場および大間港広場)

2010年 グッドデザイン賞(長崎中央橋)

2011年 グッドデザイン賞(大分竹田白水ダム鴫田駐車場・トイレ)

 

組織:

(株)イー・エー・ユー

取締役代表 西山 健一

取締役代表 崎谷 浩一郎

〒113-0033 東京都文京区本郷6-16-3幸伸ビル2F

TEL:03-5684-3544

FAX:03-5684-3607

HP:http://www.eau-a.co.jp/

 

業務内容:

・土木一般、建築、造園等に関わる景観デザイン、設計、コンサルタント業務

・都市開発、都市計画、まちづくりに関わるコンサルタント業務

・その他上記に付帯する業務

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