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2011.11.03

地域から被災地復興を考えること

小出 和郎((株)都市環境研究所|EA協会)

はじめに

私自身、さらには都市環境研究所も同様であるが、これまで、内陸部は訪れたことは多いが、今回の被災地域、なかでも甚大な津波被害を被った地域には、個人的にも仕事上もつきあいがなかった。ただ、メディアの映像や情報は洪水のように提供され、いち早く現地を訪れた人達からのレポートから様々な話、分析は眼にしていた。何かの縁があればもっと早く被災地にいったと思うが、5月の連休に初めて被災地域を訪れたのが最初である。したがって、沿岸地域の昔の姿はほとんど知らない。
今、都市環境研究所など3社のJVチームでは、国交省の「復興における歴史・文化遺産の継承と地域コミュニティの維持・活用等検討調査」を行っており、また宮古市の文化庁調査の実行委員会にも参加している。そういう経験の中から考えていることを書きたい。論文ではなく、雑感というべきかもしれないけれど、ご容赦頂きたい。


1 様々な地域、いろいろな被災の状況

被災地を訪れてまず感じたことは、地区、場所によって被害の状況が違うということである。とくに、「被害の状態」と「まち」の関係である。
メディアの映像や記事は、やはり断面、みな同じだと思うがセンセーショナルな場面が主であって津波被害のすぐそばに昔と変わらない生活があることなどは報道には簡単には出てこない。地図を丹念に見ても、土地勘がなければ現場では、感じることは難しい。

具体的にいうと、最初に行った岩手県北部沿岸では、
・  宮古市や釜石市は市の中心地区の半分強が被災している。1階に傷跡が残る地区が、まちとして最も賑やかな地区であったと思える。釜石市のあおば通りは被災前には最もにぎわった場所の一つであり、津波のことも考えた通りと思える。
・  しかし、大槌町、田老地区そして津軽石地区の海側地区(2地区とも宮古市)は、まちがのほぼ全部が被災して、まちは跡形もない。
といった状況である。宮古市の市役所の周りの津波被害はひどいが、少し北にある住宅団地(まさに高台の開発住宅地)には普通の生活があると感じたし(2ヶ月後のことではあるけれど)、また釜石市では、ちょうど天皇・皇后陛下の来訪(お見舞いの現地訪問)があり、まちの西側の国道沿いには、多くの人が立ち並んで行幸を待つ風景が広がっていた。

考えたことは、
・  宮古市や釜石市の中心地区の状況からは、結局以前からのまちの構造を基本に復興を考えるに違いないと思われた。ちなみに、青葉通りの角のホテルは現時点で営業を再開しているようだ。
・  大槌町や宮古市田老地区は、まちのほぼ全てを失い、復興の手がかりもない状況に見えた。後で知ったことだが、田老地区には明治の津波のあとに高台移転のケースがあり、この地区ほとんど被災していない。復興の手がかりがない中で、高台移転を考えるだろうな。宮古市の中でも被害とまちの構造の関係は一様ではない。
ということであった。

 

(左)宮古市本町辺りの蔵
蔵は被災したがかなりの数、残された。しかし、解体を待っているように見えた。
(右)宮古市鍬ヶ崎地区の被災後の姿
津波により家屋が流された地区と隣接する被災しなかったやや高台の住宅の姿

一方、岩手県南部の陸前高田市と宮城県気仙沼市では、
・  陸前高田市はまち全体が被災し、中心地区の全てを喪失し、全く建物の姿のない平地にがれきという状態。松原に残った一本のマツが印象的。
・  気仙沼市は、津波は市街地全体に広がり、ほとんどの残された建物には1階の被害が見られる。この点は宮古、釜石と同様である。しかし、地盤沈下が広範に広がって、悲惨な状態であった。

この時に考えたことは、宮古市などとはやや違う。
・  凛然高田市や気仙沼市では、この地域の復興をどういう時間とシナリオで考えるのだろうということ。まちの計画の軸に何をおくかが大きいと思った。それほど、被害の状況が異なっているように感じる。これからの産業のあり方、水産業の再生を軸におかないと復興計画は考え難いと思う。仮設住宅をどうするかは緊急清があるとしても、それだけではまちはできない。本来宮古市なども同じ問題を持っているはずではあるが、ややレベルが異なると思った。国交省と農水省はどういう連携をとれるのだろうか。うまくやってほしいということを強く感じた。
・  平成の大合併は、この被災地の復興にどう関係してくるのだろう。恐らく、土地利用の大きな方針や高次あるいは広域のインフラ整備などには都合が良いのだけれど、住民の顔が見えるまちづくりというような点では、何か工夫がないと現在の市町村単位では円滑さと柔軟さに欠ける結果にもなりかねないと思った。
以上は、当時の感想にすぎないが、現時点でも大切と考えていることは、「地域が考えて、個別の答えを出すべきであること」が最も大事ということである。
これまでは、現実の被害があまりにも巨大で現地は混乱していたし、即時に対応すべきことも山のようにあったと思う。復興の道筋は、被災したまち、集落の数だけ、それ祖れぞれに独自のものであると思う。例えば、高台移転の問題について考えてみると、私は多くの場合被災前のまちを基本に減災と避難を優先したまちが望ましいと思ってはいるけれど、まちによっては高台移転が適切な場合もあると思う。これだけの広い地域、多様な被災状況なのだから、沢山類型を作って考えても、必ず例外がでてくるのが当然だと思うのである。
また、「計画の再検討もある」のではないかとも思う。個々の計画のできが悪いとかいう問題ではなく、様々なすりあわせが必要になるのではないだろうか。例えば、省庁間の連携などは円滑に進んでいるのだろうか。そうでなければ、これも地域が調整するという選択になるだろう。
短時間にまとめたものをより良い計画にするためには、恐れてはいけないことだと思う。そのための復興計画の評価ツールの開発は、現実には個々の復興計画とは別の調査として進んでいる(国交省の場合)。このような調査を活かす仕組みも必要である。多くの場合、復興計画の策定作業として進んでおり、早めにガイドラインとして公表するという予定になっているようではあるが、今年度内での反映も難しいとも思える。それ以上に、恐らく漁村の復興計画については、農水省の計画、意見もあるのだと思う。
そういう意味では、各地域の復興計画を実行に移すまでにだけではなく、実行しつつ改善していくために、個々の地域をサポートする仕組みと体制を今考えて、着手する必要があると考える。

 

気仙沼市の昭和24年の地図(出典:「三陸海岸都市の都市計画/復興計画史アーカイブ」)
この図から、昭和20年ごろには、今回の津波被災地には住居などがなかったこと、あるいはその後の埋め立てにより造成された地区であることがわかる。中心地区の被災状況は宮古市や釜石市と同様である。

 

2 地域を読む、地域を読む

今回復興計画を見ていて、気になることがある。
まず、すでに指摘されていることではあるが、都市計画、土木の専門家として、土地、地形を読む技術が備わっていないと思えるプランを散見する。平地部の区画整理、農地の区画整理と同じように考えているのである。
戦後の成長期には、山を開発して団地を造成することは極く普通であった。我々の世代のものはある程度業務としても土地の造成計画を経験している。さらに、それ以前の土木技術による大造成が難しかった時代には、斜面地を活かした住宅地、別荘地づくりもよく行われた。これらはいずれも、地形を読む作業である。現在は、山地の造成は業務としても少なく、大手ゼネコンなどの領域になっているとも思える。少し前までは基礎技術の一つであった造成技術がそうではなくなったともいえるのかもしれない。

 

ロイヤルシティ別府湾杵築リゾート
今回の被災地には直接関係ないが、大分県に、ロイヤルシティ別府湾杵築リゾートという別荘地がある。自然地形を大きく変えず、主要道路を谷などに配置して、敷地規模500㎡以上の斜面住宅地を実現している。これは、比較的最近の事例だが、神奈川件や神戸近郊には過去の事例が沢山ある。
三陸沿岸地域の風景になじむ開発規模、手法、そして集落(あるいは、コミュニティ)のをあり方を考えられる必要があると思う。
写真は、.ロイヤルシティ別府湾杵築リゾートHP

 

土地を読む、その土地の特性をつかむという作業が、わが国では少しおろそかになっているのだろうか。津波と話は違うが、近年の豪雨などによる災害を見ていても、時折この地区がなぜ市街地、住宅地になってきたのかと疑問を持つようなケースもある。明治時代の地図を見ると、広い平野の中で集落はいわゆる微高地(自然堤防上といってもいい)にあるケースが多い。その後、宅地が必要となり、元々水に弱い市街地が全国的に広がってきて、気候の変動によってしばしば被害に遭うようにもなってきた。
今回の津波被災地についても、戦前の地図では低湿地や田圃であった地区や埋め立て地が大きな被災を被っている。この時期のそれぞれの市街地はやや標高が高い位置にあり、津波被災の状況もやや軽いは所も少なくない。この点は、そこに住んでいた人の問題というのは間違っていると思う。私はむしろ都市計画の問題の一つであると思っている。災害を回避するための土地利用コントロールという発想があった。しかし、圧倒的な宅地需要に、都市計画は無力であったという見方もできる。宅地、新しい市街地は交通利便性などが評価の軸になり、自然災害の危険性は極く限られた場合(例えば急傾斜地など)に対する規制だけといった状態である。
では、都市計画として何を考えなければいけないかということを考えると、それは利用に対する条件付けということになる。名古屋市では伊勢湾台風の経験から、建物利用に対する規制が行われているが、こういった条件付けを考えることが、都市計画の役割ですよと言われている思う。
土地を読む、地域を読むというアプローチを考え、住民に伝えていく必要があるということを明記しておきたい。


3 歴史・文化遺産について

冒頭に書いた通り、現在「復興における歴史・文化遺産の継承」というテーマで調査を進めている。
このことについての地域の反応は、一様に「大事であることはわかるけれど、今はそれどころではない」というものである。同時に「復興のプロセスにおいて、地域の歴史・文化遺産が復興の支えにもなり、また将来の地域の資源ともなる」といわれる人も少なくない。一方、津波被災地を見ると所々に被害を受けた伝統的な家屋や蔵があり、場合によっては補修をすれば残存、利用が可能と思われるものももある。しかし、これらも日に日に姿を消しつつある。蔵などは、解体費用がばかにならないけれど、被災地の場合は行政が解体費用を負担することから、この際解体を希望するというケースもあるという。
調査では、現在津波被災地を対象に、歴史的な地図などの収集、多様な歴史的資源(有形、無形とも)の状況(従前、被災状況)などを行い、一方でこれらの遺産の活用に対する提案をとりまとめている。可能なかぎり、今後の復興計画に盛り込まれるような例を挙げることと、またその事業として可能性を切り開きたいという観点で取り組んでいる。また、景観的な観点にも留意を払い、とくに個々の市町村、地区だけではなく、広域的な連携が有効なケースを示していきたいとも考えている。
現段階では報告できることは少ないけれど、以下のような観点を挙げていることを紹介しておく。
・  例えば、名勝松島の景観。これについては、関係する2市3町の連携した取り組みが望ましく、お互いにどういう点(他のまちからの見え方など)を配慮すべきかということ。似たような点としては、海からみた漁村集落の景観をどう考えていくかという点もある
・  地域にある過去の高台移転の例は「計画遺産」でもある。

日本建築家協会東北支部岩手地域会「被災地復興の歴史的景観」から抜粋
「被災地復興の歴史的景観調査」の資料の一部である。大船渡市・旧三陸町吉浜地区には、明治期、昭和期の高台移転などの例を調べているこれらを見ると、当時の技術を背景に、比較的小規模な単位で、地形、風景の中にとけ込んだ集落というものが多い。単位、規模をどうとるかは、大変重要であると思う。

・  また、この地域の昔からの浜街道の状況、さらには個々の街道沿いの遺産をどう見るか。舟運の歴史もこの地域にとっては重要である。また、地域の残され、引き継がれてきた神楽などの文化的遺産も含まれている。さらに、内陸部とつながる歴史的な、文化的な文脈を、今後の地域づくり活かす視点の提示なども重要と考えている。津波被災地の参考にもなる内陸部の歴史・文化遺産の活用のスタディも進めている。いずれ別の機会を得て、報告したいと思う。

4 地域コミュニティの再生、維持・活用について
一方、地域コミュニティの維持・活用というテーマについては、仮設住宅地に対する様々な取り組みを収集、ヒアリングなどにより、とくに福祉・医療という点から、多様な問題点を洗い出している。この調査は、現在今後の復興計画に組み入れてほしいガイドラインづくりに取り組んでいる。こういった作業から見えてきた点を2つほど挙げる。
・  避難施設や仮設住宅地は、多くの場合、自治の組織が育ちにくいようである。強烈な被災を経験した人達には、そのようなまちの自治を考えるには時間が必要ということである。ただ、集団が暮らす場所にはルールなども必要である。ボランティアがまかなうケースは多いけれど、むしろボランティアが地域の自治組織づくりを手助けすることがもっと重要という意見がある。ハード面では、そのための「場づくり」が重要とのこと。様々な提案もあるが、忘れてはいけないと思う。
・  現在の仮設住宅をみると、確保できる土地という点を重視したため、将来に懸念のあるケースがないだろうかとも感じる。あえていえば、コンパクトなまちづくりなのだろうかと思う。高台移転はいいのだけど、あまりに小さな、かつ孤立的な仮設住宅については、福祉・医療のサポートは可能かどうか。自己責任でできるのならいいのだが…。

こういう点も時間をかけてチェックすべき点であると思う。

おわりに

私には、かなり昔のこと、若い頃のことではあるが、地域に住んでその地域の計画を作った経験がある。広島の田舎にいて、多くの友達をつくり、その地域の人が何を大事にしているか、何を考えているかを身をもって感じた。これは今でも、都市計画コンサルタントとしての貴重な経験である。
被災地の復興計画に関わる人、とくに若い人には、とりあえず住んでみなさい、あるいは沢山の時間を地域で費やしなさいといいたい。都市計画、まちづくりに関与するものとして、得難い経験を持つ機会でもあるのだから。

復興に向けて大切なこと

小出 和郎Kazuo Koide

(株)都市環境研究所|EA協会

資格:

技術士(建設部門)

 

略歴:

1946年 東京生まれ

1971年 東京大学工学部都市工学科卒業

1975年 東京大学大学院工学系研究科都市計画専攻 修士課程修了

1972年 (株)都市環境研究所 勤務

1983年 (株)都市環境研究所 代表取締役就任 現在に至る

 

主な著書:

『日本の風景計画』  共著 学芸出版社

『建築とまちなみ景観』 共著 ぎょうせい

『今井の町並み』 共著 鹿島出版会

『アーバンデザインの現代的展望』 共著 鹿島出版会 その他

 

組織:

(株)都市環境研究所

代表取締役 小出 和郎

代表取締役 高山 恵

〒113-0033 東京都文京区本郷2-35-10

TEL:03-3814-1001

FAX:03-3818-2993

HP:http://www.urdi.co.jp/

 

業務内容:

・都市計画、都市景観関わるコンサルタント業務

・歴史的環境、景観に関するデザイン、設計、コンサルタント業務

・再開発事業をはじめ、都市開発、まちづくりに関わるコンサルタント業務

・その他上記に付帯する業務

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