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2015.11.19

EA協会対談企画「広場に求めるモノゴト」

---2015年7月8日(水)、東京・外神田のアーツ千代田3331にて「広場に求めるモノゴト」と題してランドスケープアーキテクトの長谷川浩己氏と都市設計家の小野寺康氏による対談を開催しました。はじめにお二方にはそれぞれ今まで手がけてきた広場のデザインとその手法を紹介いただき、つづいて広場についてデザインの可能性や今後の展開について語っていただきました。

(司会:金光弘志/カネミツヒロシセッケイシツ・EA協会)

講演/長谷川浩己

私は広場って誰でも参加できる場面だと思っていて、今日会場に来ている方々含めて、みんながそれぞれの場面で広場づくりに関われたらまちが面白くなっていくと感じています。まずは私が広場にどのように関わっていくかというスタンスを話したいと思います。
最初に私にとっての広場とは、広場的な空間を感じている場所なのかもしれません。私のなかで広場と公園は対の概念で使っています。広場は人が集まると同時にできている。要するに、まちとか都市とか集落ができるときにそこがなくては始まらない、そこがなくては維持できないといったメインファクターです。逆に、対の概念で使っている公園は、近代に生まれてきた新しい考え方で都市の中にもう一回異物を入れるようなものだということです。実際には広場と公園は似ています。この会場の横には練成公園がありますが、広場か公園か曖昧です。でも曖昧でいいと思っています。概念的には広場と公園の両極があって、それぞれの性格を見て、それぞれの場所ができていると考えています。その中で私が考える広場とは、
①あらゆる場所にある
あらゆる場所に広場的な空間があって、意図してつくられたものや勝手にできたものがまちだと考えています。今はあるけれど明日はそこにないかもしれないといった感じで捉えているところがあります。
②特定多数
特定多数というのは不特定多数に対するアンチテーゼです。私は「みんなのため」という言葉はなかなか信じられなくて、「みんな」っていうのは結局「だれでもない」ということではないかと。ですからパブリックスペースは特定多数を考えることが良いと思っています。「みんな」ではなく「ある人たち」で十分だと思う。「ある人たち」にはいろいろな人たちがいて、それぞれにいろいろな居場所があって、「ある人たち」のところに「違う人たち」がその様子を覗きに行くといった状況は楽しいのではないかと思っていて、場所や状況に反応する人が全員(みんな)ではなくてもいいなという気がしています。
③独りでもいられる場所
私は広場の仕事に関わっているときに、まちのイベントをやりたいということも大事ですが「何もしてなくても独りで居られる場所」も大切だという話をしています。多分、私がそういう場所を欲しているのです。独りでいるといたたまれない場所であってはよくない。独りでいても、その人がそこにいて羨ましがられるような場所です。
④インターフェイスでもある
⑤インターフェイスとしての外部空間の魅力
いろんなインターフェイスというか境界面みたいな場所が外部空間にあると結構まちがおもしろくなっていて、それがないと結構しんどい空間になるだろうなと感じています。広場はものや情報を交換する場所から始まっていて、人はやはりそういう場所を求めて集まってくる。ですから外部空間はその目的に適していると思うのです。どこからでも見えるし出入りも自由だし、非常に開いた空間なのに濃度として自立しているところで、とても重要な空間ではないかと思っています。
⑥パブリックな空間である
私の思っているパブリックとは、いわゆる近代の個と社会の関係を拠り所とするパブリックの概念ではなく、最近発刊された『JA 98 ランドスケープ2015』で書いていますが、われわれみんなにとっての共通の基盤という意味でつながっているパブリックではないかと思っていて、そうした場所の中にたくさんの止まり木のような空間があると面白いのではないかと思っています。
これは昨年山登りに行った妙高の山小屋の前の写真です。これが私の思う広場です。山の好きな人しか来ないし、みんな勝手に好きなことをやっているけれど、お互いがここにいることを許されているのです。ここまできた苦労をみんな暗黙のうちにシェアしていて、なにかひとつのコミュニティとは言わないまでも、名前も知らないけれど、とても自由な時間を過ごすことができるという意味で私の思う広場なのです。広場はまちや都市だけではなく地球上のあらゆる場所にあると思っていて、こうした気持ちのいい場所がいろんな局面で現れると面白いなと思っています。

 

妙高山(新潟県)高谷池ヒュッテ

コレド日本橋

オープンAの馬場正尊さんから話があって博報堂と共同したリニューアルプロジェクトです。今になって思うと私の中では広場を考えるきっかけになったプロジェクトです。以前の広場は非常によりどころがない印象の空間でした。最初はここにバーのような空間をつくってみようと話をしていて、それが少しずつ変化して最後はホテルのラウンジのような空間を外部空間につくろうということになって実現しました。この広場はすぐ下に地下駐車場の躯体があるので、舗装の上に巨大な家具として木や花を植えて、いろいろな動くイスやテーブルを置いてホテルのラウンジのような空間をつくっています。私は、世の中の公開空地がウェルカムな空間ではないとずっと思っていて、そもそも公開空地は民間側の土地だから、公共に開かれることによって民間側にメリットがなければやる気を出してくれないと思っています。コレド日本橋は三井不動産ですが、三井が街に対してオープンラウンジを提供することでコレド日本橋に人が集まってくるひとつの理由になればいいなと思うし、逆にこの場所を提供してくれていることは三井が都市に対してポジティブな強い態度を示してくれていると思いながらプロジェクトを進めていました。ホテルのラウンジって、誰でも来られるけど来る人には一定の振る舞いを要求されるところがありますが、そのような空間になればいいなと思ってデザインしました。

 

コレド日本橋

ハルニレテラス

軽井沢の星野リゾートの施設で、すぐ傍を湯川という綺麗な川が流れています。ハルニレテラスは商業施設です。私がずっと思っていた商業施設とは本来は市場なので、広場と相性がいいはずだと思っていました。その商業施設が外に対して閉じてしまうとショッピングセンターになってしまうのですが、買い物しなくてもそこに居られる時間を提供できる場所があればとてもおもしろい広場になるのではないか、その広場がまちなかではなくて湯川の横でハルニレの木の下で広場が出現したら、それはどこにもない広場ができるだろうと思ってデザインしています。お店は広場に貢献するためにある、そんな場所ができればお店は儲かって最終的にどちらもウィンウィンになってくる。ハルニレテラスはそのように使われていると思っています。

 

ハルニレテラス

帝京平成大学 中野キャンパス

警察学校があった敷地の再開発で、周りには明治大学や商業業務ビルや大きな公園があります。ちょうど隣接して新しくできた中野四季の森公園との間の幅30m長さ100m程の場所です。施主である大学側には2つの案を提示しました。ひとつは大学の正面玄関としてフォーマルなデザイン、もうひとつは大学が公園とつながっているような広場のデザインで、公園の利用者も使えて学生も使えて、アクティビティが大学の顔になるという考え方で、後者のデザインを受け入れてもらいました。既存のケヤキと移植したケヤキの周りに幾つかの高さを設定したベンチというか縁台のような座れる場所を大量につくっています。いろんなポジションがありますから、そこに人はどのように居ついてくれるのだろうかということを意識していて、歩いている人が足を止めてついつい立ち止まりたくなったり、ここでのんびりしたいと思ったり、人をどう誘いこめるかということを考えています。

 

帝京平成大学 中野キャンパス

オガール広場

岩手県の紫波町に公民連携でできたプロジェクトです。横にある建築は町の庁舎や図書館のほかに居酒屋やマルシェといったテナントが入っています。このプロジェクトはコラボレーションとしてはとても密度が高く、建築のプログラムと全てを一体的に考えてデザインすることができました。広場はオガールの周りの施設と補完的にできていて、建物のなかで行われていることがどんどん外部に出てくること、例えば建物の中には会議が出来る場所がたくさんあるのですが議論が煮詰まってしまったら外に出て会議をしてもいいし、カフェにいる人が外に出てきてもいい。芝生広場でしかできないアクティビティもあるでしょうし、建物の中でしかできないアクティビティもある。そうした中と外が完全に補完的に動き出すととても面白いと思うのです。使う側からするとそこに行けば何かができる空間が生まれてくる、そういうことを求めてプロジェクトをやっていました。スタジオと名前つけた大きな東屋のような場所もつくりました。とても機能していて、雨が降っても居られて、高校生がおしゃべりをしていたり、大人たちが販促の会議をやっていたり、とても面白く使える場所ができたと実感しています。

 

オガール広場

陸前高田 箱根山テラス

陸前高田のプロジェクトです。平地が多いまちのため東日本大震災時の津波によってかなりの被害をうけています。現在、まちの地盤を嵩上げする工事を行っていて、巨大な更地が広がる景色になっています。山を削ってベルトコンベアで土を運び地盤を8mも嵩上げするようです。箱根山は、まちの東側にある山で市街地から非常に良く見えます。津波の被害で市街地は人が入れる状況ではなく、市民の人たちは市街地から離れた仮設住宅に住んでいるか、まちの復興を待ちきれなくてまちから離れていく人もでてしまっています。そこで地元の有志の方々が、少し落ち着いて深呼吸できるような人が集まれる場所がほしいよね、ということで始まったプロジェクトです。大きいテラスが山の斜面に浮いている。これはプロジェクトを協働したリビングワールドの西村佳哲さんによるテーマです。船みたいな場所があるといいよね、船みたいな場所にみんなが乗っている、それが山の上にあって自分たちのまちや海を見下ろすことができる、ここに来ると一息つくことができる、といったことを話されていました。箱根山テラスでは500円払うとコーヒーやビールなど何でももらえて1日居られる。だから500円で借りられる広場のようになっていて、みんな朝から来て夕方まで仕事をしていたり子供と遊んでいる人もいます。ここには宿泊施設もあるので泊まっていく人もいて、外部の人や土地の人が交流できるスペースになっています。テラスは長さが50mぐらいあって、その中にいろんな居場所をつくっています。森に浮いたテラスからカキの養殖している海の風景を見て、のんびりしたり集まったり、ワークショップをやったりする場所。これも私にとっての広場です。民間がつくったとか公共がつくったとかは、私には関係なくて話の冒頭に説明したカテゴリーにあてはまる場所は私にとっては広場というイメージで考えています。

 

陸前高田 箱根山テラス

釜石 大町広場

まちの中心を再生するフロントプロジェクト1と呼ばれるプロジェクトです。広場の正面には商業施設がありますが、このプロジェクトへの参加を呼びかけてくれたアフタヌーンソサエティの清水義次さんからは、仮に将来イオンが撤退したとしても人がいるまちにしたいと言われました。ですから、中心市街地にひとがいる姿をつくっていきたいと話をするなかでも、ひとりでも居られる場所をつくりたいと思っていました。
工事中に感じたことですが、なんとなく気持ちのいい場所があると工事関係者が休憩しているんです。そういう光景を見ていると、これはいけるなと思います。単純に生理的に気持ちのいい場所をつくっていけば、人は自ずと集まってくるのではないかと思っています。広場の横にはタウンポート大町という共同店舗があって、被災した地元商店の方に希望をとって出店してもらっています。出店される方からの声を聞くためにワークショップも開きました。これから交流センター、ホール、公営住宅もできてきますので、まちには多くの人が戻ってくると思うのですが、私は人の姿が建物の内部に吸い込まれて見えなくなるのではなくて、広場にいる人を誰かが見かけて声をかけたり、のんびりと広場に佇んで道行く人を見ていたり、なんだか知らないうちに広場で何かが始まっているとか、そうした場所になってくれればと思っています。

 

釜石 大町広場

講演/小野寺康

私は広場とはいわゆるオープンスペースだとは思っていません。私が執筆した『広場のデザイン』という本のなかでも、屋外で誰もが利用できてそこでアクティビティが生まれる、ひとが集まってエネルギーが生まれる場所の象徴として広場という言葉を使っています。日本でそれを探すと必ずしも広場という形ではない場合が多くて、『広場のデザイン』で書いた一つの結論は、ヨーロッパ型の広場に相当するエネルギーを生み出す場所というのは「参道」みたいな空間だということです。あるフォーカスがあってそこに向かってつながっていく、動きのある空間が日本的な賑わいのプロトタイプだと思っています。ですから参道は広場化するし、広場を念頭に参道のデザインも可能だと考えています。そんなことを考えていたら本当に参道の仕事が入ってきまして、そのあたりから紹介していきます。

 

出雲大社 神門通り

出雲大社の表参道である神門通りのプロジェクトで、参道という形の広場をデザインしています。整備前は、松並木は立派だけど松並木の内側は歩く感じがしない状況でした。出雲大社だけには人が来ても、商店街はどんどん疲弊していたわけです。事業者である島根県の整備メニューは、石畳にしたい、そこは大型バスが通るから強度も欲しい、今は歩く人がいないが歩く場所にして欲しい。そして「シェアドスペース」です。これは歩車分離ではなく、歩車をあえて一緒にすることによって車のドライバーに遠慮してもらおうという考え方です。この県のメニューにそって満足する石畳をつくれば仕事は終わりなのですが、私がこの仕事をいただいたときにまず考えたことは、第一級の参道景観にしなければならないということです。そう考えると出雲の伝統、歴史、文化をきちんと表現して、地域の誇りになるものにしなくてはいけない。私自身で勝手にハードルを上げるわけですね。
まず島根県が、シェアドスペースの実験として、路肩の白線を車道側にシフトして車道幅を5.0mに縮めて、センターラインも取りました。これだけで人が歩くようになったのです。これには商店街の方々がびっくりしていました。この実験によって人の流れが変わりました。車も人が車道寄りを歩きますから遠慮せざるをえないのです。こうして歩車共存空間ができてきて、みんながシェアドスペースの有効性を感じました。
こうなればあとは石畳のデザインになりますが、参道の石畳といえば縦目地(石を縦向きにして且つ道路の縦断方向に目地が通る形)です。しかし、ここは大型車も通りますから、縦目地の場合は、タイヤが回転するその荷重で石畳にずれが生じて壊れてしまうのです。ですから石は縦向きに置くけれども、目地は横に通すように配置を工夫しています。
また、白線を移動して人が歩くようになったけれど、私はもうちょっと歩行者優先の参道にしたいと思いました。一種のトリックなのですが、白線を越えて、歩道舗装を白線の車道側に滲みださせています。歩道と車道は同じ御影石なのですが、種類や大きさを明確に変えた上で、歩道舗装を車道に滲み出させた。これだけで人が白線の車道側を平気で歩くようになって、歩行者を避けようと、余計に車が警戒せざるを得なくなりました。
もう一つの仕掛けは、「勢溜(せいだまり)」と呼ばれる出雲大社入り口の交差点の手前の坂道です。この坂道は8%程度の勾配があって、みぞれ雪でも降ると滑って危ない状況です。島根県はまず勢溜がいつも混雑していたので交差点を広げたいと考えました。交差点を広げれば当然、交差点に至る途中の坂道部全体も広げなければならない。建物は一斉建替えになります。そこで道路が広がった部分に階段と平場の組み合わせを入れようと考えました。沿道の方々を交えてワークショップを開いて、どの位置に階段と平場、どの位置に車の引き込み、どの位置に植栽桝を置くかといったことを話し合いました。平場を作ると建物は街路と接続しやすくなって、歩く人も滑ったりしなくなるわけです。途中にはファニチャー(石積みの植栽桝擁壁)を挿入しています。急いでいる人や車椅子の人は坂道を通りますが、ゆっくりとお店をひやかしながら歩く人は階段の方に行くというデザインです。また、平場をつくるとそれにあわせてセットバックする建物ができてくれて、さらに民地側を参道と同じ石畳にしてくれて、そこが今オープンカフェになっていたりします。
私の中では、この神門通りは出雲大社に向かう参道型の広場なのです。

 

写真(左):神門通り 写真(右):神門通り坂道部。奥にあるのが出雲大社大鳥居

姫路駅前広場

駅の北側には大手前通りという姫路城に向かうビスタ(アイストップを持つ直線的な街路景観)があります。ビスタはヨーロッパにはよくありますが日本では珍しいです。当初の計画案では既存の駅前広場や駅ビルを取り壊して、大きなサンクンガーデンをつくり、地下街と駅を結ぶ、そこまではいいのですがサンクンガーデンの上の地上部は交通広場になっていて車が常に出入りしている、そんな計画になっていました。市が提示したパースを地元の方々が見て、ちょっとそれはないでしょう、ということになりました。明治大学の小林先生に声がかかり、民間サイドから逆提案するというプロジェクトが始まりました。その後プランが姫路市に受け取られて、市のプロジェクトに変わりました。そしてデザインを小林先生が引き継ぎ、その設計チームとして私に声がかかりました。
第一にここは、世界遺産へのビスタです。文化や地域の伝統を考えてデザインをしなければいけません。何をしたかというと、まず駅前にあった車道と交通広場を駅前空間の脇に集約して、歩行者空間が駅からそのまま真っ直ぐに姫路城につながるようにしました。駅を降りると、まず眺望ゲートが出迎えてくれます。眺望ゲートの下で歩道がダイレクトにお城へ伸びていき、その横にサンクンガーデンと芝生広場がぶら下がる形です。

 

写真(左):眺望ゲート(キャッスルビュー)越しの大手前通りと姫路城 写真(右):キャッスルビューからの眺め。右手にサンクンガーデン(キャッスルガーデン)と芝生広場が連なる。

 

写真(左):眺望ゲート(キャッスルビュー) 写真(右):サンクンガーデン(キャッスルガーデン)

サンクンガーデンは、駅ビルと地下街の間の1m程度の高低差を利用して階段やスロープをつくり、これをデザインのきっかけにしていきました。このサンクンガーデンのデザインは姫路城の「予告編」と考えています。ですから素材はすべて姫路城にある石垣、鉄、漆喰、木などでできています。姫路城と同じものをつくるのではなく、期待させるデザインです。眺望ゲートも同じ考えで、素材は城門のように鉄と木で、形はモダンにデザインしています。
照明も姫路城をきれいに見せることを目的に、光源が見えない形です。広場やサンクンガーデンの照明も、なんとなく場を浮かび上がらせるような光としています。そのため今では周辺の建物の光がやたらと目立ってしまって、これはどうにかしたいなと思っているところです。

 

女川駅前広場

町が計画した案をベースとして2012年からプランナーや学識者、町長も参加してブレーンストーミングを重ねて、幹線道路の骨格まで変えるような議論もおこなって復興計画を見直し、まとめてきました。
先の震災と同じような規模の津波を想定すると、商業と業務が集まる市街地中心部には人は住むことができない。さらに高い土地を造成してそこに住むことになります。ですが、商業や業務地は、海へと延びるプロムナードを中心にできるだけコンパクトに集めて、お店はここにみんな集まって始めていこうよということになったのです。骨格になるのが海へのプロムナードですが、駅から海に向かってバロック的に軸を形成すると権威主義的になってしまって、何が町の主人公なのか分からなくなってしまいます。ですから、沿道の復興商店(テナント型商店街)とプロムナードを一緒にデザインすることを考えて、沿道のほうから公園、広場、中庭がプロムナードにまで延びてくるようなことを提案しました。沿道建物側の広場のデザインが、プロムナードに滲み出てきてどんどんプロムナードを侵食してくるようなデザインを、沿道の建築家やランドスケープアーキテクトと一緒にやりました。
この部分が完成するのはもう少し先(2015年12月)になりますが、今年の3月に「まち開き」がありました。まちとしてはまだまだ造成の途中で、やっとできたのが駅と駅前広場です。駅舎の中には温泉もあって、その前には足湯もありますが、駅前広場ができただけで他はまだ何もないです。まち開きには、長谷川さんもわざわざ来てくださって、小さな町だけど、それなりに人が集まってきてやっとスタートだねと話をしていました。

 

写真(左):女川駅と駅前広場 写真(右):駅前広場から続く海へのプロムナード

対談/長谷川浩己×小野寺康

司会者:長谷川さんのデザインは建築のリビングルームやプライベートルームでの過ごし方を外部空間にも展開させようという試みが働いているように思えます。普段話をするなかでも「居場所」という言葉をよく耳にします。小野寺さんはどのように思われましたか?

 

小野寺:長谷川さんから紹介いただいたプロジェクトのほとんどは現地で見ています。実際に長谷川さんがデザインしたところに行くと「居場所」がありますね。ここは気持ちいいよね、という場所があるんです。訪れた人が自分で見つけるような、そしてその場所を見つけた限りは自分が手に入れたような喜びがある場所が、いたるところに用意してあります。しかも押し付けがましくないのがいい。先程の話のなかでとても共感したことは、「独りでも居られる場所」という考えです。公共空間の魅力というのは、個々の人がそれぞれ自分の居場所をきちんとみつけて、それが集まったときの喜びの相乗効果があると思います。ですから、ここに座れとか、ここで遊べとか、そういった命令形ではなく、さりげなく場を用意することにいわゆる広場というもののデザインの根幹があると思っています。

 

長谷川:小野寺さんのパブリックな場での仕事がうらやましいなと思っていますが、なかなかそういう仕事の依頼はないですね。最近では、少しずつ仕事の幅が増えてきたこともあるのか、以前よりはいろんな局面で居場所という言葉を使っているかもしれません。居場所って結構センシティブな言葉で、例えば私には居場所がないと言うとメンタルな意味合いになったりするので使い方が難しいと思っています。以前、山崎亮さんとともにある企画で、居場所の研究をしている大阪大学の鈴木毅さんと対談をしたことがあります。鈴木さんも居場所というと重い印象になるので止まり木といった言葉を使っています。象設計集団が設計した埼玉県の笠原小学校は鈴木さんによると止まり木の宝庫で、いたるところにそこに居たくなる場所が用意されていて、どこかでそういう場所を探しているような空間だそうです。

 

司会者:デザインをする際、いつもどのようなことを心掛けていますか?

 

小野寺:私はいつも時間軸から考えています。実際に道後温泉や出雲大社など、歴史的な施設や遺跡をきっかけにデザインしてほしいという仕事が多いこともあって、出来上がった時には以前からこうだったねと感じてしまうように見せたいのです。設計者がデザインしたようには見せたくなくて、ずっと前からこうだったんだよ、という印象で見せたい。これは私の中では、ひとつの場に対する説得力というものなのです。時間軸に対する仕事を依頼されて、例えば道後温泉の周りに場所をつくって欲しいといったテーゼをいただいて全力を挙げて取り組むのですが、結果的には自分自身がデザインしたぞというのではなくて、道後温泉が風景の中に本来もっているポテンシャルが120パーセントで活きるようなデザインを心掛けています。出雲大社の神門通りも自分自身の中で、ものすごい「強度」でデザインしました。私は勝手に300年持つと言ってますが、デザインというものは何年か経つと変わってしまうかもしれないですよね。しかし、仮に壊れてしまっても、あるいは何かの理由で変えてしまわなければならないときも、元々あったデザインを基盤として、それを大事にしてその上にできあがっていく、そうしたデザインになればいいかなと。そういうデザインを創ることが私の役割ではないかと思っています。

 

長谷川:広場的な空間は建築家もつくるしインテリアデザイナーもつくる。私も小野寺さんもつくるし、どこかのおばちゃんもつくっているかもしれない。もしかしたら、だれもつくってない広場がたくさんあるかもしれない。私の世代ではある家が取り壊された後の空き地で遊んでいました。そうなってくると広場は誰でもつくれるわけで結構身も蓋もないけれど、プロジェクトとしてどうあらわれて出てくるかというところで、小野寺さんも小野寺さんなりに仕事がきたときどのような態度で取り組むかを考えている。もちろん私も考えているわけですね。
私の中では風景は公共物なので私がデザインとして扱っているものは全て公共物なんです。最初に話をした広場と公園の対概念で考えると、100%の広場、100%の公園はないということ。この対極の間はただのゲージでしかないので、すべては広場と公園の間にあるのです。ランドスケープデザインとガーデンスケープデザインが私の中では対です。100%のランドスケープデザインもないし100%のガーデンスケープデザインもない。その中で庭はとてもインテリアに近い閉じた内部的な空間で完全にコントロールしようとする意思が働いている。公共の空間はいろんなものが渦巻いていてコントロールできないものが多い。自身ではどうしようもできないことが存在していることが前提となりながら、そこにどう取り組むか、どう利用するかという視点をもたないといけない。そうしたなかに広場は生まれると感じでいます。つまり、コントロールされきった空間に広場はないし、そんな広場はつまらないと思います。

 

小野寺:長谷川さんは星野リゾートのプロジェクト等で、樹木を切ってもいいのに、樹木があることを前提条件としてデッキを設けていますよね。切ろうと思えば切れるはずなのに、長谷川さんのデザインにはそこに何か強い意思を感じるんです。これは今の話と逆なのでしょうか、同じなのでしょうか? 土木でいうと、歴史的に川というのは線形から法線までつくり変えることはできる。震災復興でも地形ごと変えようとしている。だからできる、でも、それをやらないという選択肢の中でデザインをする。それもひとつの決断ですが、震災復興はそれをやらないと住めないっていうのもあるからやらざるを得ないのですが、それもまた条件かもしれない。長谷川さんの星のや軽井沢やハルニレテラスも、何か選択肢があった上での判断だと思います。少しくらいは樹木を切ったのかもしれないと思うのですが、そのあたりの話を聞かせていただきたいです。

 

長谷川:私にとって樹木を伐らないことは普通の感覚です。ひとつは合理的だと思う。デザインは理に適っていないと人にうまく説明できないし、うまく説明できないとデザインを共有できないと思います。リゾートの場合は特に大きな樹木は資産です。なぜ樹木を切って資産価値を減らさないといけないかと考えてしまいます。もし切ってしまったら新たに大きな樹木が育つまで何十年も投資しないといけないわけです。ですから、樹木を残してデザインした方が気持ちの良い場所ができて、場所の価値も上がって、もちろんケースバイケースですからこの場所で何が最も理に適っているかを考えていますが、やはり既にそこにあるものを最大限活かして上手く取り込んでデザインした方がロスは少ないので合理的な回答ではないかと思います。

 

小野寺:今日の長谷川さんのプロジェクト紹介でコレド日本橋の当初の広場を初めて見ましたが、その設計者には悪いけどあれは広場とはいえないですね。

 

長谷川:私もそう思います。たぶんですが、なぜそのようになったかというと三井不動産のなかで最初に広場をつくった時と私が関わった時とではセクションが違うということがあるかもしれない。最初の時は新築物件をつくるセクションですから、いろんな条件や制約がたくさんあったはずです。ですから広場で問題等が起こらないようにと検討されて当たり障りのない広場ができたのではないかと思います。私が関わったときはイベントを企画するためのプロポーザルなので、当初の広場では認められなかったことが意外に認められたりしました。仮設的な広場をずっとつくっている状態で、イベントの費用でイスやテーブルを置いて、数年がかりでゆっくりとイベントやっているような、もしくは一種の社会実験のようなことかもしれないわけです。
千代田区だけでも膨大な面積の公開空地がありますが、ほぼデッドスペースのようになっているのではないでしょうか。それに対して私は、三井不動産であれば空地を提供する側の三井の色をもっと出した方がいいと思うのです。その三井の色でできた場所をいいと思った人が来てくれるだけで十分ではないでしょうか。みんながと言葉にした途端にネガティブな印象の場所になってしまいます。先程紹介したハルニレ広場も好きだと思う人に来てほしいと思っています。もちろん、結果的にはそこまでいいと思わない人たちも来ると思いますけど。
コレド日本橋には動かせるイスがあって自由に移動できますが、そのイスを三井不動産に認めてもらったことは広場のデザインとしてとても良かったことです。他では認めてもらっていないですね。

 

小野寺:動かせる椅子はいいですね。ニューヨークなどではそのような空間(ブライアントパーク等)がありますね。でも土木のプロジェクトでやろうとすると、イスがチェーンでつなげられたりします。そういうところは長谷川さんが羨ましいですね。

 

長谷川:チェーンに足をひっかけてこけてしまったり、それに奴隷のようで嫌ですね。イスをどこかに持って行かれることを心配して固定式かチェーンをつけることが条件となるのですが、これに対して私はなんとか担げるくらいの重いイスをデザインしたことがあります。自分で動かせるというのは暫定的に場所を占有することで、それがとても大事だと思っています。
アメリカ留学中に、土地は誰のものかという授業があって面白かったんです。土地は誰が所有しているかと聞かれると、この土地は自分のものですといった答えになってきますが、実際にはどこでも誰のものでもいいという考えもあると思うのです。コレド日本橋もわれわれの土地だけどどうぞ使ってくださいという感じがあるし、イギリスにはオープンガーデンといって週末に個人の庭を公開するような活動があります。こうした招くという感覚をとりいれれば、日本でもいろんなところが開いてくるのではないかと思っています。
ハンバーガーチェーン店にあるような固定のイスは、ある意味でここに長く居ないで下さいというシンボルですよね。それに対して、少し動かせるということはあなたはここを好きに使っていいですよということになる。コレド日本橋では固定式のイスもたくさんあって、固定式2に対して動かせるイスは1程度の割合ですが、やはり動かせるイスが場所の表情を決めていますね。夜遅くになると警備員がイスをつみあげて持って行かれないために固定するような運用になっています。公共プロジェクトでは動かせるイスはつくれないのかな。

 

小野寺:姫路駅前広場の眺望ゲートに、いつの間にか見たこともないベンチが置かれていました。地元の協会が置いたと思うのですが、丸太を組んだようで格好悪いんです。もし山小屋にあったとしても格好悪いと思います。デザインのコントロールが効かないというのは公共事業の恐ろしさです。完全にデザインコントロールできる空間であり続けられるか、ということを私は関わっている公共事業のなかで自分自身に課しています。デザインが良ければものも置かれないし落書きもされない。地元の奉仕活動団体が時計を置きたいと言って置かれてしまうのは私のデザインがまだまだだったのではないかと自分に言い聞かせています。もちろんそうならないように役所の方とは事前にいろんな話し合いもしています。

 

長谷川:イタリア・シエナのカンポ広場などヨーロッパの広場ではテーブルやイスが置かれていますが、どう管理しているのでしょうね。

 

小野寺:ヨーロッパの古典広場も20年位前までは駐車場になっているものばかりでした。最近は、ゾーン・システムで中心市街地から通過交通を排除して、広場を街の拠点として位置づけ、リニューアルする事例がここ10年20年で急速に増えています。

 

長谷川:有名だからかもしれないけど海外の有名な広場では破綻のようなことは起きていないのではないでしょうか。時代によっては権力を誇示するような一種の圧力がかかっていたかもしれませんが、中世の広場にしても何かありようのようなものが保たれていると感じるのです。みんなが価値を認めているから変なことが起きない気がしています。日本ではそうしたコンセンサスがとれないので、いろんなことがちぐはぐしてしまうけど結局許容していくのが日本の状況だと思います。

 

小野寺:ヨーロッパでのパブリックの概念は市民側が持っている意識です。建物のファサードはパブリックなので、あなたのベランダに飾ってある花が最近枯れているわよって言っても良いとされています。日本の場合、パブリックは公共施設であって、それは役所や組織が管理することになっているので市民のみんなが管理しているという意識が薄いのです。だから、ある人がこういうものが置きたいと言ったときに何かおかしいよねと対抗しにくいですね。市民レベルでパブリックについて意識をしっかりと持っていれば何故あんなもの置いたんだという話にもなるのだろうと思っています。

 

長谷川:アメリカの住宅地では家の前の芝を刈らないと通報されます。アメリカとヨーロッパは考えが近いと思います。齋藤純一の『公共性』という本に、オフィシャル(国家に関係する公的なもの)、コモン(特定の誰かにではなく、すべての人に関係共通するもの)、オープン(誰に対しても開かれているもの)という言葉は全て意味が違うのに「公共」と訳されていて、いろんな考えが入り交じっている状態になっていることが書かれています。日本の場合、公共=オフィシャルになっていて、自治体が管理してくれるから、落ち葉があったら役所に電話して清掃してもらうことになりますが、アメリカやヨーロッパだとコモンという感覚になるんです。私は『公共性』という本を読んでから、オフィシャル、コモン、オープンのなかでどのあたりの話をしているかを考えなくてはいけないと思っています。オープンと捉えると開かれているから何をやっても良いようなことになるし、オフィシャルと捉えると公共管理しているから文句は言えるけどやるなと言われたらボール遊びもバーベキューもできないといったことになっていきます。この入り交じった解釈が日本の公共空間を使いづらくしていると思っていて、私はイギリスのコモンでもなく使う人その当事者のもののような感覚になれば面白いのではないかと思っています。公開空地はオフィシャルから逃れていることもあるので本当はもっと面白くできるはずです。

 

司会者:小野寺さんの著書『広場のデザイン』ではカミロ・ジッテが著した『広場の造形』の優れた広場の五原則を引用しながら「にぎわいの五原則」を提唱されています。とはいえ西洋の古典的な広場と日本の広場では異なることが多すぎて難しさもあると思うのですが、どのように解釈しながら具体のプロジェクトを進めているのでしょうか?

 

小野寺:広場のように、都市のなかで居場所を見つけて暮らすというのは端的に素敵だなぁと思っていて日本の街にも絶対必要と思うのですが、ただ直輸入してもダメだというのは直感的に理解していました。日本には昔から広場はないけれど、参道的な「みち」空間で暮らすという文化があって、私はこの文化的センスを意図的に空間に置き換えるようにデザインしています。そういうデザインは理詰めで組み立ててもなかなかできるものではなくて、どこかで一発「飛んで」いかないと自分が思うデザインにまでは到達できないのですが、そこに行くまではとても苦しいんです。私は天才肌ではないので、スケッチや図面を描いては潰し、描いては潰し、そして飛ぶ瞬間を待っています。ロジックも考えるけどセンスも大切で、どこかでロジックとセンスが融合するのを待っているところがあります。長谷川さんはどうですか?

 

長谷川:私はひとりで考えていると煮詰まってしまうので、打合せをして論点をまとめて、またボーっと考える、この繰り返しです。最近はデザインでやろうとしていることを相手と共有することが先ず大事だと思っていて、説明する言葉を重視して考えています。

 

小野寺:言葉のセンスは本当に大切です。長谷川さんのプロジェクト紹介での、ホテルのラウンジという言葉はとてもわかりやすいです。

 

長谷川:広場はセットです。横にカフェや建物が舞台のセットのように存在している方がより魅力的にデザインできると感じています。また、そのセット側の民間側から公共空間をつくるほうがいろんな意思決定をすることができるとも感じています。現在は昔に比べると駅前広場などをデザインしようとすると周辺が更地になっていてセットの相手がいない。セットは私の職を超えたようなところで、こうしたセットと良いチームをつくらないとなかなか課題は解けないし、提案にもっていけない。いろんなコマが揃わないと動いていけないわけで、魅力的な空間になるためには私だけの力で実現することは無理なんです。釜石の大町広場では、広場とお店のデザインとの連続性を考えるために共同店舗に出店する方といろんな状況を想定しながら意思の疎通を図りました。
ハルニレテラスは星野リゾートといういちクライアントと直接細かな議論をしますし長年のおつきあいがありますから言葉で伝えるということは少し楽ではあります。
公共プロジェクトでは、こういうことが出来たらいいよねと担当レベルで共有することはできますが、それを彼らの言葉で上司に伝えることが難しいわけです。言葉でしくじってしまうとプロジェクトは前に進まないんです。また、その言葉とできあがる空間によってみんな喜びますという確信に達しているかどうかは公共の場合にはセットが切れている場合があって、そこをなんとかしないといけないと考えています。

 

小野寺:チーム編成は重要です。女川の復興商店では、建築家の東 利恵さんがいて、そこにランドスケープアーキテクト(PLAT designの松尾剛志さん)も参加していて、都市設計側の私も含めて同時に設計するという大変珍しいプロジェクトです。出雲の神門通りも同じようなことが起きましたが、女川ではそれがさらに進んでいて他の建築家やデザイナーと相互のデザインを直接調整することができました。私は民間側と公共側が一体となって考えるとこんなに面白いまちができるという事例になるのではないかと期待していて、こうした事例によって建築側からパブリックに何かを働きかけることが増えたり、まちをもっと面白く変えていこうという動きになってくれるのではないかと思っています。

 

長谷川:なんだか建築とか土木とかランドスケープといった分野の壁は邪魔ですね。そこに来る人は建築とランドスケープの空間なんて分けていないわけです。行きたいところに行くし、行きたくないところには行かないし、雨が降ったら建物の中に入って、晴れたら外に出て行く、そういう単純なことなのに何故超えがたい壁ができてしまうのかと不思議に思います。合理的でないし、理にかなっていない。バラバラにつくったら面白くない。みんなで作ったほうが楽しいし、いいものができます。やったひとはわかるんです。だんだんとこうなるように変えていかないといけないですね。

 

(2015年7月8日(水)18:30〜20:30/アーツ千代田3331にて 文責:EA協会機関誌編集部)