SPECIAL ISSUE/ all

2012.05.10

地区の将来をデザインする

植村 幸治(宮崎県日向土木事務所)

はじまり

上崎橋は、国道218号と対岸の上崎地区を結ぶために計画された林道橋で、五ヶ瀬川沿いの国道218号を延岡市から約1時間上った北方町(現在は延岡市)にある。上崎地区は人口79人、世帯数27戸、小学生はわずか2名(当時)の過疎化、高齢化が極めて深刻な集落である。集落から国道まで出るのに約15分掛かっていたものが、橋ができることによって、わずか5分程に短縮されることから、住民にとっては悲願の橋であり、まさに上崎地区のための橋である。

私は、平成16年4月に延岡市にある東臼杵農林振興局の林道係に異動になった。異動早々に行われた引き継ぎで上崎橋のことを聞いたときは、「この場所にこんな橋が必要か?」と正直思った。しかし、次第に「このままでは橋ができても数年後に人がいなくなる。今のうちに何とかしなければ。」と強く思うようになった。4月の歓迎会の席で“上崎地区を盛り上げる仕掛け”の必要性について上崎橋を担当する梶原さんに持ちかけたところ、すぐに意気投合した。この時、現場は既に両岸の橋台を施工中で、上部工の発注も終わっていた。「これからできることは限られているかも知れません。しかし決して遅くありません。地元の人たちを橋づくりに巻き込みましょう。南雲さんに協力してもらいましょう。」と宴会の席で熱く語った。

この年の3月まで、私は油津港湾事務所で堀川運河の整備を担当していた。南雲さんとはここで一緒に仕事をさせてもらった。地域と協働で“ものづくり”を進めるやり方を存分に経験させてもらった。さらに、油津の兄貴分にあたる日向市での南雲さん達の取り組みは外から見ていて刺激的で羨ましかった。地域の産業を担う大人達や地域の将来を担う小学生達にまちづくりに参加してもらい、真剣に地域の将来を考えていた。徹底的に地域に入り込むやり方は、地域の人たちを勇気づけ、そして何よりも本気にさせる。淡々と事業の進捗のみを重視する今の公共事業に一番不足していることではないかと思った。

 

動き出したプロジェクト

地区の人たちに“住民参加の橋づくり”を提案するまで、約1年かかった。初めの3ヶ月は上司や本庁の理解を得るのに要したが、最終的には根負けして予算を認めてくれた。ようやく、プロジェクトが動き始めた。高欄、照明、親柱のデザイン設計と橋梁の色決めを南雲さんにお願いした。特に高欄と親柱については、地区と橋をつなぐアイテムとして木材を使うことにした。宮崎は、平成3年からスギ生産量日本一(現在も更新中)を誇り、林道橋でスギを使うことには誰も反対しなかった。もちろん日向、油津でスギを利用したまちづくりに関わる南雲さんは快く引き受けてくれた。

役所の仕事は何かと時間と手間がかかる。南雲さんに高欄や照明のデザイン案を考えてもらい、それを本庁に協議して了解をもらってから地区に示す必要がある。ようやく平成17年3月末にプロジェクトを地区の人たちに提案できた。6月末には南雲さんにも参加してもらい、木材を使った高欄や親柱のデザイン案を地区の人たちに示した。そして、木材は地区のスギを提供してもらい、伐採から取り付けまでのプロセスを共有するワークショップを行い、完成後の維持管理も地区のイベントとして取り組むことを提案した。徐々に地区の人たちも我々の提案に理解を示し始め、スギを提供してくれる山主も現れた。

 

地区を変えた二つの提案

プロジェクトの中で、南雲さんから二つの提案がなされた。いずれも地区の人たちに大きな変化をもたらし、地区の将来を占う効果的なものだった。

一つ目は、木材の伐採、集材から高欄手摺の取り付けまでのワークショップに大学生を巻き込もうというものだった。孤立した小さな集落であるが故にまとまりは良かったが、一方で新たなものを受け入れ、交流を広げることは苦手だった。地区の人たちはあまり積極的ではなかったが、こちらで地元の九州保健福祉大学に協力依頼し、参加してもらうことにした。12月の伐採作業から学生15名が参加した。効果はてき面だった。寡黙な地区の年長者達がみるみるうちに生き生きとしてきた。木を倒す方向の見極め方、チェーンソーの使い方など、経験したことのない我々や学生達にとって、地下足袋を履いて颯爽と木々の間を歩く山師達は、何とも頼りがいがあってかっこよかった。地区の年長者達が自信と輝きを取り戻した瞬間だった。

 

写真-1 学生と山師の協働

 

二つ目は、開通イベントをしようというものだった。前年9月の台風14号で町内を横断する高千穂鉄道(TR)の鉄橋が2か所流失し、これがきっかけでTRは後に廃止に追い込まれた。開通イベントは、橋の直下を通る廃止直前のTRにトロッコを走らせ、駅舎をリニューアルし、高欄手摺の取り付けをみんなで行い、橋の完成と地区をアピールし元気づけようというものだった。しかし、これには地区の年長者達が猛反発した。悲願だった上崎橋は、彼らの長年にわたる陳情活動の賜物だった。国や県の関係者、国会議員や県会議員など、色んな人たちに頭を下げつづけてきた。長い苦労の末にようやく橋が完成しようとしている。祭りのようなイベントではなく、来賓を招待し、親子3代で渡り初めをするオフィシャルな開通式を望んでいたのだ。地区の若者達はイベントに理解を示してくれたが、年長者達の苦労も十分に理解していた。随分議論を重ねた結果、オフィシャルな開通式を正とし、イベントは若者達中心で開通式の前々日に実施することにした。イベントのために若者達は“ふるさとづくり推進協議会”をつくった。イベントは、橋の完成を機に地区の主役を年長者達から将来を託す若者

達へのバトンタッチの儀式となった。

 

写真-2 開通式での鋏入れ式

 

写真-3 高欄手摺の取り付けイベント

 

写真-4 トロッコで楽しむ地区の人たち

 

橋の完成からまもなく6年が経とうとしている。毎年11月には地区の人たちで橋の清掃を行い、橋の見える河川敷に菜の花の種をまく。そして、3月末には“上崎菜の花祭り”を地区主催で開催する。決して派手ではないが、地区の人たちは続けることの大切さを知っている。もちろん“ふるさとづくり推進協議会”が中心となって活動している。

南雲さんは、橋ではなく地区の将来をデザインしたのだと思う。

 

写真-5 今年の“上崎菜の花祭り”の様子

モノづくりから始める地域づくり-南雲勝志の方法

植村 幸治Koji Uemura

宮崎県日向土木事務所

1969年生まれ。
宮崎県出身。
熊本大学土木環境工学科卒業後、宮崎県に入庁。
日南市油津堀川運河、延岡市北方町上崎橋などを担当。

SPECIAL ISSUE

モノづくりから始める地域づくり-南雲勝志の方法

2012.05.10

地区の将来をデザインする