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2013.04.01

01-1|ヨシモトポール北村仁司氏(前編)

吉谷 崇((株)設計領域|EA協会)

「ものづくりの声」連載開始にあたって

ものづくりの最終局面を担う、メーカーという存在。舗装、照明、ベンチ、高欄、シェルターなど、周りをよく目を凝らしてみれば、風景の中で彼らの作り出すものがしめる部分は決して少なくないことに気づく。いわば、エンジニアやアーキテクトによるデザインや思想を、人々の手に触れられる実体とするのが彼らの仕事である。

しかし現実には、このようなメーカーの直接の声に触れる機会は、我々設計者を除いてはなかなか少ないのでは無いだろうか。ものづくりの最前線に立っているメーカーの、ものづくり・風景づくりに対するポリシー、あるいは彼らがエンジニア・アーキテクトに求めているものは何か。新企画「ものづくりの声 -Maker’s Voice-」では、これまでエンジニア・アーキテクトとのコラボレーションによるものづくりを担ってきた作り手(Maker)のリアルな姿や声を、協会会員との対談形式でお届けしたい。そこから、これからのまちや風景づくりに必要な、手触りの感じられるものづくりのヒントが見えてくるはずである。

 

第1回目は、株式会社ヨシモトポールの北村仁司氏をお迎えした。

ヨシモトポールは日向市駅前広場、松山市道後温泉広場、勝山市大清水、東京駅前丸の内行幸通りなどにおいて、エンジニア・アーキテクトとのコラボレーションによる数々の製品製作を手がける一方、全国各地で照明、高欄、サインなどの製品開発・製作から農業生産システムの開発まで、人々の暮らしを支えるインフラストラクチャー全般に携わる企業である。

北村氏はそのヨシモトポールの中で、エンジニアとして製品設計を担っている。メーカーという立場からみた風景づくりへの想い、自らを変えたデザイナーとの出会い、そして自らものづくりの集大成と語る東京駅前行幸通り照明柱の開発までを語って頂いた。

(聞き手:吉谷崇|設計領域・EA協会)

 

 

北村仁司氏
昭和44年、8月生まれ。昭和63年、株式会社ヨシモトポール入社。

東京駅前丸の内行幸通り照明柱をはじめとする、数々のデザインポール、ファニチャーの設計、製作を手がける。

 

 

仕事への入口

EA:最初に、この業界に入ったきっかけというか、経緯を教えて頂けますか。

 

北村:僕が業界に入った経緯は、たまたまですね(笑)。最初から別にこういう仕事がやりたかったわけでもないですし、地元の群馬の先輩が行っていたというのもあって。就職の時期にその先輩とたまたま会って、という感じです。

 

EA:入られたのは、何年ぐらいですか。

 

北村:昭和63年度入社です。最初の1年は工場にいて、2年目から本社の設計部隊の人が足らないということで、若いのを工場から行かせようというので、僕が行きました。何人か声がかかったんですが、みんな断ったんですよ。ちょうどそのころって、学校を卒業して、車の免許も取って、車も買ってというときだから、意外と地元を離れたくない派が多いんです。僕はなんとなく、東京だったら行ってみようかなというのもあって、そこから設計の仕事を。

 

ヨシモトポール群馬工場
資材調達、鋼材加工、表面処理等の工程から、照明実験などの最終チェック、納品まで行われる。

EA:最初は設計をやるつもりではなかったんですね。会社に対してはどういうイメージをもっていましたか?

 

北村:そのころは、とにかく電柱を作っていたころなので、電柱がいつも山積みになっている会社という感じでしたね。実際、僕は1年目、コンクリートの品質管理課みたいなところにいて、入ってくる砂利の検査とか、砂の検査とか、そういう品質管理系のことをやっていました。ただもう今は全然、実績としては電柱は減ってますけどね。

 

EA:北村さんは、シェルターや照明柱など、メーカーの中ではデザインマインドを理解して広い視野で構造を考えることの出来る珍しい人だという印象があります。実は、メーカーの中でもそういう人はあまりいらっしゃらないですよね。

 

北村:そうですね。

 

EA:そういうふうになっていった経緯、きっかけのようなものはあるのでしょうか?

 

北村:僕の場合、やはり南雲勝志さんとの仕事がきっかけでしょうね。僕が設計に転勤してきて、2〜3年したとき、南雲さんが皇居の周りの照明柱をデザインして、ヨシモトポールがそれを作った。生まれて初めて出会うデザイナーだったんですよ。その出会いは大きかった。

その時は、僕は端っこのほうで議事録みたいなものを書く係だったんですけど、南雲さんと当時の担当者のやり取りを聞いていて、自分の会社での設計という役割が何となく分かった気がした。ああ、あそこで、あの人と打合せをすべき役割の人間だったんだなって。

やっぱりデザイナーのものの言い方というか、、、言葉づかいがどうこうじゃなくて、気持ちというか、表現するものがすごく新鮮だった。その1日は本当に劇的だったですね。

 

EA:運命的ですね。

 

皇居周辺道路 車道照明(左)、歩道照明(右)
デザイン:南雲勝志  製作:(株)ヨシモトポール

 

北村:当時、うちの会社もデザイン分野に挑戦し始めた時期だったので、結構前向きに、じゃあこうしないか、ああしないかという提案をしていました。それについて、南雲さんとかは駄目なものはバッサリ、もう切ないぐらいまでにバッサリと言うんですよ(笑)。だけど、それが聞いていてとても心地良かったというか、ああ、分かりやすいじゃないかと。

気を使って、「それはちょっと」って言われるよりも、「駄目」ってゼロにしてもらったほうが、また違う発想が出ますよね。ああいう中で自分もやりたいと、とにかく思いましたね。

 

EA:そこから一緒に仕事が始まったのですか?

 

北村:いいえ、その出会いのあと、2年間はずっと標準品の計算書づくり、図面づくりをひたすらやっていました。毎日毎日、朝から晩まで書いている。パソコンもなかったので、図面も手書きだし、計算書も手書き。実はそのとき、本当に合わない仕事に来ちゃったなーという感じだったんですよね(笑)。

 

EA:図面を書くこと自体が、ただただ楽しいという感じでもなく、、、

 

北村:全然なかったですね。ただ、今思えば、その図面がいかにものづくりにおいて大事なものかということも一切理解していなかったんです。

 

EA:そこはとても大事なところですよね。要は、自分のやっている仕事がどう外に出ていって、実際にどういうふうに風景の中で立っているかということが分からなかった。

 

北村:全然分からなかったですね。だから、どういうふうに自分の仕事が人とかかわっていくのか、税金がどういうふうに使われていく中で、自分がどこに入っているのかというのも全然分からなかったですね。とにかく、まだまだ仕事ができない頃だったから怒られはするんですけど(笑)、怒られたことを直すっていう繰り返しで。きちっとした目標とか、どこにどのように作るとかのイメージも、もう、全然なかったですね。

 

EA:そういう意味では南雲さんと出会って、大きな流れの中で、自分の役割、ポジションがはじめて見えたということですね。何か、世界との回路が開かれたとでもいうような。

 

北村:南雲さんはデザインのプロですよね。でも、デザインのプロはデザインのプロであって、ものは実際に作らないじゃないですか。そのプロに対して、こっちはものづくりのプロとして意見をしながら、一つ何かできていくという、その中に加わることが、自分の目標になっていきました。

 

 

EA:南雲さんというデザイナーと出会ったことで外界とのつながりを見つけたというのは、とても象徴的な話だと思います。実際、土木のエンジニアの中にもかつての北村さんと同じような状況にあるひとはいるというか、むしろ大多数なのかもしれません。

ただ、そこから変わる、脱するというのは、出会いはきっかけとして重要だったと思いますが、やはり自分の中から内発するものがないとなかなかそうはならないと思います。北村さんの場合はいかがですか?

 

北村:自分の場合は、デザイナーとものを作って行くという目標が出来てから、やはり個人的にも勉強を始めたんです。建築の本も読んだし、建築士の勉強もしてみた。自動車の設計の本を読んだりとか、それこそ本田宗一郎の本を読んだりとか。技術ってどういうことか、ものづくりってどういうことかということを考える中で、いろんな分野の本を読んだりしました。

 

EA:ものづくりというものの自分のプロフェッションを探すために、いろんなヒントをもらうという過程が必要だったということですね。

 

「出来ない」と言わない

EA:先ほども少し話に出ましたが、当然デザインするほうは「こうしたい」というのがある。メーカーの方で「それは出来ない」と言っても、デザイナーはそれを乗り越えてこようとするじゃないですか。その結果、良いものが生まれてくることは多々あるわけですが、メーカーの立場からその辺りの感覚についてはいかがですか。

 

北村:僕がはっきりと自分に言い聞かせているのは、最初、デザイナーから何か言われたときに、「それはできません」という言葉を絶対言わないでおこうということなんです。それを言った時点で、バッサリ何かが終わるというか、もしかしたら新しいデザインもそこで闇に葬られてしまうこともある。

 

もともと構造計算とかをしていると、数字で結果が見えるので、どんどん保守的になって、少しひと回り太くしておこうとか、厚くしておこうとかいうことになりがちです。気づいてみたら、5年前にやったものよりも今の方がすごく太くなっているとか、厚くなっているとかいうことがよくある。昔の製品を見ると、あれで結構やれていたんだな、と思うことは多いですね。

 

本当にいろいろ考えたうえで、物理的にできないことは、それはできないのですけど、、、。だけどその物理的なことすら、この時代、また違う物理的なことで可能になることもたくさんあって。世の中の技術を全部、僕らが使い切っているかといったら、全然使い切ってない。ほんのちょっとです。そういうちょっとしか関わっていない人間が「できません」と言っちゃうと、こんなに可能性があるのに、バッサリそこで終わっちゃう。だから、特にデザイナーの人とやるときには、とにかく「できない」ということをまず言わないようにというのは心に決めています。

 

EA:そうすると、いろいろ検討した上で本当に「やっぱり出来ない」と分かったときは結構苦しいでしょうね。逆に、そこまでの思いを持った上で「やっぱり出来ない」と言われれば、デザイナーもじゃあ違う方法を探そう、ってなる。

 

北村:だからそのときの「できません」は、本当に確固たる「できません」でなければならないというか、、、。例えば南雲さんなんかは、例えばの話、「できません」と言うと、「じゃあ、日本全国どこででもできないんですか?」と、言葉としてはそう来たりする(笑)。だから、「できない」というときは、「南雲さん、本当に日本全国どこでもできないと思います!」と言えるぐらいにならないといけない。

 

EA:そのためには、日本にいまどういった技術があるのかとか、そういったレベルでものづくりを知らなければならない。例えば鋳物の技術にしても、そもそもヨシモトポールでやっていたものではないですよね。そういった技術も、デザイナーとのコラボレーションをやっていくうちに学んでいかなければならない。

 

北村:鋳物、あるいは木材もそうですけど、うちの会社の名前で扱う以上、覚える必要に迫られる。特に鋳物なんていうのは本当に、とにかくいろんなことを覚えておかないといけません。「その形は鋳物では無理ですね」とか、言うには簡単でよく聞く言葉ではあるのですけど、意外とそれは工夫したらできたりとかということもよく目の当たりにしましたからね。鋳物などは全国的に見て、最近ではもう数も減ってきてしまっているのですが、その廃れてきた材料に非常に耐久性があったり、朽ち果てない性質を持っていたりする。最近、われわれの製品に対しても50年とか、100年とかいうことが言われはじめているので、やっぱりそれはそれなりに本当に根拠のある材料じゃないと、そういう時間もたないですよね。

 

日向「杉あかり」
デザイン:南雲勝志  製作:(株)ヨシモトポール
地場産の杉材、鋳鉄といった、異なる素材を一つの形にまとめる。

制度のこと

北村:実は最近、僕がよく考えるのは、制度のことなんです。発注制度とか。

 

EA:この前の第2回EAAトークライブにも来て頂きましたよね(※)。第1回の交通のときもそうでしたが、ついつい仕組みや制度、政治の話になってしまいがちというか、どうしても切り離せない。まあ出来るだけそういう嘆き節はやめようと、常々話しているのですが。

 

(※)第2回EAAトークライブ「橋梁デザインのゆくえ」/2013年1月25日開催

https://www.engineer-architect.jp/specialissue/cate/eaaトークライブvol-2/1042/

 

 

北村:よく聞く話ですよね。縦割りだからとか、仕事がぶつ切りで次の行程にはかかわらない人がここにいるだの何だのという。それは僕らの業界ももちろん同じ状況があったりします。

 

ただ、じゃあもし仮に次の4月から制度がものすごく整ったとして、そうしたら4月から作られるものが全部、いいものになるかと言ったら、絶対そんなことはないと思うんです。言い方がちょっとおかしいかもしれませんが、結局は個人の話、性格とか情熱の問題なのではないのかなと。あのトークライブで、大日本コンサルタントの高揚さんが「やる人はいつだってやっていた」と言っていました。昔も今も、いいものを作ろうと頑張っている人たちはいたと。その辺りは制度が整っても意外に変わらないのではないかなと思うんですよね。

 

何が言いたいのかというと、我々がやっているポールの業界についても、他のメーカーでやりたいというところもあれば、とてもじゃないけど勘弁という会社もたくさんある。そこまで大変なことをやったところで、膨大な利益があるわけではないし、単純にお金だけみれば、、、まあそういうことです。だから、制度が整ったって、そういう人たちは結局やらないですよね。だから、実はむしろ制度を整えることよりも、整った後どうするのかなって。そういうことを考えています。

 

EA:確かに、いまだに制度が足かせになっている部分もあるかもしれませんが、昔に比べればそれこそいろいろな前例も出来てきているし、状況は良くなっているはずです。でも、実際のところ、やる人というのはそういうハードルも逆手にとってやってしまうというところがある。制度が整っていないことを、力に変えてしまうというところもあるのかもしれません。

 

メーカーがデザインに挑戦することの意味

EA:ポールとかファニチャー類の製品って、基本的にデザイナーは「これじゃなきゃだめだ」という考えでデザインをやるわけですが、公共事業では常にハードルがありますよね。同等品と言ったりしますが、基本的に設計段階では代替可能な標準品であることを求められる。公平性やメンテナンスの観点から、原則として、誰でもどこでも手に入ることを求められるので、特注品はそれだけではじかれてしまう。ただでさえ苦労して作っているうえに現場に入れる苦労もあって、しかもたいてい儲からなくて(笑)、会社としてはどのようなスタンスでそのようなことを続けておられるんでしょうか。

 

北村:そういうデザイナーからの要求に応えられたり、応えられなかったり、、、応えられなくて、怒られたりとか(笑)ということを繰り返してやってきて、実はそれ以外の製品を作る技術にも貢献しているという点は確実にありますね。間違いなく、工場の加工技術は上がっている。僕らが設計する技術力もそうです。デザインに挑戦して学習したことをこっちでパッと違う製品に投入できる。だから、この物件でいくら利益があったとか、そういうことも会社は当然考えますけど、そういう金銭だけじゃない利益は間違いなくあります。

 

EA:やはりそれは会社に理解があるということですよね。会社によっては必ずしもそういう考え方は取れない。実際には既製品を扱って売っているほうが割がいいし、コントロールしやすいじゃないですか。そういう意味では、やはり門司港や皇居周りの照明から始めた、イノベーションをしてきた自負のようなものが会社の誇りとしてはあるということでしょうね。

 

北村:そういう自負はありますよね。確かに、実際は大多数の売り上げの規模は標準品の方なので。割合としては、デザインものなんていうのは、少しあるといった程度の規模です。もちろん、メーカーである以上、標準品は大事にしています。結局、標準品をやるのに培ってきた技術が、デザインものにも入るし、デザインもので新しく覚えた技術が標準品にも入るしということで。だからいくらもうかったからやるべきだとか、利益が薄いからやめるべきだというのは、短絡しているにはしていますよね。

 

EA:あとはそれがいい成果として、外へ出ていけば、宣伝という話もあるし。

 

北村:それはもちろんあります。

 

EA:とにかく全力を尽くすことが大事ということですね。

 

北村:うちの会社はそういうふうにやらせてくれる、もともとそういう風土はあります。そういえば篠原修先生が本に書いたりしていることのなかに、メーカーのエンジニアが嫌な顔をするときはどういうときか、という五箇条というのがありました。メーカーの技術者が打ち合わせ中、「えっ」という顔をするのは、自分に能力がないときと、やりたいけど会社が許してくれないときだと。まさに本当にそういうところだと思います。うちの会社は第一は会社が許してくれる。やろうとすることを許してくれる。そうすると、個人としてもそれをやりたいと思うようになる。会社が許してくれても、担当の人間として僕がやりたいと思わなければ、当然良い形にはならないでしょうからね。

(後編へ続く)

 

 

 

※次回の後編では、自らのターニングポイントになったと語る新宿通り車道照明、そして行幸通り照明柱の製作にあたってのメーカー同士のコラボレーションについて語って頂きます。

ものづくりの声

吉谷 崇Takashi Yoshitani

(株)設計領域|EA協会

資格:

技術士(建設部門)

 

略歴:

1978年 兵庫県西宮市生まれ

2000年 東京大学工学部土木工学科卒業

2002年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻修士課程 修了

2002年 (有)小野寺康都市設計事務所 勤務

2009年 (株)設計領域 設立

 

組織:

(株)設計領域

代表取締役 新堀 大祐

代表取締役 吉谷 崇

〒107-0062 東京都港区南青山3丁目4-7 第7SYビル6階

TEL:03-5413-3740

FAX:03-5413-3741

HP:http://s-sr.jp/

 

業務内容:

・土木、建築、造園に関わる設計及び監理

・地域、都市計画に関する調査、研究及び計画立案

・都市デザイン、景観設計に関する調査、研究及び計画立案

・インテリア、家具の企画、設計及び販売

・公園遊具、路上施設等の企画、設計及び販売

・広告、宣伝に関わる企画、編集及び制作

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・前各号に付帯する一切の事業

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