SERIAL/ all

2012.08.10

01|車輪の下

篠原 修(GSデザイン会議|EA協会 会長)

この一冊と言われても、この一冊は無数にあるので困惑する。仕方がない、今回は最も若かった時の一冊を採り上げる。それはヘルマン・ヘッセの「車輪の下」となる。昭和33(1958)年4月、僕は東京教育大学付属駒場中学校に入学した(現、筑波大学付属駒場中学校)。小学校時代を過ごした川崎市内には、いわゆる有名進学校がないので、親と6年の担任の先生が中学受験を勧めたのである。しばらくして中学受験の疲労が出た為か、或いは東横線の新丸子から渋谷を経由して、井の頭線の駒場駅までの満員の電車通学が堪えたのか、盲腸炎になってしまった。中学校の時は背も前から数えた方が早く、ややひ弱な生徒なのであった。近所の藪医者は何日も熱が下がらないのにも拘らず、単なる風邪であるという診断で、盲腸炎は完全にこじれ、手術の為に入院した時は、既に手遅れに近かった。後で聞いた話によると、軍医上がりのその医者は僕の腹を開いた処で一服し、さあどうするかと思案したそうである。考えてみれば酷い話ではある。この時の手術が失敗していたら、まさか死ぬ事はなかったにせよ、僕の人生は変わっていたかもしれない。やっぱり運というものはあるのだろうと思わざるを得ない。

入院している所に、「テルちゃん」が見舞いに来てくれた。中学に入って英語の勉強が始まり、僕は英語の家庭教師についていた。その英語の先生がテルちゃんであった。テルちゃんは僕の家の斜め後ろにあった平井さんの奥さんの甥で、当時早稲田の文学部か政経の学生だった。7、8才上だったのだろうか。田舎は平井さんの奥さんと、当たり前だが同じで、大分県の杵築だった。時々遊びに来ていて、そんならテルちゃんに習えばいいだろう、という事になったのだと思う。テルちゃんは英語は勿論の事、運動神経も抜群だった。何故そんな事を憶えているかと言うと、家の近くの中学校のグランドでよく草野球をやったからで、テルちゃんは走るのも早く、キャッチングは見事だった。テルちゃんは早稲田の文学部か政経で一番だったそうで、俺位の人間が一番になるようでは、早稲田もたいしたことはないなと嘆いたと言う。卒業後、外資系のエッソスタンダードに入り、最後には日本支社の社長になっている。

そのテルちゃんが見舞いに持って来てくれた本が、ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」だった。恐らく新潮文庫ではなかったかと思う。車輪の下は、ドイツお得意のBildungs Romannで、少年から青年へ移行する思春期の男の友情や競争、異性への憧れなどをテーマとするもので、これらの葛藤をつうじて成長していく人間を描いたものである。これは中学生になったばかりの僕には、些か手ごわかった。筋はあらかた忘れてしまったが、始めて読む本格的な小説には違いなかった。読書に目覚めたのである。

以来、小説を読む事は僕の習い症となって今日に至るのである。新丸子の駅の近くの「明朗書房」にはお世話になった。親子でやっているいい本屋だったがいまはもうない。ただし、最初はもっぱら石坂洋次郎もので、若い諸君には分からないだろうが、何回も映画化された「青い山脈」やこれも裕次郎の映画にもなった「陽の当たる坂道」がある。石坂は弘前の人で、最初は女学校の先生だった。秋田県の横手の学校での体験が「青い山脈」を産んだのである。ユーモア小説をもっぱらとするが、後で知って見ると私生活では苦労を舐めた人なのであった。虚実混沌とした自伝「石中先生行状記」は東北の味がにじむいい小説である。混浴の場面もあります。もう売ってないだろうね。通学の電車の中で、家のベットに寝っころがって、のべつ幕なしに読む。明日は試験となると現実逃避で読む。お陰で近眼になり、乱視にもなった。だが、55年の今も後悔はしていない。

私の一冊

篠原 修Osamu Shinohara

GSデザイン会議|EA協会 会長

資格:
工学博士

 

略歴:
1968年 東京大学工学部土木工学科卒業

1971年 東京大学工学系研究科修士課程修了

1971年 (株)アーバン・インダストリー勤務

1975年 東京大学農学部林学科助手

1980年 建設省土木研究所研究員

1986年 東京大学農学部林学科助教授

1989年 東京大学工学部土木工学科助教授

1991年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻教授

2006年 政策研究大学院大学教授、東京大学名誉教授

 

主な受賞歴:
1986年 国立公園協会 田村賞

1990年 土木学会田中賞(森の橋・広場の橋)

1996年 土木学会田中賞(東京湾横断道路橋梁)

2000年 土木学会デザイン賞優秀賞、土木学会田中賞(阿嘉橋)

2000年 土木学会出版文化賞「土木造形家 百年の仕事-近代土木遺産を訪ねて

2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞、土木学会田中賞(新港サークルウォーク)

2002年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(阿嘉橋、JR中央線東京駅付近高

2004年 土木学会田中賞(朧大橋)

2004年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(陣ヶ下高架橋)

2004年 グッドデザイン賞 金賞(長崎・水辺の森公園)

2005年 土木学会田中賞(謙信公大橋)

2006年 土木学会出版文化賞「土木デザイン論-新たな風景の創出をめざして-

2007年 土木学会田中賞(新西海橋)

2008年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(苫田ダム空間のトータルデザイン)

2008年 土木学会田中賞(新豊橋)

2008年 ブルネル賞(JR九州 日向市駅)

2008年 日本鉄道賞ランドマークデザイン賞(JR四国 高知駅)

2009年 鉄道建築協会賞停車場建築賞(JR四国 高知駅)

2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(新豊橋)

 

主な著書:
1982年「土木景観計画」、技報堂出版

1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版

1987年「水環境の保全と再生」(共著)、山海堂

1985年「街路の景観設計」(編、共著)、技報堂出版

1991年「港の景観設計」(編、共著)、技報堂出版

1994年「橋の景観デザインを考える」(編)、技報堂出版

1994年「日本土木史」(共著)、技報堂出版

1999年「土木造形家百年の仕事」、新潮社

2003年「都市の未来」(編、共著)、日本経済新聞社

2003年「土木デザイン論」、東京大学出版会

2005年「都市の水辺をデザインする」(編、共著)

2006年「篠原修が語る日本の都市 その近代と伝統」

2007年「ものをつくり、まちをつくる」(編、共著)

2008年「ピカソを超える者はー景観工学の誕生と鈴木忠義」、技報堂出版

 

組織:
GSデザイン会議

東京都文京区本郷6-16-3 幸伸ビル2F

TEL:03-5805-5578

FAX:03-5805-5579

HP:http://www.groundscape.jp/

SPECIAL ISSUE

2017年 新年のご挨拶

2017.01.04

世を変えられる、とまでは言わないが、世は変わる
2016年 新年のご挨拶

2016.01.31

自然の偉大さ
2015年 新年のご挨拶

2015.01.13

エンジニア・アーキテクトで土木を立て直そう
2014年 新年のご挨拶

2014.01.16

「防災」には「景観」が不可欠の相方である
2013年 新年のご挨拶

2013.01.17

新年のご挨拶
re-edit 遅い交通がまちを変える

2012.08.29

都市交通の再びの多様化、分離と混合の政策
モノづくりから始める地域づくり-南雲勝志の方法

2012.05.10

南雲さんとの出会いの頃
震災特別号

2012.04.30

郷土の誇りとなる公共のデザインを
―復旧、復興担当者に望む―
復興元年を迎えて

2012.04.10

これから本格化する復興デザインに向けて
その3:まち作りのヴィジョン
復興元年を迎えて

2012.04.10

これから本格化する復興デザインに向けて
その2:防災の自治意識について
復興元年を迎えて

2012.04.10

これから本格化する復興デザインに向けて
その1:復興に使用する材料
2012年 新年のご挨拶

2012.01.03

年頭のご挨拶、平成24年
復興に向けて大切なこと

2011.11.03

人間生活圏再生に関する生態学的考察
祝!平泉、世界遺産登録決定!

2011.09.03

平泉の何を守るのか
公共事業のプロポーザル方式を問う

2011.05.01

プロポーザルの評価を考える
公共事業のプロポーザル方式を問う

2011.05.01

プロポーザルで選ぶ設計者とアフターケア
エンジニア・アーキテクト協会、始動。

2011.04.01

エンジニア・アーキテクト協会創立にあたって

SERIAL

私の一冊

2012.08.10

01|車輪の下

NEWS

WORKS

shinohara