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2013.05.20

01-2|ヨシモトポール北村仁司氏(後編)

吉谷 崇((株)設計領域|EA協会)

風景を作る「ものづくり」に携わる作り手(メーカー)の生の声を聞く「ものづくりの声」。第一回目は株式会社ヨシモトポールで設計に携わる北村仁司氏をお迎えし、前編では氏がデザインポールの設計に携わるまでの経緯から、メーカーとしてデザインに挑戦するスタンスまで、幅広く語って頂いた。

https://www.engineer-architect.jp/serial/kaiin/吉谷-崇/1587/
後編では氏にとってのターニングポイントとしての新宿通り照明、そして「ものづくりの集大成」とも言える行幸通りの照明柱の製作を通して、ものづくりチームのあり方、そしてメーカーがデザイナーに求めるものについてお聞きした。
(聞き手:吉谷崇|設計領域・EA協会)

 

ターニングポイントとしての新宿通り照明柱

EA:ヨシモトポールが皇居周辺道路照明を手がけたときはまだ北村さんがメインで設計を担当しているわけじゃなかったというお話でしたが、実際にはいつ頃から南雲さんと仕事をされたのでしょうか。

 

北村:皇居周辺道路の仕事のときに出会って、そこから勉強しようと思って勉強を始めて。結局、南雲さんとの仕事をメインで担当したのは、それから15年後でしたね。

 

EA:そんなに後だったんですか。

 

北村:新宿通りの照明(※)からですね。メインで担当したのは。

 

新宿通り照明柱
照明デザイン:ナグモデザイン事務所  製作:(株)ヨシモトポール

 

EA:油津運河の照明(※)等の時は、担当されていない?

 

北村:全然やってないんです。それまでは、南雲さんとも直接会っていなかったので。ただやっぱり、南雲さんがやっている仕事がずっと気にはなっていましたね。一応、南雲さんと一緒に仕事することを目指してやっていたわけで、その南雲さんにリタイアされたりとか、いなくなられても困るわけじゃないですか(笑)。だから、当時はうちの別の技術者が担当していたんですが、その人が書いた図面がプリンターから出てきているのをチラチラ(笑)、見たりはしていました。

 

日南市油津運河護岸整備
照明、ファニチャーデザイン:ナグモデザイン事務所  製作:(株)ヨシモトポール
景観設計:小野寺康都市設計事務所

EA: その新宿通りの照明ですが、プロジェクトが進んでいる当時は僕もそばで見させて頂いていましたが、正直、それまでの南雲さんのデザインからまたぐっと一段攻めてきたな、という印象でした。鋳物とスチールの取り合いの部分とか。

 

北村:そうですね。新宿通りでは、あの規模の車道照明を鋳物を使ってやることが出来たというのが、一歩大きな前進でしたね。

鋳物としての長さとか、重さとかの扱いが、あのプロジェクトで大きく前進した。あと、鋳物を構造材として使いながら、スチールの部分とちゃんとボルトとでつないでつなぐという部分。ポールって、何といっても構造物としてはかなり細いものなので、あの細い中でどうやって部材をつなぐかということはかなり検討しました。外にボコボコとつなぎ目が見えてしまったら、それはもう、駄目なわけです。ああいうデザイン、形状の中で、バチッとちゃんとひとつのピースに見えるようなつなぎ方を新宿でやれたのは、やっぱり大きかったですね。実際、出来上がったものを見ても、「どこでつないだの?」って聞かれるぐらいです。

 

新宿通り照明柱
スチールと鋳物のジョイント部分

 

EA:鋳物を照明柱の構造材として使うというのは、普通一般的にはやらないですよね。

 

北村:そうですね。ただ我々は、歩道照明であれば結構やっていました。例えば桑名や油津の照明柱も鋳物です。ただ、車道照明に鋳物を使ったのは新宿通りが初めてでした。

そういった意味からも、新宿通りの照明柱はこれまでで一番印象に残っている仕事かも知れません。個人的にやっと南雲さんの仕事に関われた、というのも当然ありますけど、その以前とそのあとで、我々のものづくりにおけるターニングポイントになっていると思います。僕ら作り手チームもそうだし、南雲さんのデザインも、その前と後では結構変わったように感じますね。

 

新宿通りのあとで手がけたのが、豊洲埠頭の照明柱だったのですが、南雲さんからはもうバンバンやりたいことが出てくるという感じでした。昔だったらカバーでやっていた造詣も、カバーではなくて構造材として鋳物を使ってやろうとか。我々からも、南雲さんからもそういう提案が続きました。一つ出来るようになると、こんなのも可能性が出るんじゃないかって。

 

そういった試行錯誤が、最終的に行幸通りの照明柱につながった形です。

 

 

 

「ものづくりの集大成」としての行幸通り照明柱

行幸通り照明柱
照明、ファニチャーデザイン:ナグモデザイン事務所  製作:(株)ヨシモトポール

 

EA:行幸通りの照明については、車道灯のデザインが初めて提案された場(※東京駅丸の内口トータルデザインフォローアップ会議)に僕も居合わせたのですが、デザイン案を見た篠原修先生が「これは槍か、砲弾か?」というようなことを言われていたことを覚えています(笑)

 

北村:南雲さんも普段、デザインを委員会などで案を出すときには、事前にある程度構造や製作の裏付けをあたってから出すようにしています。ただ、あの照明については完全に委員会での提案の方が先だったんですよね。あとから、「このデザインが採用されたから」と(笑)。それから我々が検討を始めたんですが、正直これは本当に無理かもしれない、というところから始まって。。でも、もうやらなきゃいけないという状況で。

 

EA:またよりによって、あの形で事前相談なしだったと。。。

 

北村:そうなんです(笑)。ただ、後から考えるとこれもたまたまですけど、もし会議に出す前に相談されていたら、ああいうデザインはなくなってしまっていたという可能性も考えられると思うんです。もうこれでやらなきゃいけない、と言われて、それに必死になってやった結果がああだったというか。先に言われていたら、どうだったのかなと思うことはあります。

 

EA:ちなみに僕が覚えている最初のスケッチは、もう少し細いプロポーションだったように思います。

 

北村:そうでしたね。最初のあの細いデザインだったら、本当の本当に無理だったかもしれないですね。鋳物では作れないなと。

そもそも、行幸通りの照明柱は「ものづくりの集大成にしよう」というところから始まっていて。篠原先生や内藤廣先生がこれまでやってこられた、プロ同士とメーカーのコラボレーションの集大成にしようということを、南雲さんからも言われていたし、会社としてもそういう意気込みでした。

 

EA:行幸通りが、東京駅と皇居を結ぶ、日本を代表する景観のひとつであることは間違いないですね。

 

北村:とは言うものの、実はあのデザインを初めて受け取ったときは、どこで柱を分割するかというような後ろ向きの話から入ったのが実際のところです。誰からともなくそういう話が出てきて。構造材ではなく鋳物はカバーで使おうとか、途中を切って繋ごうとか。

だけど僕の第一印象は、ものづくりの集大成とまで言っているのだから、構造材で上から下まで一発で作らないと集大成じゃないのではないのではないか?というものでした。これはもう僕の勝手な感覚としてなんですけど。

 

EA:あの支柱は一本物の鋳物なのですか?

 

北村:結果的に、照明器具の下まで一発でやりました。9m弱を、鋳物1本で。集大成と言っているのに、今までやってこなかった化粧カバーとか、途中を切ってつなぐとか、「無いよな」と。そもそも、構造的にしっかりつなぐために、あのデザインでおかしくないつなぎ方があるかって言われたら、いまでも僕はどこにもないと思っています。どこでつなぐにしたって、あのデザインの中でしっくり来るようなジョイントの構造はない。

ただ、9mを一発でやるって自分がものづくりチームの中で言い出したときは、やっぱりいろいろありましたね。反感というか。

 

EA:それは、作り手サイドのチームで?

 

北村:そうです。例えば鋳物屋さんとか。うちの社内でもそうだし。「えー」っていう感じだったですね。

 

EA:「お前、何言ってきてくれたんだ!」みたいな感じですかね。

 

北村:そうそう(笑)

 

地面から半透明の灯具の下部分まで、一本の鋳物で出来ている

 

EA:「集大成なのだから」という言葉が状況を押し上げた、という感じだったんでしょうね。ただ、確信があったわけではないのですよね。

 

北村:確かに、確信があったわけではないですね。確かに普通のポール屋さんであれば、あのデザインが来たら、やっぱり中に鋼管のポールを入れて、周りを化粧カバーしていくというのがスタンダードでしょうから。

ただ目指すところはそこじゃない、ということははっきりしていて。そうじゃないところに行かないと、、、。途中で化粧カバーをするとか、どこかでばらして作るとかというところを目標にして進むのと、そうじゃないのとでは、全然、違う道になる。その目指すべきものを最初にはっきり決めておく、っていうことが必要だったのだと思います。

 

EA:ただ、9mの鋳物を一発で作るというのはいろいろ難しい面もあったのではないですか?

 

北村:そうですね。実際、一番初めに試作したときは、9mというのは長すぎて、金枠の強度が足りなくて。。。湯(※溶かした鉄)が漏れてしまうということもありました。いかんせん、誰もが初めてやる長さのものなので、金型がうまくピタッと閉じてなかったんですね。湯の圧力に負けてしまった。

ただ結局そういうミスも、それをやろうとした人間にしか経験できないことなんですよね。こういうことが起こり得るんだ、ということはやってみないと分からない。実際、そのときの現場で鋳物一筋30年みたいなおじさんたちが言っていたのは、「30~40年やってきたけど、こんなこと初めてだ!」っていう言い方をするぐらいで。やっぱりまれなミスというか。

 

行幸通り照明柱の製作風景。金型に湯が注がれるところ。

 

EA:ミスというよりは、想定を越えていたのですね。

 

北村:越えたんですよね。でも、そこにチャレンジした人間じゃないと、その想定を越えたできごとっていうのは経験できない。

 

EA:ちなみに、場所はどこで作ったのですか?

 

北村:埼玉の鋳物屋さんです。ただその鋳物屋さんも、もうつぶれてしまいました。

 

EA:そうなんですか。それだけやって、せっかく得られた技術なのに。。。

 

 

 

ものづくりチームのコラボレーション

EA:他にも、行幸通りの照明は、例えば照明器具のデザインなどにもいろいろな工夫がありそうです。あの規模で、あのような形状で車道までを照らしているというのはあんまり見たことはないのですが、そのあたりの開発経緯についてはいかがでしょうか。

 

北村:我々がいつも組んでいるものづくりチームの本当に特殊なところは、ポールメーカーと照明器具メーカー、デザイナー側での境界が本当にないということです。とりあえず南雲さんがポールのものづくりの技術に対して意見を言うときは、こうやったらどうなのか?と作る側の立場で問いかけてくるかたちです。僕らもデザインに対して、こうやりませんか、こうやっていいですか、こうやったらこうなりますよ、という言い方をしますし、例えば器具の細かな収まりに対しては、僕らからこれはさすがにちょっと悪い収まりではないかと言ったりすることもあります。

 

EA:デザイナー側からしても、できないことはできないと言ってくれる。そして、その判断が信用できるということが一番大事で、そうじゃないとそういうコラボレーションは生まれにくいですよね。

 

北村:役割についての境界は本当に極めてあいまいです。はいここまでという、誰々の仕事はここまでという線がない。

ただ、こういうやり方は本当に特殊なんですよね。普通、例えばポールメーカーが照明器具のことに対して「ここはちょっとおかしいです」というようなことは、ほとんど許されないというか、言う機会も無いんです。われわれの今やっているチームというのが本当に特殊で。だから例えば、行幸通りの車道灯の器具は、器具なのにも関わらず、僕のほうで形を作っています。

 

EA:そうなんですか。

 

北村:あれは、普通の照明器具というボリュームではなくて、器具だけで4.5mぐらいあるので。。。もはやこれは器具じゃないというか(笑)。器具屋さんも、普段とちょっと勝手が違いすぎて。ということで、じゃあ器具の構造も北村のほうでというので、われわれはポール屋なのに器具もやったという、とても特殊な状況でした。

 

行幸通り車道照明の灯具

 

EA:その壁を取り払って、初めてできた形。まさに集大成ということですね。

 

北村:そうですね。器具は器具でポールはポールで、といったやり方では、絶対に出来なかったですよね。

 

EA:まちづくりとか、計画レベルの話でも、そういった壁をどう取りはらっていくかというのがやっぱり一番難しいです。行政と、設計者と、住民と。。。ただ、最後は立場ではなく人と人が重要、というのは変わらない。

 

北村:例えば照明器具だったら山田照明の因幡さんという方と一緒にやっていますが、もし違う担当の人だったら、こういうやり方ではできていない可能性もありますね。たまたま今回のようなやり方に乗ってきてくれて、因幡さんも、じゃあ北村さんのほうで器具の構造をやってね、ああ、いいですよという関係があってのことだったので。そういう中でできたのは、否定できないですね。

 

 

「スペシャルではないもの」の大切さ

EA:ものづくりの難しさとか、達成感とか、規模や大きさには関係ないものですか。

 

北村:大きい、小さいはあんまり関係ないですね。だから、例えば勝山で納めた小さな防護柵(※)なんかでも、新しく吸収することはありました。こんな小さい製品の中でやるのかという、その技術力というか、納めかたや設計の仕方とか。勝山では柵をビームまですべて鋳物で作りましたが、そういうことはやっぱり発想として普通ないですし、いろいろ得るものはありましたね。

 

勝山市大清水整備
照明、ファニチャーデザイン:ナグモデザイン事務所
全体設計:小野寺康都市設計事務所

 

EA:建築でも、小さな住宅にこそ技術やデザインのエッセンスが詰まっていることがありますしね。

 

北村:そうですね。だから、本当に規模や金額では得られるフィードバックの大きさは測れないです。ただ一方で、毎回毎回作るデザインが違うので、その度に悩んでいる感じはあります(笑)。

 

EA:公共事業において、毎回オリジナルデザインのものを作るというのは、実際にはかなり希有なことです。正直なところ、篠原先生や南雲さん、小野寺さんが関わられた現場くらいでしかあまり聞きませんよね。もちろん、その場所ごとの風景に納まる、最適なファニチャーデザインを考えることは当然必要です。規模の大きなもの、それこそ橋梁などはある程度の規模以上になれば基本的に一点もののデザインになる。しかし高欄や防護柵、照明のデザインは、一般的な土木事業においては、言い方は悪いですがカタログから選ぶ場合が圧倒的に大多数のはずです。

 

北村:その通りです。だから、僕らメーカーの課題となるのは、篠原先生や内藤先生、南雲さん、小野寺さんといった方々が関わられる委員会があるようなスペシャルな物件じゃない、それ以外の現場だと思っています。日本全国の規模で考えたら、そんなスペシャルな物件って、年間にしても本当に数カ所ですよね。でも、それ以外のスペシャルじゃない、ちょっとした整備とか、そういうものこそものすごくたくさん出ていて。そういうところは、デザイナーも一切絡まずにやっている。

だからわれわれメーカーは、金額も抑えたいい標準品を持っておいて提案できるかどうかというのが、いま必要とされていると感じています。標準品といっても、他のものとはちょっと違う、ほんのひと手間加わっているもの。それでいて標準品と同じぐらいの値段、欲を言ったら、それより安くて。

 

EA:そういうの、本当に欲しいですね。

 

北村:そういう標準品で、すごく使い勝手がいいものを持たないといけないという思いがある。本当に景観をよくするという部分では、「普通の風景」を一生懸命よくしていくことがやっぱり重要だなあというのは感じています。

 

EA:われわれ設計の立場で言えば、自分たちで設計するときはやっぱり攻めることが多いわけですけど、守りも大事で。いま僕も自治体の景観アドバイザーなんかもやっていますが、そういうのはどちらかと言えば守りです。攻めと守り両方大事だし、それの集大成として風景ができていくので、ベーシックな風景づくりは大事だなと思っています。そういったことでいうと、おっしゃるとおり標準品のデザインレベルの向上というのが非常に大切だと思いますが、実現するにはどのあたりが難しいのでしょうか。やはり数が売れないと作れない?

 

北村:それはあります。それとやっぱり、ひとつ決定的に難しいのは、「いい標準品」といっても、その「良さ」が何か、求められることが場面によって全然違うということがあります。

 

EA:違う、というと?

 

北村:例えば、吉谷さんが設計に入っている場合であれば、多分吉谷さんのところへこういうのを提案したら「おおっ」て言って使ってくれるかも知れないなというのは、我々はずっとやってきているので考えようがあるのです。南雲さんに対しても、小野寺さんに対してもそうです。ただそうじゃない人たちに、例えばいきなりリン酸亜鉛処理(※)を出したときに、、、

 

EA:あれ、みんな好きですよね(笑)。

 

北村:でもあれを普通に、例えば自治体に持っていって提案しても、採用されないことの方が多いと思います。やっぱりメッキでピカピカのほうがいいに決まっているだろうとか、ツルツルの塗装にしたほうがいいだろうとか、ツヤがあったほうがいいだろうとか。

 

EA:うーん。

 

リン酸亜鉛処理の例(行幸通り地下通路上屋)
東京駅前丸の内口トータルデザインフォローアップ会議において、丸の内口周辺の上屋は
リン酸亜鉛処理で仕上げを統一することが決められた。

北村:難しいんです。メーカーがなかなかそういう標準品を揃えようとしないのは、一つにはそういった行く先々でまんべんなく売れるものがない、というのがあります。苦労してすっきりとした形で提案したとしても、すっきり作っちゃうことがあまり良くないといわれてしまうような場合もあるし。例えば防護柵で言えば、「支柱の先端に玉っころをつけておけばいいだろう」というような(笑)、そんな雰囲気も業界には確かにあるんです。逆に、玉っころをつけないで必要最小限の線で作ったら、何もやってないと言われるのではないか、というような。。。

 

EA:でも少なくともデザインを多少やっている人間からすると、玉っころは無いんじゃないかと(笑)。いわゆる標準品と言えるほど売れるかどうかは分からないですが、景観やデザインをやっている人たちからすれば「ここはこれを使っておこう」と使える製品はあり得ると思いますし、ニーズもありますよ。

 

北村:そうですね。そのために我々メーカーも、色々なチャレンジや蓄積を重ねてきているわけですし。たとえ最初は一部の人たちにしか採用されないとしても、最初からそのつもりでやってみればいいと思うんです。実際、そういう話も出てきてはいますね。

とにかく、世の中では大多数の「デザイナーが不在の物件」にも、きちんといいものが提案できるメーカーでありたいということは思っています。

 

 

 

「デザイナーに求めるもの」

EA:そろそろ締めの言葉をもらえればと。今まで伺ったお話の中で見えてきているとは思うのですが、ずばり、「メーカーの立場からデザイナーに求めるもの」とは何でしょうか。

 

北村:生意気を言うようですけど、、、仕事をやる上では、とにかく「迷わないでもらいたい」というのがすごくあります。デザイナーには、「こうだ」というのを、最後まで迷わずに持っていてもらいたい。結構、遠慮をしてしまうデザイナーさんは多くて、例えば「こんな短い工期じゃできないですよね」とか、「加工的に厳しいですよね」とか。。

特に加工や構造の面では、それは僕らのほうは毎日それをやっているので、僕らのほうが詳しいわけです。だけど、デザイナーさんももちろんまるっきり知らないわけではないですから、その中で「やれ」って言ってくれたほうが、いい結果が出る場合もあるんですよ。だから僕らのところに、変に迷わず、わがままにドンとくれたほうが、僕らはやりやすい。

変な言い方ですけど、ときどきデザイナーさんが考えていたことを、われわれが追い越しちゃったりすることもあるんです。いやいや、そこまでやらなくていいよって言われたり(笑)。

 

EA:そこまでやらなくていいとか言われるんですか(笑)。

 

北村:あ、そこまでは結構です、とか。でも、手加減するっていうのが、仕事をやる上では一番難しいじゃないですか。そういうことを言われると、じゃあどこまでやればいいのかなっていう感じになって、急にそこでグラグラし始める。「こう行くよ」っていうところを目一杯のところで示してもらって、僕らがそこに向かってガッといくほうが、いい結果が出る場合が多かったかなと思いますね。

 

EA:目標とビジョンをセットで示すのがデザイナーの役割だと。

 

北村:その過程で、変な気づかいとか手加減とか、そういうのは必要ないですっていう感じで。できないことはできないと言いますし。

 

EA:無理なことは無理と言うし、その無理と言った中から新しい道が生まれるということもあるし。正直、デザイナーがやりたいと言ったことに対して、最初は「それって本当にいいの?」と思うこともあるのではないですか?

 

北村:ありますよね(笑)。特に造形的なことなんかは、分かっているようでいて分かっていないということは、良くあるので。

 

EA:「それって、、、かっこいいのかな?」とか思ったり(笑)。でもうまくいった仕事というのは、えてしてそういうところから始まって、出来上がってから分かるというか。

 

北村:ああ、そうです。出来上がってから「ああそういうことか」っていうのは、すごくあります。だから例えば、デザインが先か技術が先か、というような話がありますよね。建築の世界では、デザインがあったから技術も進歩した、という意見がある一方、そうじゃなくて、技術があったからデザインも実現できたのだろう、というような話を聞いたりします。それに比べると、僕らの世界は常にデザインに引っ張られてきたなという感じは否めないです。次から次へと課題が出てきて、それを精一杯解決していって、進歩してきたという感じですね。

ときどき打ち合わせの中では、こういう構造がありますよと言ったら、ああ、それデザインにしよう、ということもあったりしますが、基本的には、我々はやっぱりデザインに引っ張られて高められてきたという感覚があります。

 

EA:でも、照明やファニチャーのような分野こそ、技術がデザインを変えるということはまだまだあるし、もっとあった方が面白いと思います。

 

北村:そうですね。だから我々としてはそういう機会をもっと増やせないといけないと思っています。誰に対してもどんどん提案できないと。役所の人にもそうだし、コンサルタントの人にもそうだし、デザイナーの人にもそうだし。状況と相手に合った提案をまんべんなくできるようじゃないと、現実的に仕事も増えない。特化した会社として見られるのではなく、フィールドをいかに広げていけるか。そういうことをいまは考えていますね。

ものづくりの声

吉谷 崇Takashi Yoshitani

(株)設計領域|EA協会

資格:

技術士(建設部門)

 

略歴:

1978年 兵庫県西宮市生まれ

2000年 東京大学工学部土木工学科卒業

2002年 東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻修士課程 修了

2002年 (有)小野寺康都市設計事務所 勤務

2009年 (株)設計領域 設立

 

組織:

(株)設計領域

代表取締役 新堀 大祐

代表取締役 吉谷 崇

〒107-0062 東京都港区南青山3丁目4-7 第7SYビル6階

TEL:03-5413-3740

FAX:03-5413-3741

HP:http://s-sr.jp/

 

業務内容:

・土木、建築、造園に関わる設計及び監理

・地域、都市計画に関する調査、研究及び計画立案

・都市デザイン、景観設計に関する調査、研究及び計画立案

・インテリア、家具の企画、設計及び販売

・公園遊具、路上施設等の企画、設計及び販売

・広告、宣伝に関わる企画、編集及び制作

・イベント等の企画及び運営

・前各号に付帯する一切の事業

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