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2011.10.01

07|小野寺康のパブリックスペース設計ノート

小野寺 康((有)小野寺康都市設計事務所|EA協会)

第2部 空間をつくる

すでに「序文」で述べたとおり、ここでは「パブリックスペース」を、誰もが利用可能な公的な場、一般的には道路や広場、公園といった外部の開放された空間という、いわば一般的な意味での都市のオープンスペースとして用いている。
それは「社会基盤」なのか。これが第2部の最初の命題である。
インフラストラクチュアの訳語として用いられるその言葉には、国民福祉の向上と経済発展に必要な基盤的公共施設として、上下水道や電信、電話や電気、ガスはいうに及ばず、道路、港湾、鉄道といった土木施設、あるいは学校、病院といった教育施設や医療・福祉施設などがその概念に含まれる。社会生活を維持する上で、それらは有益である以上に、必要不可欠な施設だ。
パブリックスペースは、設計対象からすれば基盤施設といっていい。
しかし、本稿がこれまで論じてきたパブリックスペースの資質とは、必要不可欠な施設のそれではない。むしろ、社会生活を「豊か」にするために有益か否か、つまり一種の付加価値としてのものであった。扱っているものは確かに実用品なのだが、求めている価値は芸術文化に近いものなのだ。
社会基盤というより「社会資産」なのである。
では社会資産は、あるいは芸術や文化は、人間生活を営む上で必要不可欠ではないと本当に言えるのかというのが次の命題である。
音楽や美術、演劇は娯楽だ、娯楽がなくても生きていける、そういうことは可能だ。
だが、果たして本当にそうなのか。
本当に人は、音楽がなくて、美しい風景がなくても暮らしていけるのだろうか。心を許した人たちや気の合う仲間とともに過ごす美味しい食事とワインがなくて、それで生きているといえるのだろうか。
今回の東日本大震災で、改めてそのことを見せられたように思う。
被災直後こそ水や食料、毛布といった救援物資はありがたがられたが、やがてすぐに風呂や、温かい食事が望まれ、支援品の古着は敬遠されて新品が求められた。
それらを贅沢だと非難する世論がまるでなかったことは実に喜ばしい。厳しい状況下でも、いや厳しいからこそむしろ、人は希望と誇りを持ちたいと願う。それが人間だ。辛い時だからこそ、下を向かずに旗を掲げ、太鼓を叩いて祭りを開く。歌を歌い、花火を上げて笑顔を取り戻そうとする。それが文化というものであり、人が生きる力なのだ。
――人は、「必要」なものだけでは生きていけない動物なのである。
しかし、インフラ設計を生業とする土木技術者がしばしば陥るのは、まさにそのことだ。
必要最小限を扱うあまり、しばしば価値観をその世界の中だけで完結させてしまう。道路は車がしっかり走れればいいし、橋は渡れればいい。インフラの定義からすればそれは誤りではないが、そこに至上性を置くことは本来もっと慎重であるべきなのだ。
しかし、だからこそパブリックスペースを魅力的に設計する意義はそこにある。。
ただ歩けさえすればいいはずの道を美しく整え、ただの坂道を生活のゆとりや豊かさに寄与する空間に変容させることがデザインであるなら、「必ずしも必要のない」行為だからこそ、むしろ、そこに価値があるといえる。すべては人々に生きる喜び-joy-をもたらすために。

 

写真1・2 南仏には「鷹ノ巣村」とよばれる崖上集落が数多く散らばっている。それらの多くは宝飾のように美しい。(左:エズ村、右:サンポール村)

 

そもそもここでは、「デザイン」という概念を、「アーキテクチュア」という統合理念を内包したそれとして捉えている。少なくとも欧米のデザイナーやエンジニアと「デザイン」について語る場合、形態と機能、あるいは構造、設備などを切り離して議論することはナンセンスだといっていい。
自動車の世界でも、「デザイン」といえば、コンセプトや動力、駆動方式、空間レイアウトから最終造形まで貫通した一連の方法論を指し示す。
たとえば、開発コンセプトによって駆動系――FFかFRか、あるいはミドシップかなど、動力系――エンジンは直列でなめらかなハイパワーを求めるか、横置きあるいはV6にしてコンパクトさとパワーをバランスさせるかなどの選択が求められる。あるいはスポーツカーなのかグランドツーリングなのか、街中をコンパクトに走る日常車なのか、そのカテゴリーによって居室と荷室の大きさやレイアウトは異なり、ついてはそれがホイール長や車重、車体剛性等につながって運動性能に影響してくる。これらをトータルに考え合わせ、一つの有機体のように捉えるのが自動車というものだが、今やクルマは、高度に体系化された工業技術であるとともに、サスペンションの微妙な味付けも含めて「乗り味」などと称されるニュアンス豊かな世界観をもった「文化」にまで進化している。
だが、その自動車業界ですら、時おり表層10cm内外の皮膜造形を担当する者がデザイナーだと誤解している向きも否定できない。本来それは「スタイリング」と称されるべきものであり、基本造形はその前に定まっている。これらをトータルで指揮する者が開発プロデューサーやデザイナーであり、むしろアーキテクトに近く、スタイリストよりもはるかに立場が上である。
土木でも橋梁は構造と意匠に差異は少なく、構造デザインという考え方も認知されている。だからこそ橋梁は土木の花形なのだ。
だが、空間設計も本来的には同様なのである。
この第2部の主旨は、まさにそこにある。
第1部では、空間を読み、構想する手法とその基礎概念として、空間構成、領域性、スケールとサイズ、動線とアクセス、空間の連続と分節(アーティキュレーションと「付け」)について概覧した。これらは、デザインの現場に対峙し構想するに際して考慮しておきたい基礎概念であった。これらを整えることで豊かな空間になり得るのかというと、残念ながらそれだけでは十分ではない。
実際にパブリックスペースをデザインし、一本の線を追いかけるその刹那には、より切実でリアルな方法論が必要となる。
以下に展開する諸概念は、デザインを生み出す瞬間に常日頃、筆者自身が自らに律しているものだ。だが、それがどこまで普遍的かどうかは議論の余地がある。すでに述べたとおり、デザイン理論とは結局は、設計者一人の思考に帰着するという思いがぬぐえないものだから。
しかし、そもそもはそんなジレンマのままに書きつづろうと決めたのだった。それも必要なことだと信じて。できることを、できるところから、そしてそれ以上に。

 

2-1 人を主役にする

この際断言してしまうが、パブリックスペースのデザインにおいては、造形が主役になるのではなく、場の上で人間それ自体が主体に浮かび上がることが重要だ。モノではなく、人間活動(アクティビティ)を重視したい。
大学で設計演習をやると必ず出てくるのが、オープンスペースの真ん中にモノを持ってくるという、日の丸のような配置だ。しかもなぜか噴水と高木が多い。
こういう配置が出てきた場合、なにが問題なのかという議論をすることにしている。
「誤り」かどうか、ではない。
そもそもデザインとは「正解」のない世界だ。
しかし一方で、デザインの良し悪しというのは確かにあって、少なからぬ人々が一様に頷けるような「いい」デザインが存在するのも経験的には事実である。デザインとは、世間でよく言わるように単に「好き嫌い」で終わるような浅薄な概念ではないのだ。
話を戻す。日の丸配置が問題なのは、シンメトリーで動きがなく形がつまらないということももちろんなのだが、それよりもむしろ、「モノ」が空間の主役となり、人間がその従属的存在にならざるを得ないという点にある。
ためしに、中央にあるその噴水や高木を、中心からわずかにシフトしてみるがいい。とたんに空間に「動き」が出てくる。人間の集い交錯するオープンスペースと、噴水の周りに溜まる場が現れ、人間のアクティビティを誘発する「場」が形成される。場の中で、人間が主役となるのだ。
「日の丸」配置で空間をデザインしたつもりになっていた者は、実際に人間がその空間の内部で実存的に生きるという洞察に乏しい場合がほとんどである。
そこが問題なのであって、それは「にぎわい」を重視するパブリックスペースにとって致命的といっていい。
これは、すでに前章で述べた、カミロ・ジッテが『広場の造形』の中でいうところの「広場の中央を自由にしておくこと」という原則であり、「モニュメント特に市場広場の噴水を交通の死角に配置するという生粋の中世的、さらに北方的原則」に通底する考え方である。さらにジッテは「交通をじゃまするものは、またしばしば眺望の障害でもある」ともいっているが、この指摘も鋭い。
断っておくが、空間の中央に施設を置いては「ならない」といっているのではない。
置くとどうなるか、その意味と効果を洞察すべきだといっている。
すでに見てきたように、そもそも西欧都市計画史を概覧すると、バロック後期からオースマンのパリ大改造に代表される近代都市計画にかけて確立されたのが、中央にオベリスクをもつ幾何学的広場と、それを焦点とする放射状街路という構成手法だ。パリ改造は、時代の潮流そのままに、1893年のシカゴ万国博覧会で「都市美運動(シティ・ビューティフル)」に継承されアメリカへも飛び火した。アイストップを持った軸線街路と、整った沿道建物のスカイラインといった、この近代的コンセプトは、シカゴやワシントンDC、ニューヨーク等多くの都市施策に影響を与えた。建築様式に連動し、やがて近代建築運動と歩調をそろえることになる。
それを否定しようというのではない。それも都市の活力に対する方策なのだ。
実際、リヨンのレパブリック広場place de la Républiqueは、中心部に噴水を持っているが、むしろその水景が賑わいの焦点となっている例だ。低い弾道の噴水が、周辺建物を浮かび上がらせるとともに景観的に統合させ、求心力を与えている。しぶく水の向こうに人々の姿がちらちらと見えていて、互いに姿が見えても水景越しなので不快にならない。むしろ多方向から視線を交錯させることに成功している。この広場の主役は確かに水景だが、人の活動をむしろ活性化させているといっていい。この違いはどこにあるのか考察してもらいたい。

写真3・4 中央に噴水を持つ共和国(レパブリック)広場。水景が賑わいの焦点となって空間をまとめあげている(リヨン)

 

改めて整理すると、ここでは、にぎわいの場、人間が生きられる場としての方法論を、少しヒューマンスケールに引き寄せるところから、もう一度見直していこうとしている。
後述するが、広場に限らず、パブリックスペースの定義を“人間活動の活性化を誘い生成する場”としてとらえる場合、中央にモノが配置された日の丸型は、基本的にはあまりうまくいかない。これはやや卑近な一般論である。ただ、一度そこを原点に据え直してデザインという地平を眺め渡してみたい。そう考えている。
人間のための空間。
その設計方法論について、改めてその基本を見てみる。
まずはその最小単位――といえば、「椅子」だ。パブリックスペースの場合は、屋外のベンチということになる。ベンチを中心とする最小限の場のしつらえ、それがどんなものかということから始めたい。

筆者が大学院生であったある夏、スイス北部の園芸農場で2ヶ月ほど働く機会があった。暮らしていたのは、2週間に一度は近郊の町へ食料を買い出しに行かなければならないほどの小さな村だったが、道路の側溝までもが舗石で整えられていて美しく、公共空間の質の高さに驚かされ続けたものだ。
休みの日には可能な限り近隣の都市へ繰り出してあちこち歩き回っていた。その中にベルンもあって、ここはスイス連邦の首都であると同時に、その旧市街は蛇行するアーレ川に抱きかかえられた宝飾品のような美しさを保つ古都である。赤瓦の屋根で統一された伝統集落群を対岸から俯瞰しようと、小高い森の中を歩いていたそのとき、木立が切れて眼前にいきなり視界が開いた。振り向けば、堰の落水が白く踊るアーレ川と、天空高く尖塔を突き上げたベルン大聖堂が屹立する風景が目に飛び込んできた。
思わず立ち止まり、眺めていたいと思ったその瞬間、眼前に突然ベンチが現れて驚いたということをいいたい。

 

写真5・6 アーレ川とベルン大聖堂の風景。それを眺められる場所に用意された「最小公園」(ベルン,スイス)

 

むろん、初めからそこにベンチは置かれていてそれに気付いたというだけのことだ。
「眺めのいいところに椅子を用意する」というのが風景づくりの基本だとすれば――この単純なことが、なぜか日本の都市空間でふつうにできていないのは驚くべきことだが――、その原型のようなさりげないしつらえが、パブリックスペースの本義を明瞭に示してくれていると思えた。
写真を見ての通り、ベンチそのものはきわめて安普請で素っ気ない。ベンチのほかは、少し離れた位置に簡易なゴミ箱が浮いているだけのように見える。着目したいのは、並木の合間に山を背にして眼前を開くその配置と、足元にプレキャストコンクリートの平板がフットレストとして敷かれていることだ。
ささやかだが、人が腰かけ休むことに対する作法感覚のようなものがそこにある。
「世界最小の公園」という言葉が頭に浮かんだ。
実際スイスを歩いていると、とても観光客なぞ来ないと思われる小集落でもそんな「最小公園」にしばしば出くわす。
木立、ベンチ、ゴミ箱だけでできた小空間には、快適さを整えようとする設計者の意図が浮かんで見える。それは、パブリックスペースをデザインする精神の基本かもしれない。これは「手法」というより、「在り方」、あるいは心構えといっていいものだ。
作法感覚だけでも場は創れるのだ。
そんな設計者のコモンセンスを確認した上で、次に、より能動的に快適な場所をデザインするという段階を見てみる。

かつて北米主要都市で「フェスティバル・マーケット」というコンセプトを展開し、ウォーターフロントを中心にさまざまな商業空間を成功させたデザイナーとして、ベンジャミン・トンプソンが知られている。その彼が、ニューヨークにフルトン・マーケットとセットで創り出したのがピア17だ。いうまでもなく、ピア(埠頭)一本をまるごとショッピングセンターとしてデザインした。
高架道路で市街地と水辺が分断している状況を、フルトン・マーケットとピア17を連携的に開発することで改善し、後背の都市と水辺を一続きでつなぎ合わせることで生まれるアクティビティの豊かさを示した。
そのことを詳細に述べるには紙面が足りない。ここでは、ピア17の空間構成と、その先端部のデザインに限定して述べる。

 

写真7・8 ピア17は、埠頭に建設されたウォーターフロント・スタイルのショッピングセンター(ニューヨーク)

 

ピアをぐるりとデッキプロムナードで縁取りながら、中央に鉄骨造の仮設的な建築が置かれている。建物にはルーフテラスや吹き抜けが多用され、ガラスや膜構造によって明るく開放感のある空間構成になっている。ウォーターフロントの軽快感が顕現した形だ。
ピアの中で最も眺めのいい場所といえば、いうまでもなく先端部である。
グランドレベルは、定石通り、わずかに階段状に折りたたまれて水面に近付けるようになっている。同時にその階段は、腰掛けて風景を眺める視点場をさりげなく提供する。
では、その上の2階部分はどうか。
そこはブルックリンブリッジを眺めやる最高の立地である。当然複数のベンチが用意されているのだが、そのしつらえが心憎い。
――カウチ(寝椅子)、というスタイルなのだ。
しかもその前面の手摺りは、ワイヤーロッドになっていて視界を阻害しない。
この何とも贅沢な空間が無料である。人々はここにコーヒーや新聞を持ちこみ、あるいはイヤフォンで音楽を聴きながら思い思いに風景を楽しんでいる。その背後では順番待ちの人々がひたすら並び続けることになるのは仕方のないことだ。

 

写真9・10 ピア17の1階先端はステップダウンし、そこに腰かけられる(左)。2階部分はカウチが置かれている(右)

 

もう一つの例は、アメリカ南部を代表する中核都市ダラスにある、ランドスケープ・アーキテクト、ダニエル・アーバン・カイリー(ダン・カイリー)の傑作「ファウンテン・プレイス」だ。アイランド・バンク・タワービルの外構を、カスケードをもった水盤で満たし、そこに440本のサイプレスを植えた。園路や植栽桝は水面と全く同じレベルに設定されており、歩けばまさに水上を浮遊する気分となる。
ダラスは砂漠に囲まれた街だ。
ここでの水は、まさに経済的な豊かさの象徴である。その貴重な水を豪奢に取り入れたランドスケープを、公開空地として銀行の外構に提供した形だ。経済力を誇示すると同時に一般市民へ社会貢献する寛大な姿勢もアピールするという、実にアメリカらしい、あざといほどストレートな空間表現といっていい。
カイリーは、そんな銀行側の思惑を見事に突いて、この世のものとも思えぬ幻想的なウォータースケープを創り出した。
さて、その中のベンチである。
アールデコ的な雰囲気のハイバックなデザインとなっている。華やかな雰囲気に合致するばかりでなく、座ればゆったりと身体を受け止めて極めて快適である。中でも写真のマダムが座っているそれは、三方を水に囲まれた、まさに贅沢な場所に置かれている。
水音が周囲の喧騒を消し去りながら、湿気を含んだ心地よい涼風が通り抜ける。サイプレスが深い緑陰を提供しつつ、足元の視線は遠くまで広々と開かれ心地いい。
筆者ももちろん座った。だが、パワースーツでびしっと決められた人々が歩きまわる中で、くたびれたジーンズをはいた東洋の若造が長時間一等地を占有し続けるのは気が引けたことを白状する。こいつ、いつまでその場所を占有するのか、といった「南部的視線」が痛かった――気がしたものだ。

 

 

写真11・12 ファウンテン・プレイス。水面と歩道、植栽のレベルが完全に一致している(ダラス)

 

写真13 ファウンテン・プレイスでベンチに腰かける女性(ダラス)

 

以上、これらのベンチが置かれていた場所の構成には、ベルンも含めてすべて共通点がある。
前方に開かれた眺望を持ち、周辺や背後には木立や建物などの後ろ盾をもつ、いわば「眺望-隠れ場prospect-refuge」的な状況なのだ。この言葉は、地理学者のジェイ・アップルトンJay Appletonが、著書『The Experience of Landscape』の中で、「眺望-隠れ場理論(prospect-refuge theory)」として使ったものだ。いわば人間は、守られた安全な場所(隠れ場refuge)から周囲をよく見渡すことができる(眺望prospect)環境を好むという仮説である。これは狩猟時代の人類の本能的記憶からくる環境心理だというのだが、それの是非はともかくとして、これが居心地のいい快適な場所であることは誰もが本能的に納得できることだと思う。
眺望を開きつつ、空間的に守られた場所を持ったシチュエーションを形成すれば、ある程度「居心地のいい」場所はデザインできるということだ。パブリックスペース・デザインの基本中の基本である。
だが、そこで話を終わるわけにはいかない。
応用系として、世界遺産ポルトの水辺に置かれたベンチを紹介する。

ポルトガルの古都ポルトは、ドゥロ川の河口の丘陵地帯に造られた水辺の街だ。リベイラ地区と呼ばれる河岸の旧市街は、地区全体が世界遺産に登録されている。川の対岸は、ポルトワインの醸造所が立ち並ぶ産業地区だったが、近年モダンなウォーターフロント・デザインで一新された。
まず、旧市街リベイラ地区側にあるベンチから見ていく。
建物に沿いつつ、つまり建物を背面に持ちつつドゥロ川へ眺望を開く、定石通りの「眺望-隠れ場」配置になっている。

 

写真14・15 世界遺産リベイラ地区側のベンチ(ポルト)

 

と同時に、これが単に休み場所を提供するだけでなく、照明柱との連続的な配置によって、背後道路と水辺を分ける緩衝装置としての役割を与えられていることに着目したい。
片側だけハイバックという珍しい型は、水辺に方向性を向けつつ、一方で建物側へも空間をつなげる意図だ。どこかクラシックなニュアンスを持ちながらもモダンな造形は、それ自体がアクセントとして、古い街並み景観へのスパイスとなっている。
ベンチは、背もたれがある側、ない側が互いに向き合うように連続して並べられ、照明柱の配置とバランスを取りながら単調さを回避している。
背もたれの天端は短く折り返して小テーブルとなっており、小物やビールグラスでも置ける形だ。周りに立ってテーブル代わりに使う想定だろう。
背もたれは直角だ。一見するとデザイン優先のようだが、実際に使ってみると思いのほか座り心地は良い。板材に厚みがあるのと、座面幅がたっぷりしているので、不愉快に感じないのだ。前面に板が下がっているのも、腿の裏をやさしく抑えてくれる快適性の配慮であると同時に、ベンチにヴォリューム感を与えて緩衝装置としての役割を強化していると考えられる。
次に、その対岸のポルトワインの醸造所が立ち並ぶウォーターフロント空間を見てみる。

 

 写真16 並木によって水辺空間全体が「眺望-隠れ場」的構成となっている。奥に見えるのはエッフェル設計の鉄骨アーチ橋(リベイラ地区対岸,ポルト)

 

写真17・18・19 リベイラ地区対岸の水際プロムナードに配置されたストリートファニチュア。モダンな造形は、旧市街の景観とコントラストを形成する。ファニチュアそれ自体がオブジェとなって空間にアクセントを与えるように散りばめられているが、自然素材で構成され、フットレストの石板が置かれるなど、居心地としての定石は守られている(同上)

 

醸造所自体も観光名所になっているのだが、その前面に船着き場を持った水際プロムナードが整備されている。

水辺空間全体がミニマルなモダンデザインである。桜色の小舗石と白御影の平板によるストライプが水際を飾る。シンプルでスピード感のある造形だ。並木が車道との境界線に置かれ、その間に駐車スペースが切り込まれている。
この配置によって、空間全体がまず、「眺望-隠れ場prospect-refuge」構成となる。
水辺空間全体をこの構成にもっていきながら、さらにそれを自由なアクティビティの舗装エリアと水際の芝生の休息空間にアーティキュレートしている。
護岸部の芝生は、日差しの照り返しを抑えつつ、空間に柔らかさと涼やかさを与えており、その上にベンチやスツール、テーブルなどがリズミカルに多様に配置されていて楽しい。独立した小さな居場所が形成されながら、互いに突かず離れずの関係で全体としてまとまりある水辺景観となっている
ストリートファニチュアのデザインは、基本的に直線で構成されたシンプルな造形だが、形や配置はモダンでも、すべて石や木、鉄、コンクリートといった自然素材で構成されており、色彩もモノトーンで控えめである。素材感が生きる形だが、それが対岸のリベイラ地区と爽やかなコントラストを形成しながらも風景に馴染ませている要因となっている。
芝生の上に散りばめられたベンチのいくつかは、スチールと木製座板のシャープなものだ。カタチ優先かと思いつつ、素材感がいい上に、足元にはフットレストの平板が置かれ、スイスのベルン同様、人の休む場としての定石が守られている。
何がいいたいのかというと、ベルンのベンチは作法感覚のみで演出された場の造形だった。これに対して、ピア17とファウンテン・プレイスの休息スペースは、コンセプチュアルに演出された空間の中で、それに最適な素材や造形が選択され、より能動的に人間のための場がデザインされたものだ。
ではこのポルトの両岸のデザインはどうかというと、ドゥロ川に向かう歴史的ウォーターフロントとして都市を鍛え上げる操作の中で、すべてのスケールで造形が機能的に連動しているところがまずポイントであり、ベンチなどのストリートファニチュアも単なる休憩スペースの提供にとどまらずに、街と水辺をアーティキュレートし、あるいは結びつける装置として積極的な役割が与えられている。
ベンチである以上、座る、という居心地の演出が起点となるのは当然だが、全体配置の中で領域性の形成に一役買っていたり、オブジェとして機能したりするようデザインされている。そしてそのことが、まちが水辺へ連動する契機となっているのだ。なかなか高次のデザインといえるだろう。
ただし、ベルンとポルトのデザインに優劣があるといっているのではない。
そこがパブリックスペース・デザインのキモなのだが、基本的にデザインのレベルは多様であって構わない。重要なのはそこではない。
パブリックスペースとして成立するために重要なのは、“パブリック”という概念なのだ。
人々に喜びを与える場を創出するという意思、それが真摯であることが第一義であり、その上に誠実な造形が与えられることが重要なのである。
社会資産の資質はそこから生まれるのだ。

土木デザインノート

小野寺 康Yasushi Onodera

(有)小野寺康都市設計事務所|EA協会

資格:
技術士(建設部門)

一級建築士

 

略歴:
1962年 札幌市生まれ

1985年 東京工業大学工学部社会工学科卒業

1987年 東京工業大学大学院社会工学専攻 修士課程修了

1987年 (株)アプル総合計画事務所 勤務

1993年 (株)アプル総合計画事務所 退社

1993年 (有)小野寺康都市設計事務所 設立

 

主な受賞歴:
2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(門司港レトロ地区環境整備)

2001年 土木学会デザイン賞 優秀賞(与野本町駅西口都市広場)

2002年 土木学会デザイン賞 優秀賞(浦安 境川)

2004年 土木学会デザイン賞 優秀賞(桑名 住吉入江)

2008年 グッドデザイン特別賞 日本商工会議所会頭賞(油津 堀川運河)

2009年 建築業協会賞:BCS賞(日向市駅 駅前広場)

2009年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(津和野 本町・祇園丁通り)

2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(油津 堀川運河)

 

主な著書:
グラウンドスケープ宣言(丸善、2004、共著)

GS軍団奮闘記 都市の水辺をデザインする(彰国社、2005、共著)

GS軍団奮闘記 ものをつくり、まちをつくる(技報堂出版、2007、共著)

GS軍団総力戦 新・日向市駅(彰国社、2009、共著)

 

組織:
(有)小野寺康都市設計事務所

取締役代表 小野寺 康

〒102-0072 東京都千代田区飯田橋1-8-10

キャッスルウェルビル9F

TEL:03-5216-3603

FAX:03-5216-3602

HP:http://www.onodera.co.jp/

 

業務内容:
・都市デザインならびに景観設計に関する調査・研究・計画立案・設計・監理

・地域ならびに都市計画に関する調査・研究・計画立案

・土木施設一般の計画・設計および監理

・建築一般の計画・設計および監理

・公園遊具・路上施設などの企画デザイン

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