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2011.07.01

04|小野寺康のパブリックスペース設計ノート

小野寺 康((有)小野寺康都市設計事務所|EA協会)

(第1部 空間を読む、構想する)承前

 

1-3 スケール、サイズ

黒澤明の傑作活劇『用心棒』の舞台は、上州のとある宿場町ということになっている。この映画がそれまでの舞踏的なチャンバラ映画とは全く違う、リアルなアクションを追求したのはよく知られた話だ。一方で、効果を優先した大胆なアレンジも厭わないことも。
指摘したいのは主舞台となる大通りの幅である。時代考証からすれば明らかに広すぎる。
西部劇のようなダイナミックさを出すため相当にディフォルメされているのだが、黒澤監督が細部の考証や建築様式にこだわり抜いた上での意図的な操作であるため、その景観には異様な説得力、つまりリアリティがある。この拡大された街道幅のスケールが、映画のあらゆるシーンに活力を与えているといっていい。
一般にスケールは縮尺の意味で使われ、寸法値はサイズで示される。ここでいいたいのは感覚的な大きさや長さ、広さといった概念のことだ。
サイズ感とはいわず、スケール感というだろうそれは、相対的な概念である。
何メートルあるから大きい、小さい、あるいは狭いと、一概にいえるものではない。同じサイズの空間が、屋内と屋外とではまるで印象が異なるものとなる。
「3mの通路」があったとする。密集した市街地と開放的なウォーターフロント空間では印象が全く変わってしまうものだ。いうまでもなく、広い屋外だと小さく狭く感じる。
もちろんその一方で、人体寸法――ヒューマンスケールというものもある。
作業テーブルの高さなら一般に70cm程度が使いやすく、ベンチや椅子は40cm程度というように。だがこれも用途に応じて変わる。くつろいだ空間ではより低く座りたいものだし幅も広げたい。バー・スツールのように、あえて高めに設定して、狭い空間を高密度に凝縮してプライベート・スペースのような一体感を演出することもあるだろう。
デザイナーの個人差もある。たとえば、F. L. ライトの設計する空間に身を置いたとき、だれもが相当に「狭い」と感じるはずだ。設計者が小柄だということから来るのかもしれないが、彼の設計する住宅建築にその傾向は顕著であり、そこに濃密なディテールが加わることで余計に空間を凝集させている。
パブリックスペースの場合はどうか。
スケールやサイズ、そして形との連動について、都市には文脈的な作法とでもいうべき修辞法、つまりレトリックが存在する。
たとえば街路なら、「格」に応じたスケール、造形というものだ。
大通りと路地では、様々な施設の大きさや配置間隔、舗装材のサイズや仕上げまで、方法論がすべて異なると考えるべきだ。いうまでもなく、大通りでは都市の骨格や軸性を意識したスケール感で格式や風格を演出したい。路地や細街路では、むしろ小さな素材で細やかな質感とディテールにこだわりたいものだ。

 

フィレンツェの路地空間

 

一方で都市空間は連動する。
街路のそばにある水辺空間が都市文脈の上で無関係でいいということはない。
パリのシャイヨー宮からイエナ橋、エッフェル塔を抜けてトゥール・エッフェルへ続くアナトール・フランス通りの都市軸を見てもらいたい。イエナ橋からエッフェル塔の足元を抜ける街路軸とそれに交差するセーヌ川の橋詰広場は、明らかにヒューマンスケールを超え、都市のスケールで造形されていることがわかる。河畔テラスのグリッドパターンは、都市軸に乗っている。したがって、そこに詰め込まれた小舗石のグレイン(大きさ、粒度)までもが都市のスケールに連動しているといえるのである。
パブリックスペースのデザインで考慮されるべきスケール感とは、このような都市文脈の修辞法的な概念と身体感覚の間をシームレスに行き交う多次元的な感覚で把握されるべきものなのだ。

 

スケールとサイズ 都市軸というスケールから橋詰広場の造形が決められ、それが小舗石に至るまですべて連動している(パリ)

 

次に、前回に引き続き、カミロ・ジッテ『広場の造形』から、にぎわいの場を形成するスケールや形のロジックについてみてみる。
ジッテは、美しく活力ある広場の大きさと形について、いくつかの興味深い仮説を提示している。主景に対する広場の大きさと形についてだ。
一つには、教会広場は縦方向に深く、逆に市庁舎前広場は奥行きより横手に長い傾向にあるということ。
いわれてみれば確かにその傾向は妥当であり、教会広場が縦長なのは、その方が教会の建造物としての象徴性が高まるからだし、ミュンヘンのマリエン・プラッツのような、市庁舎前広場が横長なのは、その方が、建物が堂々とした印象で賑わいを包み込むよう演出できるからだと解釈できる。前回みたシエナの市庁舎前に広がるカンポ広場もこの例に漏れず、ブップリコ宮を主景とするやや横長の構成だ。
奥行き型の教会広場として例示されているフィレンツェのサンタクローチェ教会を実際に見てみる。
縦長の広場の奥に白い教会が鎮座している風情は、端正といっていい品位を備えており、主景としての教会のファサードが美しい均衡関係を広場のスケールとの間に形成している。

 

左:サンタクローチェ教会平面図(『広場の造形』より) 右:サンタクローチェ教会広場の風景

 

ジッテはもう一つ、主景となる建物と広場の大きさについて数値的な関係性を提示した。
まず広場の適切なスケールとして、主景となる建物の高さは、「その建物に対して垂直方向に測った広場の幅と釣り合っていなければならない」とし、「広場の最小の大きさが、広場を支配している建物の高さと同じでなければならない」、「広場の最大の大きさが、建物の高さの二倍を超えてはならない」と指摘する。
ジッテが19世紀後期の近代都市計画の反動から『広場の造形』を著したことは前回述べた。
彼は、デザイン性に乏しいスケールアウトしただだっ広い広場を歩く苦痛について「広場恐怖症」とよび、当時パリなどの大都市を中心に建設されていた、正方形など幾何学的でニュアンスに乏しい近代広場を糾弾した。
念のために申し上げると、通常「広場恐怖症agoraphobia」といえば、広場のような公共の空間で何かあった時に安全でいられるかどうか不安になって外に出ていけない、旅行に行けないというような心的症状をいうのであって、殺伐とした広場をうんざりしてそれが耐えがたいという使い方は一般的ではない。これはジッテ独自の価値観だ。
話を戻す。
「長さが幅の三倍以上といったあまりにも細長い空間はかんばしい印象を与えない」とも書いている。常識的にはまあそうだろう。
しかし、デザインに絶対はない。
極端に細長い空間といえば――。
バロック広場を代表する傑作、ローマのナヴォーナ広場だ。

 

ナヴォーナ広場全景。中央の丸屋根(クーポラ)を持つひときわ高い建造物がサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会(『プロセスアーキテクチュア No.16「南欧の広場」より』)

 

ナヴォーナ広場の敷地は、もともとローマ帝政期の紀元1世紀にドミティアヌス帝が造らせた、南北に長い275×106mの屋外競技場だった。現在、サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会はじめ、広場を形づくる建物は、競技場の観客席の跡地に建っている。その結果、広場空間は極端に細長くなった。アゴーネ教会(アゴーネとは競技という意味)の地下には現在も遺構があるという。ナヴォーナ広場が、アゴーネ教会と中央に三基の噴水を持つ、現在の形にリメイクされたのは17世紀のことだ。
前回挙げたジッテの五原則をもう一度見ると、(カッコ内は筆者)
①広場の中央を(アクティビティのために)自由にしておくこと
②閉ざされた(領域性の優れた)空間であること
③(主景に対し適切な)広場の大きさと形
④不規則な形態
⑤広場を群で構成すること
ということだが、これらはナヴォーナ広場にほとんど当てはまらない。③に至っては、まさに長さが幅の三倍以上ある。
まるで「かんばしい印象を与えない」ものにならなければいけないのだが、実際には実に美しく活気に満ちた空間になっている。
この広場の建設経緯を洗い直して造形のナゾを探ることで、スケールと形の造形原理とその可能性が見えてくるのではないかと思う。
ナヴォーナ広場のデザインが、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680)によるものであることはいうまでもない。ベルニーニは、細長い敷地に三基の噴水を配置して一つの統一的な空間に鍛え上げた。中央にオベリスクを持った「四大河の噴水」、南北にそれぞれ小ぶりな「ネプチューンの噴水」と「ムーアの噴水」を配し、広場に中心性を持った図像的構成を与えたのだ。
通常なら「広場の中央を(アクティビティのために)自由にしておく」べきところを、あえてモニュメンタルな噴水を三基配置して空間を分節した。あまりにも細長いこの空間に対して、むしろ噴水を契機にそれらに挟まれたオープンスペースを創出したのだ。同時に、空間自体にモニュメンタリティを刻印した。細長い敷地条件を逆手に取った形である。
バロック期は、近代都市計画の導入部とでも位置づけられる時代だ。街路や広場を、都市全体を構成する要素としてとらえ始め、直線的な街路軸とそれを結節する広場という構成が現れ、広場中央にオベリスクを置いて象徴性を演出する様式が現れ始めた。だが一方で、まだ単体の場としてのダイナミズムが生きた時代でもあり、ナヴォーナ広場は、中心性を持ったモニュメンタリティと、にぎわいの場としての演出が共存している。
この広場は、ベルニーニによって骨格が形成されたが、それを完遂させたのが、サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会の設計者である、ボッロミーニであるといっていい。
ベルニーニの「四大河の噴水」は1647~51年に建造された。
ジローラモ・ライナルディとフランチェスコ・ボッロミーニの設計によってサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会が建造されたのは1652~77年である。
教会の方が後だ。
「四大河の噴水」の中のラプラタの像が、腕を掲げて教会から目をそらすようなポーズになっていることを、同時代にライバルだったベルニーニとボッロミーニに掛けて、ボッロミーニの教会なぞ見たくもないという、いやがらせで造形したという逸話があるが、実際にはそれは誤りで、ベルニーニの彫刻の方が先である。
彼らが教会を建てようとしていたとき、すでにベルニーニによる広場の計画は明らかにされていたはずだ。
先ほど、教会広場は縦方向に深く、逆に市庁舎前広場は奥行きより横手に長い傾向にあるというカミロ・ジッテの仮説について述べたが、そういう意味では、このアゴーネ教会は極端に条件が悪い。
むろん、ボッロミーニらが教会の配置まで選ぶ権限があったかというと、それは疑わしい。だが、この配置と建築造形の関係性は実に興味深く、まさにそれが広場の活力を決定している。
どういうことかというと、サンタニェーゼ教会は現在、広場のほぼ中央に建っているが、完全な中央ではない。わずかに南にシフトしている。
広場中央にベルニーニが「四大河の噴水」を建ててしまっていたので、真正面に教会を配すればこの噴水とファサードが至近距離で重なり合ってしまって始末に負えなくなるのは明らかだ。
かといって、ジッテのいう「定石」の通りに、長手方向の端部に教会を置いて象徴性を演出するには、あまりにも広場が細長すぎる。無理にバランスを取ろうとすると、尖塔高くそびえた、とんでもなく縦長のファサードを形成しなければならないし、仮にそうしたところで、それこそ三基の噴水がことごとく教会の主軸に乗ってくるため教会を印象深く見せられない。
たとえば先に挙げた、フィレンツェのサンタクローチェ教会前に複数の噴水が縦並びに並んだ光景を想像してみれば明らかだ。深い奥行きを持ってそびえていたはずの教会ファサードが、広場のどこから見ても噴水と干渉してしまう上に、広場に主体性が持っていかれて、教会が「端っこ」に捨て置かれた印象になってしまうだろう。
三基といったが、実は北側の「ネプチューンの噴水」は、ベルニーニの計画はあったものの長年据え置かれ、実際に造られたのは19世紀に入ってからだ。もしかすると、最初に北側に教会を置く案もあったのではないかと想像する。そのために噴水の設置が待たれたのではないかと。
その真偽はともかく、最終的には中央より少し南に芯がずれた位置に教会は建てられた。
これを秀逸な造形力が支えた。設計者たちは丸屋根(クーポラ)をファサードのすぐ後ろから立ち上げるなど工夫を凝らして「通例の中央からのパースペクティヴよりは、広場の様々の地点から得られる斜めのパースペクティヴに期待したのである」というのはポール・ズッカーの考察である。(『都市と広場』P.227)。
筆者は、むしろこの中心軸との「ずれ」に着目したい。
ずれが、「ゆらぎ」になって、ナヴォーナ広場に動きを与え、空間に生き生きとした表情を与えている。教会がモニュメント群とずれつつ、それぞれの主体性がせめぎ合うといった、動的構成が生まれた。完全にシンメトリーになるはずのものが、広場と教会、それぞれが主体性を主張しあいつつ、緊張感を持ってバランスを取っているのだ。
その力学が、ナヴォーナ広場の活力のエンジンになっている。空間の歪みが感情移入を引き起こしたといってもいい。
このような歪み、ゆらぎは、数百年をかけて建設される西欧広場ではしばしば起こることだ。
同じローマのスペイン広場では、先にあったトリニタ・ディ・モンティ教会に付けるようにスペイン階段が建設されたが、教会が階段の軸線よりわずかに角度が触れていることに一般の観光客は気がつかない。ヴィジェーヴァノのドゥカーレ広場のドゥオモもわずかに角度が振れている。この「ゆらぎ」が、広場の景観に「動き」を与え、生き生きとした空間の表情を創りだしているといっていい。

 

左:スペイン広場 右:ドゥカーレ広場(『プロセスアーキテクチュア No.16「南欧の広場」より』)

 

これらは角度や配置の揺らぎだが、スケールの揺らぎもある。
そのことで、フィレンツェのドゥオモに触れたい。
聖母堂ドゥオモ(Duomo)こと、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)がフィレンツェの都市構造に与えた影響は、広場の活力、といった点的なものではない。その建築規模と造形が与えるダイナミックなモニュメンタリティは、都市という総体に強い図像性を与えた。
都市を遠望した際に、ドゥオモが果たすアイコン的な効果は絶大だ。フィレンツェというルネサンス都市の象徴としてこれほどインパクトのある図像はないであろう。

 

 

この圧倒的なランドマークは、市街の至る所から視界に入るのだが、都市軸的な構成としては、サンティッシマ・アヌンツィアータ広場(Piazza Santissima Annunziata)からセルヴィ通り(Via dei Servi)を見通すヴィスタだろう。
この景観を筆者は大学院生だったある夏に初めて見たのだが、しばらくその場を動けなかった。「ヴィスタ=アイストップ」という定型の空間的構図なぞ吹き飛ばすほどのインパクトがそこにある。

 

セルヴィ通りから見たドゥオモ

 

直線的街路とそこに収斂する広場という構図は、それがネットワークとなって都市構造を構築する方法論として、その後バロック期に花開く。
その萌芽がすでにここにある。

しかし、ドゥオモは、ゴシックの強靭さとルネサンスの造形意思が掛けあわされてもたらされた、天与の構築物だったかもしれない。その圧倒的なヴォリュームと精緻な造形性は、論理立った都市の構図など粉砕するほどの図像的圧力を持って眼前に立ち現れる。それは、ヴィスタ=アイストップという概念に先立つ、都市景観の革命であった。
これも一種の「ゆらぎ」である。
フィレンツェのドゥオモが完成した当時、その建築形態とその周辺街路の関係性は、人々に都市を芸術的にデザインすることの価値と可能性を強く印象付けたのではないだろうか。
そのことが、続くバロックを触発した契機にもなったと思えてならない。
スケールは、都市の骨格の中におとなしくバランスされればいいというものではない。
スケールとは、都市と身体をダイレクトに関係づける概念のひとつである。その可能性について、語られていないことは多いといえるだろう。

一方で日本の皇居を見てみると、周辺市街地に対して、フィレンツェのドゥオモを凌駕する圧倒的な敷地ヴォリュームを持ちながら、ロラン・バルトがいうように、それは森に囲まれた空虚として存在している。
日本の空間構造は、しばしば図像的クライマックスを持たない。焦点としての「無」は、周辺空間に奥性という方向性のみを演出し、道行きのプロセスそのものが重視される。
日本の伝統空間にこの構造は通底する。
例えば神社。鳥居をくぐり、あるいは川を渡る導入部から、森の中を抜けつつ様々な結界を越えて道行く最後に立ち現われるのは、白布がひらりと垂れ下がって中が見通せない空白の場であったりするそれは、クライマックスとしての空虚であり、無だ。
道行きにおける奥性。そこにもやはり、「間=イマジナリー・スペース」の概念が潜んでいる。
この話題は、次回の「動線とアクセス」へつないでいきたい。

 

左:熱田神宮参道 右:同社殿

土木デザインノート

小野寺 康Yasushi Onodera

(有)小野寺康都市設計事務所|EA協会

資格:
技術士(建設部門)

一級建築士

 

略歴:
1962年 札幌市生まれ

1985年 東京工業大学工学部社会工学科卒業

1987年 東京工業大学大学院社会工学専攻 修士課程修了

1987年 (株)アプル総合計画事務所 勤務

1993年 (株)アプル総合計画事務所 退社

1993年 (有)小野寺康都市設計事務所 設立

 

主な受賞歴:
2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(門司港レトロ地区環境整備)

2001年 土木学会デザイン賞 優秀賞(与野本町駅西口都市広場)

2002年 土木学会デザイン賞 優秀賞(浦安 境川)

2004年 土木学会デザイン賞 優秀賞(桑名 住吉入江)

2008年 グッドデザイン特別賞 日本商工会議所会頭賞(油津 堀川運河)

2009年 建築業協会賞:BCS賞(日向市駅 駅前広場)

2009年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(津和野 本町・祇園丁通り)

2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(油津 堀川運河)

 

主な著書:
グラウンドスケープ宣言(丸善、2004、共著)

GS軍団奮闘記 都市の水辺をデザインする(彰国社、2005、共著)

GS軍団奮闘記 ものをつくり、まちをつくる(技報堂出版、2007、共著)

GS軍団総力戦 新・日向市駅(彰国社、2009、共著)

 

組織:
(有)小野寺康都市設計事務所

取締役代表 小野寺 康

〒102-0072 東京都千代田区飯田橋1-8-10

キャッスルウェルビル9F

TEL:03-5216-3603

FAX:03-5216-3602

HP:http://www.onodera.co.jp/

 

業務内容:
・都市デザインならびに景観設計に関する調査・研究・計画立案・設計・監理

・地域ならびに都市計画に関する調査・研究・計画立案

・土木施設一般の計画・設計および監理

・建築一般の計画・設計および監理

・公園遊具・路上施設などの企画デザイン

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