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2011.08.01

05|小野寺康のパブリックスペース設計ノート

小野寺 康((有)小野寺康都市設計事務所|EA協会)

(第1部 空間を読む、構想する)承前

1-4 動線とアクセス

通行するというアクティビティ、その軌跡を動線line of flowといい、そこに目的への方向性がある場合はアプローチapproachという。アクセスaccessという場合は、必ずしもリニアな動線としての方向性に限らず、接続や近接の面的な方向性も含まれる。というか、接続や近接というアクティビティを重視し、その経路が線的であるかどうかは副次的である場合にアクセスという言葉が有効になると考えられる。
基本的には線状の(リニアな)概念といっていいが、たとえばウォーターフロントといえば、市街地などが面的に水辺に対する志向性をもっている状態をいうのであり、広義にはこれも面的なアクセスである。
都市計画論的には、動線、アクセスは、「つなげばいい」、「向かっていればいい」というレベルにとどまるかもしれないが、都市デザインとしては、どうつなぐか、どのように方向づけられているか、その質こそが問われる。
下は、リヨンに最近できたローヌ河畔の水際公園・プロムナードだ。河川沿いに幹線道路が走り、駐車場と化していた河岸を、ウォーターフロントデザインで一新し、人間のための空間にわずか5年で変容させた。規模が大きいにも関わらず実に丁寧にデザインされていて、階段護岸や芝生緑地、プレイグラウンドなどが、ヴァリエーション豊かに滑らかに連なり水辺を彩っている。市街地との接続性も見事で、リバーフロントといっていい資質(水辺へのアクセス性)をリヨンという都市の骨格に組み入れることに成功している。

リヨンのローヌ河畔プロムナード。緑地広場や階段護岸がなめらかに連なっている

 

街路とは、いわば動線経路が都市化した施設である。
日本の道路交通法では街路や道路は、「交通」のための施設であって、滞留してはいけない(!)ということになっている。そうしないとデモや集会を取り締まれないためだが、むろん、そんな法律論はここでは余談に過ぎない。ヨーロッパのオープンカフェは、街路で滞留することの豊かさが作法となった行為である。道行く人と喫茶を楽しむ人は、互いに「見る=見られる」関係にあり、それは劇場的構図といっていい。
この構図を洗練させるために、沿道建物と街路の接点を豊かにするボキャブラリィを西欧都市は多く持っている。
アーケード、ポルティコ、ガレリア、パサージュ等。
バーナード・ルドフスキーによれば、アーケードarcadeとは、アーチの架かった通路あるいはアーチの連続によって形づくられた歩道のことであり、イタリアでは本来それはポルティコporticoと呼ばれなければならないものだ(『人間のための街路』,鹿島出版会)。
日本でよく見るアーケードは、本場イタリアではガレリア(またはガッレリア)galleriaと呼ばれるべきものだが、ミラノにあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(Galleria Vittorio Emanuele II)と比べるとあまりにも安っぽく、とてもではないが同じ呼称は使えまい。
このほかに、小路に鉄骨とガラスのキャノピーが架かったものをフランスではパサージュpassagesと呼ぶ。小さなガレリアといった風情だが、むしろ本来の意味が「通過」や「小径」である通り、ガレリアほど建築的ではなく仮設的な風情だ。

 

フランスにもあるヴォールト天蓋を持つ古典的なポルティコ(ニース)

 

左:ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア 右:ローマのガッレリア・アルベルト・ソルディ

 

リヨンのパサージュ(3点とも)。エントランスや結節部もしっかりデザインされている

 

日本の積雪地に見られる雁木も一種のポルティコであるが、積雪から通行スペースを守るためという目的以上には発達しなかった。木造なので耐久性に劣ることと、日本の建物が連棟形式でなくなったことによるものと考えられる。

 

左:雁木(長野県飯山市) 中:商店街アーケードだが道路側にもテントのお店が出るというのが個性的(新潟市) 右:こうなるとかえって趣深い、木造アーケード(新潟市)

 

余談だが、数年前にグラナダを訪れた際、年に一度の聖体祭の準備期間に当たった。聖母像などの山車が街路を練り歩くこの行事では、聖像を紫外線から守るために街路上空に仮設のファブリックが滑空する。教会から市街へ、どこまでも延伸されるそれは、それだけで美しいハレの装いであった。これも動線のデザインといっていい。

 

グラナダ聖体祭のための仮設天蓋。建物から張り渡されたワイヤーでテントを張り巡らせる仕掛け

 

プロムナードpromenadeは、フランス語で散策を意味する言葉であり、おもに遊歩道の意味で使われる。モールmallも同じ意味を持つが、どちらかというと歩行者専用道を指す場合が多い。ショッピングモールといえば商業系の歩行者空間ということになる。
ショッピングモールでは、端部と中央で歩行者のアクティビティが異なるものだ。ウィンドーショッピングを楽しむ人と、目的地まで移動を急ぐ人では当然歩く速さが異なる。当然、沿道建物側がゆっくりとしたペースの動線になり、急ぐ人はやや中央寄りを歩くことになる。この原理を使って街路の中に照明やサイン、ベンチなどストリートファニチュアを見事に配置した例がある。
ハイデルベルグの中央通り(ハウプトシュトラーセHauptstraße)の路面は、ベージュの小振りなコンクリートブロックが敷き詰められる中、小舗石の帯が滞留動線と移動動線を秩序よく分節している。照明柱とサインなど、立ち上がった工作物は、やや幅の広い小舗石ベルト上に配置されており、その一環でベンチまで置かれている。この通行量の中、しかも本来は溜まり空間でも何でもない動線の間隙をぬってベンチを配置した技は相当なものである。職人技とはこのことをいうのではないか。

 

ハイデルベルグのハウプトシュトラーセ。このリニアな空間にベンチを配置し、機能させている高等技術

 

このハウプトシュトラーセ、途中途中に街角広場や小公園が連結している。それが道行きのシークェンスのスパイスとして効いている。一方、接続する街路は、いちいちそんな結節点をもって接しているため、単なる接続街路がハウプトシュトラーセに付随する要素としてぶら下がり、線の集合体が「界隈」という面的な領域性に発展している。
「界隈」という概念を伊藤ていじ氏は、「運動によって規定される空間activity space」と定義づけた(『日本デザイン論(鹿島出版会)』)。人間が運動することで初めて生まれる空間が界隈であり、雰囲気を楽しむための無目的行動である「ひやかし」や、目的の明確でない行動「ぶらつき」は、その活動の特徴を示しているとする。
近年出版された『フランスの開発型都市デザイン―地方がしかけるグラン・プロジェ(赤堀忍・鳥海基樹著、彰国社)』によれば、最新のフランスの都市デザインに見出される特徴の一つは、まさにその「ぶらぶら歩きflanerie」であるという。
界隈、ぶらぶら歩きが日本独特のものでないことはいうまでもない。
ここでは、パブリックスペースをデザインするに当たって空間を読み取り、構想するための基礎知識として動線について解説しているのだが、その一方で、筆者はどうしてもこの概念を比較文化的にもう少し掘り下げたい。なぜなら、動線、アクセスは日本文化にとって、近接や移動を伴うアクティビティ以上の意味があると考えられるからだ。
いうまでもなく動線、アクセスとは、経路として「つなぐ」、目的地に「向かう」といった空間概念のことをいう。
これまでカミロ・ジッテの『広場の造形』を参考に、そこに示された五原則が美しい広場の原則にとどまらず、“にぎわい”の空間構造として参考になるということを示した。
一方で、西欧的な「広場」という都市文化を日本は歴史的に持っていないということも述べた。繰り返しになるが、公共性の高い拠点的な施設があり、その周りに人間活動(アクティビティ)が収斂する舞台的なオープンスペースを「広場」というなら、日本の空間文化でそれに相当するのは大路(つまり広幅員の街路)や寺社の境内、あるいは名所と呼ばれる景勝地や河川敷(河原)、橋詰などであった。
たしかに日本は西欧的な広場を持たない。
だが、それに代わるものとして、日本は「参道」を持っている。
逆にいえば、西欧の教会や寺院は参道を持たない。バチカンのサンピエトロ大聖堂には例外的にジャン・ロレンツォ・ベルニーニがデザインした、やや参道的なアプローチ空間が造られているが、これは入口のルスティクッチ広場、壮大な楕円のコロネードによるオブリクァ広場と、その先に逆遠近法で寺院を劇的に見せているレッタ広場という、三つの広場の連続体である。総称してサンピエトロ広場とも呼ばれる。いわば、アクセス機能を洗練させた複合広場とでもいうべきものだ。

 

左:入口のルスティクッチ広場から望む 右:壮大な楕円のコロネードによるオブリクァ広場と、その奥がレッタ広場

 

これに対して、日本の神社や寺院は境内という広場的なオープンスペースはあっても、いわゆる西欧広場のような求心力をそれ自体は強く持っていない。境内は、参道の延長上の、その終着点として把握すべき場のように思える。
参道は、さらに外部に延伸して門前町を形成し、しばしばその軸線は一元化する。
参道という「道行き」の空間は、このように奥から反対方向には延伸し、聖地への奥性が増強される形で発展を遂げる。
西欧が広場をもつように、日本は参道を持つといったが、ここでいう「参道」は象徴的な意味で使っている。門前町もそれに含まれる。むしろ本当は、「道行き」というべきかもしれない。

 

出雲大社参道  大正期につくられた出雲大社表参道「神門通り」

 

日本の参道空間は、鳥居や橋といった結界をくぐりつつ、石畳を通じて奥へと誘う運動性をもった道行き空間であり、その焦点が空虚であることは前回述べた。社殿や寺院建築がいくら豪壮であっても、実際のところそれが極点ではない。そのさらに先に奥宮(おくみや)あるいは奥社があり、それは必ず本殿より小振りでささやかなものとなる。あるいは後背の森の奥に、ご神体として注連縄で結界された一塊の岩くれのようなものが鎮座するだけ、といった形も少なくなく、要するに極点が極点としての重力を持っていないのだ。
ロラン・バルトが皇居を森に囲まれた空虚といったように、日本の空間構造は、しばしば図像的クライマックスを持たない。焦点としての「無」は、周辺空間に奥性という方向性のみを演出し、道行きのプロセスそのものが重視される。
日本の伝統空間にこの構造は通底する。
近世日本の城下町が、軍事上の目的から見通しを許さず、筋違いや折れ曲がりといった迷路性を与えられていることはよく知られている。焦点としての城も、濠や石垣で囲まれた、収斂性のない、奥性を持った配置関係で都市に組み込まれている。
一方で、それは「そうしたかった」からそういう形態をしているということも可能だ。

近世の松江城下を復元した模型(松江歴史館)
西欧の中世城郭都市も、高石垣と城門を持ち、迷路性を持った、見通しの弱い有機的な構成をしている。しかし、行政上の中心である庁舎や精神的中心である教会を焦点に街路は区画割りされ、広場を持って結節した。ほぼ同じ目的であるにもかかわらず、構造形態は異なる。やはり風土や歴史からくる思想性、空間文化を色濃く反映している。
パブリックスペースのデザインにおいて、そのような文化性への考察なくして生きた空間は創出しえない。首都圏や大都市よりも、風土色が濃密な地方分化でパブリックスペースを考察する機会が多かった筆者にとっては、それは血肉のごとき確信である。さらには、その概念を他文化との対比によって相対化して掘り下げたいと志向している。
そういいながらも一方で、経験を積めば積むほどに、自らの文化についてあまりにも知らないことが多いことが思い知らされているというのも本音だ。今ここで書いているこの文章は、まさに自らの思念をたどる思いで書きつづっている。
話を戻す。今回の話題は、動線とアクセスなのだが、筆者にはいま「道行き」という空間概念が日本の空間文化を特徴づけるひとつの重要なキーワードに思えて、つい脱線している。
「1-2 領域性」の項で、ヴェルサイユ宮殿と日本の回遊式庭園の違いに少しふれた。前者はハーモニーharmonyという定的な視座に位置付けられ、後者は心象内の動的バランスという、運動性を持ったヘテロフォニーheterophonyとして分類した。
じつは、室町期までは日本庭園もじつは運動性を伴わない静的な視座を持った空間だった。この時代までは浄土式庭園といい、宇治平等院鳳凰堂などが代表だが、仏教世界の縮景、象徴としてデザインされていたのであり、回遊性を意識して設計されたものではない。
回遊(廻遊ともいう)式庭園という概念の契機は、茶道の台頭である。
一般には桂離宮庭園が回遊式庭園の最初の完成形といわれており、いうまでもなくそこには宗教色は薄く、茶道、数寄屋の思想が色濃い。時代的にみれば桂離宮に先立つのが西芳寺であり、鹿苑寺であるだろう。だが、時代という思想体系は切れ目のない継起的連鎖であり、これらの空間にもすでに回遊式といっていい運動性が垣間見える。
茶庭はもともと「ろじ」といわれていた。今では「露地」と書くが、もともとは「路次」という表記で、文字通り茶室に至るまでの「道すがら」という意味であった。すなわち、「道行き」である。
回遊式庭園の特徴は、「見え隠れ」などといい、わざと全貌を見せず一部を隠しながら(「障り」という技法)奥へ奥へといざなう運動性にある。
同時にこの運動性は、3次元的な空間を移動する中で、様々な意味やニュアンスを感じ取りながら、いつの間にか心象風景を体内に形成することで体験されるものだ。「シンボルの分布という形で空間化が行われている」(『日本デザイン論』鹿島出版会、P.202)のだ。
ある時筆者は写真を整理していて、ヨーロッパの庭園と公園のスライドを眺め渡したすぐ後に、ふいに桂離宮のスライドを手にして戸惑ったことがあった。取りとめない、混乱した風景に一瞬見えたのだ。桂離宮のさまざまなシーンを被写体に収めようと思うとき、じつはその絵画的構図と感じていたものが、物理的にはただの余白や空間である場所に、なんらかの心象風景を重ねあわせ、見る方が勝手に脳内でバランスさせて眺めていたことを知ったのである。
「道行き」の概念は、それ自体が日本の空間文化の特性を示していると筆者は考えている。にぎわいの場にしても、いわゆる広場的なオープンスペースよりも、参道やモール、あるいはそれらで構成される「界隈」こそ、もしかすると我々日本文化に生きる者としては、伝統的にはなじみ(・・・)がいいかもしれない。ただし、これまで繰り返し述べたような入念なデザイン操作がそこに与えられてこそ、なのだが。
これ以上のことは、改めて具体のケーススタディで述べることとする。

土木デザインノート

小野寺 康Yasushi Onodera

(有)小野寺康都市設計事務所|EA協会

資格:
技術士(建設部門)

一級建築士

 

略歴:
1962年 札幌市生まれ

1985年 東京工業大学工学部社会工学科卒業

1987年 東京工業大学大学院社会工学専攻 修士課程修了

1987年 (株)アプル総合計画事務所 勤務

1993年 (株)アプル総合計画事務所 退社

1993年 (有)小野寺康都市設計事務所 設立

 

主な受賞歴:
2001年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(門司港レトロ地区環境整備)

2001年 土木学会デザイン賞 優秀賞(与野本町駅西口都市広場)

2002年 土木学会デザイン賞 優秀賞(浦安 境川)

2004年 土木学会デザイン賞 優秀賞(桑名 住吉入江)

2008年 グッドデザイン特別賞 日本商工会議所会頭賞(油津 堀川運河)

2009年 建築業協会賞:BCS賞(日向市駅 駅前広場)

2009年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(津和野 本町・祇園丁通り)

2010年 土木学会デザイン賞 最優秀賞(油津 堀川運河)

 

主な著書:
グラウンドスケープ宣言(丸善、2004、共著)

GS軍団奮闘記 都市の水辺をデザインする(彰国社、2005、共著)

GS軍団奮闘記 ものをつくり、まちをつくる(技報堂出版、2007、共著)

GS軍団総力戦 新・日向市駅(彰国社、2009、共著)

 

組織:
(有)小野寺康都市設計事務所

取締役代表 小野寺 康

〒102-0072 東京都千代田区飯田橋1-8-10

キャッスルウェルビル9F

TEL:03-5216-3603

FAX:03-5216-3602

HP:http://www.onodera.co.jp/

 

業務内容:
・都市デザインならびに景観設計に関する調査・研究・計画立案・設計・監理

・地域ならびに都市計画に関する調査・研究・計画立案

・土木施設一般の計画・設計および監理

・建築一般の計画・設計および監理

・公園遊具・路上施設などの企画デザイン

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