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2013.05.10

11|私の原風景

南雲 勝志(ナグモデザイン事務所|EA協会)

風景、あちこち訪ねてきた地方の印象的な風景の事を書いてみようとも思ったが、人に説明するほど実は知らないのかも知れないし、結局いつも何かにつけ脳裏をかすめる風景の事を書いてみようと思う。

大学生の頃、自分の幼少の頃の記憶や体験を人に話すことはほとんど無かった。理由は話すと、「え、それ何年前の話、戦前じゃないの?」などと言われ、それ以降からかわれるのが嫌で人に話すことを封印した。しかし不思議なもので年齢も40歳を過ぎてからは、懐かしさより、デザインに於いても人間としても「自分とは何か?」と考えざるを得なくなり、突き詰めて行くと幼少の体験やそこから受けた印象が自分の感性に大きなウエイトを占めている事に気付く。

幼少の頃の記憶にある風景はいくつかあるが、無条件にいつも出てくるシーンがある。夢にも出てくる。なぜかよく分からないが、それを原風景というのだろう。その風景、場所はもちろん生まれ育った新潟県六日町の実家。以前は城内村と言っていた。地理的な状況を少し俯瞰的に説明すると、東には越後三山のひとつ八海山から続く尾根があり、大とんがりという山(正式名称猿倉山)がそびえていた。そこからさらに西に伸びた尾根の先端に六万騎城という山城があった。一方南には巻機山というこのあたりで最高峰の山があってそこから金城山を経て坂戸山と続く。ここには上杉兼嗣ゆかりの山城、坂戸城があり、それらに囲まれた場所、という意味合いの地名である。八海山からは長い扇状地が形成され、宇田沢川が流れ、魚沼盆地の中央を流れる信濃川の支流、魚野川に注ぎ込む。その魚野川の向こう側は十日町との境となる比較的なだらかな西山が連なる。(赤いポイントが実家)

やや拡大して実家付近にズームすると、当時の道路はもちろん砂利道で、脇に農業用水路が流れていた。道路の法面は土羽で川も土であったから魚も沢山いた。これは生活用水としても使われ、主に野菜の洗い場等に使われていた。ここに簡単な石橋が架けられていて木戸に続く。木戸とは玄関までのアプローチの事を指す方言で、どの家も結構な長さがあった。橋を渡った右手には小振りな棗の木があり美味だった。その奥には隣家の大きな栗の木が枝を伸ばし、その向こうには隣の倉、そして左手には作業所、続いて倉があり、50mくらいで玄関に行く。玄関の左手には田んぼに続く小さな庭があった。玄関屋は戦後新築した2階建であったが母屋は茅葺きだった。

季節は秋、それも刈り入れの終わった10月末から11月にかけての時期である。夕暮れ時の西山に日が沈む寸前で、空は真っ赤に染まっている。あたりには籾殻を燃やす臭いがぷ〜んと漂ってくる。今でこそ田んぼで火を燃やせなくなったが、当時は籾殻を富士山のように積み上げ真ん中にトタン製の煙突を立てた風景があちこちにあり晩秋の風物詩でもあった。庭の先には用水路から引き込んだ小川があり、その向こうに大きな柿の老木がある。葉っぱは真っ赤、柿もすでに真っ赤に熟していて今にも落ちそうだ。左には栗の木、そして杉の木を利用したハッテ(櫨、ハゼ)がある。田んぼ仕事はほぼ終わっているので稲は掛かっておらず、繰り返し吊した稲の加重でたるんだ縄だけが残っている。視線を柿の木の右手に移すとグミの木がある。初夏にはよく食べた。その右には母屋。庭に面した縁側には干し柿や干し大根がブラ下がっている。
この風景がいつも夢にも出てくる風景である。(スケッチ参照)

少し解説をすると、秋の柿の木は自分の城みたいなものでいつも登っていた。お腹がすくとよじ登って柿をもぎ取って食べていた。もちろん大量にもぐ時は地面からフック状の道具を使うのだが、柿の木に登り、辺りを眺めながら食べることに一種の満足感を覚えていたものである。地面から柿の木に上るときの順番はいつも決まりがあった。まず左足をかけて、次の二股で右足を架け、右手で上の枝を掴みながら右足の次の位置を決める。そしたら左手を次の枝に掴まるという風に。なぜ上に行くかというと、柿の木は木の下の方から熟してくるので、この頃下枝になっているも柿は熟しすぎぐちゃぐちゃで美味しくない。だから堅くておいしい柿を食べるためには、どんどん上に登らなければならなかった。そしてほとんど木の先端部付近に腰をかける二股の定位置がある。そこは葉っぱもまだ緑色、柿の熟し方もちょうどいい。そこで暫くあたりを眺めながら採っては食べ、種を吹き出し、また採っては食べしているうちにつるべ落としの日が落ちていく。

そんな幸せな時間を過ごしていると、下で近所のお婆さんが血相変えて叫んだ。「かつしー、あぶねーよー!柿の木の枝はすぐ折れるから落ちて死んでしまう。すぐ降りて~~~!」と。柿の木の枝が折れやすいとはそれまで知らなかった。「大丈夫だよ、婆ちゃん、しっかりしているよ。簡単に折れない。」「こら、大丈夫じゃね~、すぐ降りなー!」そんなやりとりがあり、結局渋々降りた。この婆さんは近所の伝兵衛どんちの婆ちゃんで、何かにつけ可愛がられていたからあまり悲しませるわけにも行かなかったのだ。降りた後も「あんな上のほうには二度と行っちゃだめだ、本当に死んでしまう。そしたら父ちゃんも母ちゃんもどれだけ悲しむことか。」本当に真剣に語る。あまりにこんこんと言われたので、自分がやっていたことが本当に悪いことだったと反省し、それ以来柿の木のてっぺんには二度と登らなかった。

多分この風景の視点は伝兵衛どんちの婆ちゃんが自分を見て叫んだ場所かも知れない。そして自分は柿の木の上に上っている。
田んぼはその後土地改良で3反歩田んぼに大型化、乾燥機の普及でハゼも杉の立木もなくなった。大学生の時の実家も火事で全焼したので、この風景で残っているものは遠くの山以外何もない。が、その山並みと延々と続く田んぼの組み合わせは昔と変わらず美しい。

風景エッセイ

南雲 勝志Katsushi Nagumo

ナグモデザイン事務所|EA協会

略歴:

1956年 新潟生まれ

1979年 東京造形大学造形学部デザイン学科卒業

 

主な受賞歴:

1995通産省グッドデザイン 家具インテリア部門金賞(project candy)

2003日本デザイン振興会建築施設部門 グッドデザイン賞

(宮崎県日向市に於ける「木の文化のまちづくり」の実践)

土木学会デザイン賞2001 最優秀賞(門司港レトロ地区環境整備)

2005日本産業デザイン振興会 新領域部門 グッドデザイン賞

(ふれあい富高小学校特別授業「移動式夢空間」)

土木学会デザイン賞2009 優秀賞(萬代橋改修工事と照明復元)

土木学会デザイン賞2009 最優秀賞(津和野本町・祇園町通り)

土木学会デザイン賞2010 最優秀賞(油津・堀川運河 )

 

主な著書:

デザイン図鑑+ナグモノガタリ(ラトルズ)

都市の水辺をデザインする(彰国社-共著)

ものをつくり、まちをつくる(技報堂-共著)

新・日向市駅 (彰国社-共著)

 

組織:

ナグモデザイン事務所

代表 南雲 勝志

〒151-0072 東京都文渋谷区幡ヶ谷1-10-3-2F

TEL:03-5333-8590

FAX:03-5333-8591

HP:http://www.nagumo-design.com/

 

業務内容:

・景観におけるプロダクトデザイン、設計業務

・まちづくりに関わるコンサルタント業務

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